付録

荒野のカップメン パイロット版

 スイングドアがきしんだ音を立てる。


 日常的なその音の中に、バーの常連客の何人かは、早くも違和感を聞き取った。

 続いて、普段と違う空気が店内に流れ込んで来る。客の多くが異物の到来を嗅ぎつけ、一斉に振り返る。


 店に入ってきたのは、明らかによそ者だった。テンガロンハットを目深に被り、埃っぽいダスターコートに両手を突っ込んだ長身の男。


 男は、客たちの刺すような視線に動じることなく、まっすぐにカウンターへと向かい、一番端の席に腰掛けた。


「ご注文は?」


 マスターの問いに、男はポケットから右手を出し、硬貨を親指で弾く。そして低い声で言った。


「カップラーメン」



 店内が静まりかえった。あるのはカウンターテーブルの上で硬貨が踊る音のみ。音の間隔が狭まり、ついには硬貨がテーブルに横たえると、完全な静寂が訪れる。


 次に起きたのは、人々の嘲笑の声だった。


「カップラーメン? カップラーメンだって?」


「バーにやってきて、酒も呑まずにカップラーメン?」


「格好付けておいてカップラーメンだってよ、こりゃ傑作だぜ!」


 笑いの渦が巻き起こる中、マスターは無表情でカウンターにカップラーメンを滑らせた。それはぴたりと男の前に止まる。


 瞬間、男は右手でカップを支え、左手をポケットから出しざまに、ふたを半分剥がした。


 同時に、マスターが男の前にやかんを置く。


 男はやかんの取っ手を掴み、躊躇することなく一気にカップにお湯を注ぐ。


 注ぎ終えた時、お湯は目安線きっちりに入っていたが、それを確認できた者は僅かだった。男はすぐに針のようなもので、ふたをカップに刺し留めたからである。

 気付くと、男の両手はポケットの中に戻っていた。


 客たちはいつしか笑うのも忘れ、呆然とカウンターに置かれたカップを見つめていた。


 店内に漂うのは、やかんの湯気と、カップから漏れ出る醤油豚骨の香りのみ。


「マスター、聞きたいことがある」


 沈黙を破り、男が口を開いた。


「ショットガン・ジョーという男を捜している。この店の常連らしいが」


 マスターは皿を拭きながら答えた。


「常連というか、うちで雇ってたよ。酒を注ぐのは下手だったが、料理の腕は良かったね。ある日突然、来なくなっちまったが」


「あ……ああ、そいつなら知っているよ」


 客の一人が声をあげた。


「撃ち合いに巻き込まれて、肩をやっちまったらしいんだ。治療と修行を兼ねて西へ行くと言ってた。どこかは知らねえ」


「そうか。ありがとう」


 男は席を立つと、入ってきたときのように、まっすぐ出口へ向かい、スイングドアをきしませて去って行った。


 後に残されたのは、針でふたをされたカップラーメンと、豚の脂と焦がし醤油が絶妙に混ざり合った芳香のみ。


 その頃には、客たちは皆、思い出していた。酔ったときのラーメンがいかに旨いかを。


 あれほど馬鹿にしていたカップラーメンが、今はとてつもなく恋しい。


 たまらず、客の一人が言う。


「お、おれにもカップラーメンひとつ!」


 それをきっかけに、あちこちで声があがる。


「こっ、こっちにも!」


「俺にもくれ!」


 マスターは言った。


「あれで最後だよ」



 残る問題は、カウンターに残されたあれを、誰が食べるか、ということだけだった。

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