第3話 カップメンの用心棒

「砂漠の泉」と呼ばれるその町には、泉などどこにもない。水は馬車によって、遠くの町から運ばれてくる。

 この町に泉が湧いていたのも、この町が金鉱で潤っていたのも、昔の出来事だ。

 だが、町の人にとって、栄光は現在でも続いている。彼らの昔話の中で、だ。


 町の者達は、毎日のように酒場に募っては、過去の思い出に花を咲かせる。そうすることで町の命を繋ぐかのように。


 そんないつもの酒場に、見知らぬ男がやってきた。


 スイングドアを軋ませて中に入ってきたのは、砂埃にまみれたダスターコートに、テンガロンハットの男。無精髭を伸ばし、いかにも浮浪者だ。


 店の客達の間に、少しの驚きと緊張感が漂う。過去を繰り返し続けるだけのこの町に、新顔は珍しかった。


 男はふらふらとした足取りで店内をまっすぐ進む。やがて、カウンターの右端へとやってくると、マスターに向かって言った。


「カップラーメン」


 その瞬間、店内は凍り付いた。時が止まったかのように誰も動こうとせず、喋ろうともしない。

 長年この酒場に絶えることのなかった昔話のささやきが、この瞬間だけは絶たれた。


 ただ一人、浮浪者の男だけが、何事もなかったかのように、落ち着き払ってカウンターの席へと腰掛ける。


「……お客さん、この辺は初めてだね」


 沈黙の中、ようやく、マスターが口を開いた。


「この辺じゃカップラーメンは扱っていない。できればその言葉は口にもしない方がいいよ」


「そうか」


 男はあっさりとそう言った。


「じゃあ、何があるんだ?」


 マスターはほっとしたような顔をして、言った。


「ウチのおすすめはチリだよ。でも、どうしてもインスタントメンがいいなら、カップそばならある」


「じゃあ、チリにしよう」


「待ちな」


 カウンターの左端から声がした。立ち上がったのは、古いぼろぼろの軍帽を被った大柄な男。


 大男はわざと靴音を立て、威圧的な様子でゆっくりと浮浪者の方へと向かってくる。


 そして、隣の席まで来ると立ち止まり、浮浪者の男を睨み付けて言った。


「お前、カップラーメンは食えるってのに、カップそばは食えないってのか」


 浮浪者の男はその視線をかわし、素っ気なく言った。


「別にそういうつもりはない。気に障ったなら謝ろう」


 軍帽の大男は鼻を鳴らした。


「ふん。面白くねえ。俺の目が節穴だと思ってるのか? その腰に付けてるものが見えないと思ってるのか?」


 店の客達は一斉に男の腰の辺りを見た。マスターも何食わぬ顔をしながら、薄目

でそちらを見た。だが、大男が見とがめた「腰につけているもの」が何なのか、その時には誰にもわからなかった。


「……能書きはいい。表へ出な。ケリを付けてやる」


 そう言うと大男は、店の外へと向かった。しばらくして、浮浪者の男も続く。


 そのとき、男の右腰に帯びていたものが、客達の目にもはっきりと見えた。革製のホルスターに収められていたのは、ライトブルーのスティック型、1パイント水筒だった。薄汚れた男の姿の中で、それだけが異様にきれいに磨かれており、薄暗い店の中でも冷たい威容を湛えていた。



 浮浪者の男が店の外に出たとき、通りの中央には軍帽の大男と、ひとつの丸テーブルが置かれていた。テーブルの上には、インスタントメンのカップがふたつ。


 男はゆっくりと店の階段を降りると、テーブルを挟んで大男の前に立った。大男の腰には、年季の入ったオリーブグリーンの軍用水筒が提げられている。


 大男は言った。


「お望み通り、カップラーメンを用意してやったぞ。好きな方を選びな」


 テーブルに置かれた2つのカップラーメンは、どちらも同じものだった。ノーピースのカップ型、0.6パイント、3分、鶏ガラ醤油。


 浮浪者の男はゆっくりと右手を伸ばして右のカップを取り、自分の前の、やや右側にカップを置き直した。続いて軍帽の男が、残ったカップを自分の手前の中央に置く。


 その頃には、町中から集まった人々が、二人を囲んでいた。みな、一様に押し黙って、事の成り行きを見守っている。


 二人が構える。相手の動向を油断なく伺いながら、カップメンとの間合いを計る。

 乾いた風が二人の間を抜ける。砂埃が二人とテーブルの脚の間をすり抜ける。


 次の瞬間、観衆から驚きの低い歓声があがった。


 二人をじっと見守っていた観衆の誰一人として、二人が何をどう動いたのかは見えなかった。


 ただ、勝敗は明らかだった。


 軍帽の男が左手でカップのふたを半分はがし、これから水筒のお湯をカップに注ぐところだったのに対し、浮浪者の男はすでにお湯を注いでいたからである。


 軍帽の男の水筒の方が注ぎ口は広かったが、それを差し引いてももはや追いつくことは不可能であることは誰の目にも明らかだった。



 浮浪者の男はお湯を注ぎ終えると、針のようなものでふたとカップを刺し止めた。そして、水筒を二回転させると、音もなくホルスターに収める。


 軍帽の男がお湯を注ぎ終えたのは、このときだった。


 軍帽の男は青い顔をして汗を流しつつも、割り箸をふたの上に乗せた。

 そして、しばらくその姿勢のまま微動だにしなかったが、やがて、腰から崩れ落ちるように地面に倒れた。

 軍用水筒が、高い音を立てて地面を転がる。


「……俺の、負けだ」


 震える声で、だが、はっきりと、軍帽の男は言った。


「……好きにしろ」


 浮浪者の男は、その声を聞いて、ようやく構えを解いた。そして、テーブルを回り込んで、倒れた軍帽の側まで来て立ち止まる。


 男はしばらく軍帽を見下ろしていたが、やがて、テーブルから自分のカップメンを持ち上げると、その場にしゃがみ、軍帽の男に差し出した。


「……どういうことだ? 情けをかけるというのか!」


 吠えるように軍帽が言う。


 浮浪者の男は首を横に振った。


「あんたが俺のことを何者と思ったのかは知らない。だが、俺はただの流れ者だ。カップそばが嫌いなわけじゃないし、喧嘩を売るために来たわけでもない。さっきも言ったように、何かがあんたの気に障ったのなら謝ろう」


 軍帽の男は、浮浪者の男を睨み続けた。だが、そのうち、徐々に視線を下げ、やがて男の手にしたカップメンを見つめるようになった。


 やがて、軍帽の男は、カップメンを受け取った。


「……俺の負けだ。悪かったな、疑っちまってよ」


「いいさ。気にするな」


 浮浪者の男はいつの間にか、地面に転がっていたはずの軍用水筒を手にしていた。それも軍帽の男に差し出す。


 軍帽の男は呆れたような笑みをこぼしながら、カップメンを持っていない方の手でそれを受け取る。それから、ふたりして立ち上がった。


「お詫びに俺がおごろう。入り直してくれよ」


 そういう軍帽の男に、浮浪者の男は黙って頷いた。そして、店の中へと戻っていく。



 残された群衆はしばらくしてようやく、我に返ったように、先ほどの決闘について、口々に感想を述べ合ったりした。


 しかしそのうち、一人、また一人と、テーブルに残ったひとつのカップメンへと視線が注がれる。


 彼らに残された最後の問題は、あのカップラーメンに誰がありつけるか、ということだった。

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