京都騒乱日記 花鳥風月編
日向寺皐月
四月 不可視の獣 その1
「あぁ、いらっしゃい……」
何処か蠱惑的な、甘くスパイシーな香りの充満している怪しげな見た目の店内。少女がそこへ恐る恐る入ると同時に、そう声が掛かった。
ビクリと肩を震わせる少女の視線の先には、レースに覆われた箱の様なカウンターが。その奥には、真っ黒な服を着た女性が薄っすらと見える。
「怯えないでね、お嬢さん。私は迷える貴女の味方よ?ほら、此方へいらっしゃい……」
そんな優しげな声に釣られる様に、少女はレースの中へ。キャンドルが幻想的に揺らめくその奥に見えるのは……
「私の名前はシェヘラザード。恋する貴女の為に……素敵なおまじないを教えてあげるわ」
左京区は下鴨半木町。そこにある京都府立植物園で、ウチ達は獣狩をしていた。正確には、獣”らしきもの”である。
「朱雀!多分そっち行った!」
「行ったって言われたって……!!」
神楽にそう言われたが、全然分からない。ごく普通の春の植物園だ。今は特妖課が人払いをしているが、それ以外は見えない。そう、何故ならそいつは――姿が全く見えないのだ。
話は数日前に遡る。
「やっほ〜、朱雀君」
「電話切って良い?」
四月の頭。春の暖かな陽気の下、
「まぁまぁ。んで、どうよその後は。妖力の暴走は収まった?」
「…………んまぁ、かなり慣れては来た」
「そっか。なら良しだ」
卜部班長はそう言って、電話越しに少し嬉しそうな息を響かせる。何せあのショゴス討伐後、ウチの妖力値がまた跳ね上がったのだ。まぁ考えてみたら、妖力を喰らって生きていた存在を倒したのだから無理は無いが。
その結果。肉体に変化は特には無かったが、能力がかなり不安定になった。何せ今までの約二倍の妖力値への上昇だ。放って置くと暴発するので、暫くお風呂に入るのも水を飲むのも覚束無いと言う有様だった。
それでも慣れてきた物で、今ではなんとか扱えるのだから不思議な物である。制御のし方さえ覚えてしまえば此方のものだ。
「で、何の用です?」
「あぁ、それなんだけど……朱雀君は"姿の見えない獣"の話って知ってるかい?」
「姿の見えない獣……?」
ウチが聞き返すと、卜部班長は肯定する。だが残念ながらウチは聞いた事は無い。
「そう。多分獣。数日前から洛中で目撃……と言うか遭遇報告が上がっててね。まぁ君は一応休み扱いだったから報告受けてないって感じか。兎に角ソイツは姿が見えないものだから、今まで対応していた陰陽師達が皆音を上げちゃってさ」
成程、手に余るからウチに回すと。だが。
「姿の見えない妖怪って……塗壁とかじゃ無くて?」
人間に見えない妖怪と言うのは、実際相当数存在している。代表例は塗壁で、それこそ何処ぞの御大があの蒟蒻みたいな姿で描くまでは、様々な想像上の姿で描かれて来た。因みに実際にはどうも不定形の存在で、単に妖力溜まりに存在するだけの妖怪らしい。
それ以外にも、姿はあれど目に映らない妖怪や殆ど妖力の塊の様な存在等等。能力者であるウチですら視認出来ない妖怪等、珍しくも何ともない。
「それがさぁ……どうも違うらしいのよ。今までの目撃談だと、例えば錦市の店主の前で突然食材が……あ〜、その……"食べられ"たりとか。噛みつかれたって報告もあるかな」
「食……べられた…………?」
確かにそれは前代未聞だ。姿の見えない妖怪が人間の食品を食べると言う報告はこれが初めてだろう。と言うか。
「……それ本当に妖怪なの……?」
「それも含めて分かんないんだよ。だからお願い!資料は特妖課に送っといたからね!」
有無も言わせず、そんな事を宣う班長。例によって拒否権は無いらしい。と言う事で、やりたくもない妖怪退治が始まったのだ。
「さて何処だ……?」
耳を澄ますと、何か重いものが近付いて来る音がする。見れば少しだけだが粉塵が上がり、何かが僅かに見えた。そこか。前にも思ったが、電気でも食わせたら姿が見えるかも知れない。取り敢えずウチはそれに向かって、虎鶫を横薙ぎで斬る。
「当たれッ!」
手応えと共に、"何か"の悲鳴が聴こえた。初めてのヒット。だが血は出ない。それ所か、不意に食い込んだ筈の感覚が消えた。
「駄目だ朱雀。やっぱり逃げてる」
「クッソ……またか」
交戦三度目にして、逃したのも三度目。今までとはジャンルの違う厄介さに、ウチ達も打つ手が無くなり始めた。
次の日。新学期の始まりであり、新しいクラスの発表日である。多くの学生にとってこの日は、その後一年の命運を決めると言っても過言では無い。まぁウチからすれば、別にどうでも良い日ではあるが。
そんな風に自分の名前を探していると、突然身体に衝撃が。見れば、同じ制服を着た少女が引っくり返っていた。リボンの色からすると、彼女は一年生だろうか。
「……大丈夫?怪我は」
普通ぶつけられた方がする質問では無いが、体幹はウチの方が遥かに上だ。まぁそう言う事もある。取り敢えず手を差し出し、起き上がるのを手伝う。
「あぅ……ご、ごめ――」
ふわふわとした栗色の髪をパタパタと振り、猫の様に真ん丸な瞳でウチを見たその少女は――
「――ぴ」
「ぴ?」
「ぴゃぁぁあっ!!」
…………なんとも愛らしい悲鳴を上げて、走って逃げ出した。それも全力で。漫画やアニメなら土煙が上がる位に。この黒島朱雀、確かに目付きが良い訳では無い。クラスメイトには偶に「……怒ってる?」と聞かれるし、犬や猫には逃げられるしなんなら子供にビビられる事もしばしば。だが。悲鳴を上げて逃げられたのはこれが初めてである。流石に些か……否、結構ダメージが来た。
「あれ、朱雀どした?」
ウチがダメージから回復する為に暫くフリーズしていると、聞き慣れた阿呆の声がした。翼である。
「……………………別に」
「ふ〜ん。それより、今年からクラス一緒だから宜しくね!」
「え」
「あ、神楽も一緒だよ」
全く持って聞き捨てならない衝撃の事実。ウチが慌てて確認すると、なんとまぁ確かに同じ2-Bにウチと阿呆二人の名前が。しかも。
「よく見たら担任大山先生じゃん。ラッキー」
……よりによって、部活と委員会の顧問の名前まであった。考えうる限り、最大の最悪である。その後の事はあまり覚えていない。
その日の午後。ウチ達は府警本部に居た。理由は簡単だ。あの不可視の獣の被害報告が溜まりに溜まり、やっと府警の重い腰が上がったのだ。なので報告をしに来たのである。
「……成程、そう言う事情でしたか」
そう言い、鮫島警部補は手帳を閉じた。
「んじゃつまり、朱雀の嬢ちゃんでも倒せない強敵って訳か……白旗でも上げるか?」
そう言い、阿呆の羆は両手を上げた。不真面目な奴だ。
「いっそ高電圧でも与えてみる……なんてのはどうだ?腹一杯になれば姿を表すかも」
「んな阿呆な。因みに首に鈴を着けるってのも、そもそも首の位置が分からないから却下だから」
「なんだ……先に読まれてたな」
羆はそんな事をほざいて椅子を回す。そして横のデスクに座っていた、初めて見る若い男に声を掛ける。
「う〜ん……どう思う?二階堂」
「どう思うって言われましても……自分来たばっかりですし」
「そう言やそうだな」
「ねぇ、羆」
ウチがそう言うと、羆はポカンとした表情を向けて来た。特妖課の一斑には、こんな堅そうな見た目の優男は居なかった筈だが。
「…………誰?」
「あぁ、そうか。朱雀の嬢ちゃんは初めてだな?此奴は二階堂。去年の暮れに本庁の捜査一課からこっちの普通刑事課に来たんだが……まぁ、"幽霊が視える"って分かって目出度くウチに配属ってなったんだ」
幽霊が視えるとはつまり、それだけ死者の念に囚われやすいと言う事だ。ウチや羆の様な能力者であれば、必ず持っている呪詛返しで少なからずそれを弾ける。だが、妖力が多いだけの場合はその限りでは無い。特に刑事の様な、死者と関わりやすい仕事であれば尚更だ。現場に必ず幽霊が残る訳では無いが、確実に残滓によって疲弊するだろう。
その点特妖課の仕事は多岐に渡る分、死者との関わりは薄い。メインの仕事は妖怪との折衝で、ウチ等の出張る様な切った張ったの仕事は中々少ないからだ。それに、もし万が一の自体が起きても対応出来る。そう言う意味でも、"視える"者が特妖課に来る事は多い。確か、黒田警部も同じく"視える"だけの人だった筈だ。
しかし本庁出身か。道理で堅い訳だ。そう思っていると、二階堂と呼ばれた男は深々と頭を下げて来た。律儀な男だ。
「どうも、初めまして。この四月に京都府警特別妖怪犯罪対策課に正式に異動しました、
「冬月……って、翼?」
ウチがそう言って振り向くと、翼はこくんと頷いた。
「そう。ほら、最初の配属は普通刑事課って言ったでしょ?その時にわざわざボクん家まで菓子折り持って挨拶に来たの。それに、朱雀の捜査の関係でボク普通刑事課にもよく行くじゃん。だからだよ」
成程、そんな繫がりが。と、警部補は手を叩いて場を引き締める。そして、ウチが渡した遭遇時のレポートを纏め、此方を見遣る。
「兎に角。この未確認の妖怪……モドキについては、我々も動く事にします。遭遇し次第、黒島さんに先ず一報を入れますので、それで宜しいですね?」
「お願いします」
頷くと、警部補は早速内線を回し始めた。どうも
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