第3話 侵食される日常 後編

 カレンはそれを決してアユミに悟られないように隠していた。胸の内に溜まったガスのような気持ちはどこにも排出されることがなく、膨張と圧縮を繰り返しながら抱きかかえられていた。

 それでも世界は春を終え、夏季休業前の定期試験が迫ってきた。

 試験勉強も大詰めを迎えたある日、アユミはカレンを自宅へ招いた。アユミが言うには――

「一緒に勉強がしたいって?」

「うん。数学が今回は自信なくて。カレンに余裕があったら教えてほしいんだ」

 綺麗な困り顔を作るアユミだが、それを見つめるカレンの眉も綺麗な八の字を描いていた。

「……するのはホントにテスト勉強?」

「もちろんさ。他のことをしたい衝動はやまやまだけどね。腸が雑巾絞りされたような気持ちとはこのことさ」

「ホントのホントに?」

「誓って手は出さないよ。ということで、放課後私の家に来てね」

 警戒するなと言う方が無茶な話だ。

 一度自宅に帰ったカレンは何へ着替えたものかと悩んだ。すでに犠牲が出た制服は度外視。制服と同じ生足が出るスカートも却下。ロングスカートはシルエットを隠せるが侵入が容易である。却下。タイツはデニールが大きいものを選んでも防御に不安が残る。となると、やはりズボンスタイルだろう。ジーンズなら脚のラインは現れるが、万が一触れられたとしても感触は伝わりにくい。何より、デニムの「足を守ってくれている感」が異常に良い。

 しかし待てよ、とカレンはジーンズを引っ張り出す手が止まる。

 アユミは手を出さないと言っていた。「誓う」なんて日常会話では早々出てこない言葉を使ってまで。

 ならばここはアユミを信用して、あえてミニスカートを履いていくのがスジというものではないだろうか。つまらない嘘を吐かないということは、幼馴染であるカレンが誰よりも知っている。そう考えると、次々とアユミとの思い出が蘇ってくる。小学生から高校に至るまでのあらゆる場面において行動を共にしてきた。アユミの右隣はカレンの定位置であり、そこにいることができないと心がざわついてしまう。脚フェチの性癖を知って悩むことはあったが、結果として今まで一歩も距離を置かなかった。そうだ、たとえここ数日で頻繁に脚への舐めるような視線が向けられたとしても、積極的な下半身周りのボディタッチがあったとしてもだ。

 カレンはジーンズを履いた。


 勉強道具を用意してアユミの家へ向かう。カレンの家からは徒歩で三分もかからない。アユミの家の目の前まで来たとき、持っていたスマートフォンが音を立てた。画面を見ると、アユミからのメッセージが届いていた。

『カレン。もう私の家に来た?』

『うん』

『母さんに夕飯の買い物に駆り出されちゃった』

『えー。今日はやめとく?』

『いや、すぐ帰れるから私の部屋で待ってて』

『りょ』

 そのようなやりとりの後、カレンは総二階建ての今川家に上がった。

 アユミの母と顔を合わせた際、大きくなったねと言われたが一ヶ月ほど前にも会っている。そのまま彼女に本人不在のアユミの部屋へ案内された。

 いろいろと考えることはあったが、今日はあくまで試験勉強のために集まったのだ。カレンは勉強道具をテーブルに広げ、先に学校のワークを取り組み始めた。

 集中できるかと言えば、できるはずがない。アユミの帰りが気になったり、ベッドの下でも漁れば女体や男体が連なっている本が見つかるかもしれなかったり、とにかく落ち着くわけがなかったのだ。

 見慣れたはずの部屋のどこかに時限爆弾が隠されている、と言われたようだ。カレンの視線は角からその反対の角へ反復横跳びをしていた。

 すると、アユミの勉強机の上で存在感を放つ、両手に納まる円筒形の物体に目線を止められた。手に取ったそれは白いプラスチックの容器で、貼られているラベルには意味の分からない英単語が並んでいた。内緒でいいサプリメントでも飲んでいるのだろうと思ったが、一体これは何なのだろうか。

 カレンが頭上に疑問符を浮かべていると、アユミの母が茶菓子を持って部屋のドアを開けた。

「あ、ねえおばさん、これ何だかわかる?」

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