第10話 殺しがカップメンとやって来る
キースの言うところの「しばらく」とは、その言葉から想像されるよりずっと長かった。
彼らが農場へと辿り着いたときは、東の空は白み始めようとしていた。
もっとも、時間がかかったのは、途中でのっぽの相方が案内する道を間違えたせいもある。
彼らは農場から数百フィートほど離れたところで馬を下り、低木に繋いだ。それから、近くにある大きな岩の影にしゃがんで隠れながら農場を伺う。
この距離からでは詳しいことはわからなかったが、敷地を囲っている柵がところどころ崩れていることや、納屋などの建物が痛んでいることなどから、少なくとも現在、農場として機能していないようだった。そして、人や動物の気配などもしない。
「とにかく、もう少し近づかないとよくわからんな。なるべく隠れながら行くぞ」
そう言うとキースは、隣でしゃがんでいるのっぽの相方のシャツの背中をひっつかんで押す。
「ええっ? あっしも行くんですか?」
「静かに喋ってくれ。殺したくなるから」
キースは冗談めかして言ったが、のっぽの相方は本物の殺気を感じたらしく、身震いした。そして、黙って押されるまま、しゃがんだままの体勢で、身を低くして歩き出す。
キースと流れ者の男もそれに続く。
ただ、農場と彼らとの間には、身を隠せそうな物陰はほとんどなかった。陽が地平線から顔を出すまでにはまだしばらくあるが、荒野に蠢く不審人物たちを見分けられる程度には明るく、もし納屋の二階などに見張りがいるなら、とっくに三人の存在は気付かれているだろう。
一方、キース達からは、建物の窓の奥の様子は暗くて窺えない。
三人はしゃがんだまま、せいぜい茂みや岩陰などを選んで進み、農場までおよそ100フィートのあたりで、三人ともがそこそこ隠れられそうな手頃な岩陰を見つけ、そこでふたたび様子を窺うことにした。
ただし、その岩からは、三人の被った帽子がしっかりとはみ出してはいたが。特に、流れ者の男の被る、山の高い砂色のテンガロンハットは目立っている。
農場は、全体的に朽ちかけていた。周囲を囲っている柵は、そのほとんどが折れたり、縄が切れたりほどけたりして倒れている。
そして、正面に見える納屋の屋根は崩れかけている。遠くに見える鶏小屋や牛舎も相当痛んでいるようである。鶏や馬、牛などの鳴き声は一切しない。人の動きもなく、声も聞こえない。
しかし、二人はすぐに気付いた。いかにも使われていない、無人の農場のわりには、その出入り口には馬や車輪が行き来したと見られる跡が地面にくっきりと残っている。そしてそれは、牛舎や納屋へと延びていた。
「で、何か作戦はあるのか?」
納屋を注視しながら、小さく低い声で流れ者の男が尋ねる。
「そうだな」
同様に、農場の方を伺いながら、こちらも低い声でキースが言う。
「こっそり近づくのは難しそうだな。ここはひとつ、法の番人として堂々とお邪魔してみようか。その方が面倒が少ないかもしれん。どう思う」
「何とも言えん。任せるよ」
「よし。じゃあ、ここからは堂々と行くぞ。ほれ、立て」
キースは親猫が子猫をくわえるように、のっぽの相方の首根っこを掴んで立ち上がらせた。のっぽの相方もあきらめ顔で、子猫のようにおとなしく従う。
キースはのっぽの相方を盾にするようにしながら、農場の正面口へと歩き出す。流れ者の男は周囲に目線をやってから、後に続いた。
農場へと歩いて近づき、敷地内へと入り込んでも、何の反応もなかった。物音もしないし、何かの気配もない。
キースはそのまま地面の車輪の跡をたどって、納屋の方へと向かう。
納屋の扉は木で出来た両開きのものだったが、その片側は外れかかって、今にも倒れそうになっている。中を覗き込んだが、暗くてよく見えない。
キースは中へ入ろうとした……が、前にいるのっぽの相方が押しても動かなかった。
「何してる。ほれ、行くぞ」
キースはぐいぐいと背中を押すが、それでものっぽの相方は動こうとしない。
「す、す、す、すいません……足が……」
確かに、のっぽの相方は足を震わせている。キースはため息をついた。
流れ者の男が言った。
「俺が先行しよう」
「そうか、わかった。気をつけてくれよ」
流れ者の男はキースとのっぽの相方を避けて、ゆっくりと納屋の中へと入っていく。ホルスターの水筒をいつでも抜けるように油断なく構え、暗がりの中へと進む。
納屋の中は閑散としていた。錆びて朽ちた鋤の残骸や、穴の空いたバケツなどが転がっているくらいで、ほとんど空っぽと言って良かった。
ただ、地面には馬車の車輪が残した新しい跡が残っている。そしてそれは納屋の中をまっすぐ進み、向こう側の扉へと続いているようだった。
入ってきた側の扉は取れかかっていたが、向こう側の扉は、見た限りではきちんと閉まっている。
そのとき、流れ者の男めがけて、左手の窓から何かが飛んできた。男はそれを空中で掴む。
それはカップラーメンだった。カップ型、ノーピースのベーシックモデル。クイックドローでよく用いられるタイプだ。
男は横目で銘柄を確認すると、カップを持ったままの左の手先でふたを半分開け、右手の水筒でお湯を注ぎ、あっという間にふたとカップをピンで留める。すでに水筒はホルスターに戻っている。
左手でカップメンを掲げ、周囲を警戒する。
出し抜けに、ゆっくりと手を叩く音が納屋に響いた。
「誰だ!」
叫びながら、のっぽの相方を引きずるようにして、キースが男へと駆け寄る。
「出てこい!」
キースはカップメンの飛んできた窓から身を乗り出した。だが、何も見つけられなかったらしい。すぐに身体を引っ込めると、納屋の中へと視線を走らせた。
拍手が止み、納屋の梁の上から奥の扉のあたりに、何かが落ちてきた。暗がりの中で、なお暗い闇が動く。
それが何かはわからなかったが、闇の中でひとつだけ輝くものが、二人の目に飛び込んできた。連邦保安官のバッジだ。
「見事なドローだ。西部でもそこまで速い奴はそういないよ」
地に響くような力と、吸い込まれそうな心地よさを内包した声だった。闇は銀色のバッジをぎらつかせながら、規則的な足音を響かせて二人に近づく。
だが、二人は、前方のそればかりに注意していなかった。むしろ、その周囲に警戒を張り巡らせていた。なぜなら、カップメンを投げてきたのは、あきらかにそいつではないからだ。少なくとも一人、助手がいるはずである。
足音が止まる。
そして、闇の中から、腕が伸びてきた。窓からの淡い明かりで、その腕が浮かび上がる。黒い革のコートに袖を通し、黒い革の手袋をしている。
その腕は、流れ者の男が掲げたカップメンを掴んだ。そして、もう一本の腕が、そのふたを開ける。鶏ガラ醤油の香りが、ふんわりと漂う。
「まだ2分も経っていないぞ」
流れ者の男が言う。闇の中から低い笑い声が響く。
「俺は固めが好みでね」
闇の中から箸が現れた。銀色に輝く二本の箸。それはバッジよりも高貴な輝きを放っている。どうやら本物の銀製らしい。
麺をすする音が響く。うまそうでありながらも、上品な音だった。
その音が聞こえるのもほんの僅かな間だった。ほんの数口であっという間に麺を平らげると、カップを傾けてスープを飲み干す。
「うむ。美味であった」
そういうと、闇の手はカップを握りつぶした。そしてそれを無造作に、コートのポケットに突っ込む。それから、そのポケットからハンカチを取り出すと、銀の箸を丁寧に拭き、懐へと収めた。
「さて、と……それで、君はシェリフだね?」
「その通り。キース・マクドネルだ。あんたは……タニエル・ブラウンか?」
「ほう。田舎のしがないマーシャルの名を覚えていただけているとは、光栄だ」
そう言うと、闇は一歩、キースへ近づくと、黒い右手を差し出した。そのとき、窓明かりが闇に差し、ようやくそいつの姿がはっきりと見えた。
ダニエル・ブラウン――キリングBは、全身黒ずくめの、長身の男だった。のっぽも長身だったが、彼よりも頭半分くらいは背が高い。
黒いキャトルマン、黒のロングコート、黒の手袋、黒のシャツ、黒のジーパン、黒のブーツ。とにかく身につけているものはすべて黒。
例外は胸に輝く連邦保安官の身分を示すバッジのみ。
コートから覗くホルスターと、それに収まる水筒も黒。特に水筒は装飾のないつや消しの黒だったのが、流れ者の男の目を惹いた。
元ギャングということだったが、その顔立ちには粗野な雰囲気はなく、むしろ知性を感じさせるものがあった。顎髭はなく、端正に切りそろえた口髭を生やしている。
キースは躊躇するそぶりもなく、差し出された手を握った。警戒している素振りを隠そうともしなかったが。そして、言う。
「ところで、マーシャル殿はこんなところで何をしているんです?」
「おそらく諸君らと同じ目的だと思うがね」
二人は手を離した。
「法の番人の名を騙る連中が、ここで活動しているという噂を聞きつけて、調査に来たのだよ」
「ほう。それで?」
「残念だが、連中は逃げた後のようだね。これと言って証拠は掴めなかった。まあ、諸君らも見て回るといい」
「そうですか。それは残念」
あまり心のこもっていない調子でキースが言う。
「しかし、あなたは隣の州の担当でしょう? なぜ、わざわざこちらで、こんなつまらない事件を追っているのです?」
「詳しくは言えないが、政府からの使命があってね。諸君らの縄張りに勝手に踏み込んだことは申し訳なく思うが、できれば密かに調査したかったのだよ」
「そうですか。事情は察しますが、こちらもいろいろと面倒なことがありましてね。今後は可能であれば報告をお願いしたいものですな」
「善処はしましょう。お約束はできないが」
そう言うと、キリングはくるりと背を向けて、再び闇の中へと消えた。靴音を響かせながら、言う。
「それでは、これで失礼させてもらいます。ラーメンごちそうさま」
規則正しく靴音が遠ざかっていき、やがて、奥の扉が開いた。そして、それが再び閉じ、納屋には静寂が戻ってきた。
それからしばらく後も、二人はなお警戒を解かずに気を配っていたが、やがて、キースのため息が聞こえた。そして、舌打ちも。
「どうやら証拠は消された後らしいな。おい、あっしさんよ」
キリングのいる間、ずっと身を縮めてキースの後ろに隠れるようにしていたのっぽの相方の首根っこを再び掴んで、キースが聞く。
「お前らの雇い主はあいつでいいんだな?」
「ああ、あの、いや、実はですね……」
「あん?」
キースのドスの聞いた声に身を震わせながらも、のっぽの相方は言葉を続ける。
「ああ、あっしらは代理人を通じて雇われたわけでして、あの御方がその、いわゆるあっしらを雇ったマーシャルかと言われるとですね、あり……」
キースは再び、舌打ちをした。
「なんだよそれ。じゃあ、少なくとも、ここにブツを運んできたことは事実なんだな? それもウソでしたってか?」
「いえいえいえ。それはホント、ホントでございます。こことか、厩とかがありましてですね、ええ、そこに馬車とか積み荷とかをですね、ええ、はい」
「ふーん。まあ、しょうがない。無駄かもしれないが、ざっと見回ろう。……どうした?」
そのとき、キースは、自分の左手を見つめている流れ者の男に気付いた。見ると、その手の中には、緑色に染められた、鳥の羽の一部らしきものが乗っていた。
「どうしたんだ、それ」
「さっき投げられてきたカップに付いていたらしい」
「そうなのか。何か手掛かりになるかな」
「……どうかな」
そう言いつつも、流れ者の男はその羽の断片を、丁寧に懐の中へと収めた。そして言った。
「それで、一応、農場を見て回るって話だったな? 手分けしよう」
「ああ。じゃあ、鶏舎の方を見てきてくれないか? こっちはこいつを連れて、厩とやらに行ってみる。……そんなもん、見えなかったが、どっちにあるんだ?」
「へえへえ。裏の方にあるんですよ。案内します」
キースはのっぽの相方を付けて納屋の奥の扉の方へ行き、流れ者の男は元来た扉を使って納屋から出る。
東の空はすっかり燈色に染まり、再び荒野に朝が来る。
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