第22話 毒リンゴの呪いの解呪法 ③

 ゴールデンウィーク明けの騒がしい一日が終わりを迎え、放課後にシイナは気分転換にジムに行ってくると口にして、囲まれる前に逃げるように帰って行った。

 これからについて誰かに相談したい気分だったが、シイナはいないし、佑二たちは部活だしで、選択肢的にもこういうときに頼れる相手が一人しかいないことを嘆くべきか、一人もいてくれることを嬉しく思うべきか、ため息が出てしまう。

 しかし、とりあえず渡瀬を捕まえるしかない。通学用のリュックを背負い、まだ自分の席で荷物の整理をしている渡瀬のところに行き、小声で話しかける。


「なあ、ちょっといいか?」

「なに、ユキちゃん?」

「ちょっと相談」

「いいよ」


 相談内容を聞かないまま渡瀬は了承してくれる。そして、手早く荷物を収めると鞄を肩にかけ立ち上がって、くるりと反転して「じゃあ、行こうか」と笑いかけてくる。

 その姿に思わず言葉を失う。普段は全く意識しないけれど、渡瀬も客観的に見れば美少女で、そんな渡瀬とこれから二人で帰ろうというのだ。思い返してみれば、渡瀬と二人きりというのはあまりないように思えた。

 学校の敷地を出て、並んで歩きながら、「それでなんの相談?」と渡瀬は切りだしてくる。そう尋ねながら首を小さく傾げる姿にいつもとは違いドキッとしてしまう。変に意識し過ぎているのかもしれない。


「これからのことについてかな」

「どういうこと?」

「まだ少し先の話だけど、文化祭のミスコンで優勝したいんだけど、どうすればいいと思う?」


 その言葉に渡瀬は固まる。しばらくして、腹を抱えて笑い始める。


「急にどうしたの、ユキちゃん?」

「まあ、ちょっと事情があってな」

「その事情って?」


 辺りを見回し、近くに誰もいないことを確認して、小さく深呼吸をする。


「シイナのためだよ。あいつが王子の仮面を外して、自分らしく過ごせるように、ちゃんとシイナと向き合ってくれって訴えたい」

「それで? 椎名さんはそれを望んでるの?」

「たぶんな。で、あいつがまたバレーに打ち込めるような環境を作ってやりたいんだ。そのためにできることならなんでもするつもりだ」

「ふーん……」


 渡瀬は目を細めて、じっとこちらを見つめてくる。


「ゴールデンウィーク前にも聞いたけど、椎名さんのこと、好きになった?」

「そんなんじゃないよ」

「そっか。じゃあ、協力してあげてもいいよ?」

「いつも悪いな」


 渡瀬はいつも話が早くて助かる。聞き分けもいいし、察しもいい。俺はそんな渡瀬に甘えているのかもしれない。


「それで、協力する代わりに私と付き合ってよ?」

「はあ? なんでそうなる?」


 驚きのあまり立ち止まり、声が大きくなる。しかし、渡瀬の表情は変わらない。冗談を言っているようにも見えない。


「私、ずっとユキちゃんのこと好きだったのよ」

「お前は女装をした“ユキ”が好きなんだろ?」

「そうだね。たしかに、きっかけはそうだけど、文化祭のころからずっと近くで見てきたから。優しくて、頑張り屋で頼りがいのあるとこ、かっこいいと思ってた」


 すぐに言葉が出てこなかった。渡瀬にそんな風に思われていたことに気付けなかったし、知らなかった。渡瀬の厚意に甘えていたつもりが、好意に付け込んでいたことになるのだろうか。

 どちらにしても、渡瀬に対しては嘘はつきたくないし、ちゃんと向き合うべき相手なので、しっかりと考えて答えを口にしないといけない。

 高校の入学式の日に、ちゃんと自分を見て告白してくれる人と付き合いたいと夢見た。そして、そんな相手が実際に現れた。それも美少女で性格もよくて、文句のつけようもない。俺も渡瀬のことは好きで、もし付き合ったとしても上手くいくだろうことはなんとなく予想できる。それだけでなく、来未や母さんも渡瀬のことを気に入っていて、親同士の関係も良好で断る理由が欠片も存在しない。


 それなのに、どうしてこんなときにシイナの顔が浮かぶのだろうか。

 シイナの繕わないむき出しの笑顔や、俺の前ではくるくると変わる豊かな表情。

 これはもうきっとそういうことで――。


「ごめん、渡瀬。お前のことは好きだけど、付き合えない」


 静かに重く、俺の言葉は確かに渡瀬に届く。渡瀬はきゅっと唇を噛みしめている。自分で断っておきながら、どうして苦しい気持ちに胸が締め付けられなければいけないのか。思わず視線を彷徨わせてしまう。


「なーんて、冗談だよ! 私が好きなのはかわいいユキちゃんで、それ以上でもそれ以外でもないもの」

「渡瀬?」


 顔を上げると、涙をためながらも真っ直ぐに俺を見つめ、無理に笑っている姿があった。そして、すっと手を伸ばしてきて、俺の頬に両手を当て、指で軽く引っ張ってくる。


「なにすんだよ?」

「ダメだよ、ユキちゃん。そんな表情したらダメ」


 そのまま渡瀬は俺に体重を預けてきて、肩口に顔をうずめてくる。


「ちょっとだけこのままでいさせて」


 渡瀬はそう言ったきり黙り込んでしまう。肩や頬に感じる渡瀬の存在が重く温かく感じられ、俺と渡瀬の間では初めて湿っぽい雰囲気に包まれる。一分もしないうちに渡瀬は「ありがとう」と、体を離した。そこにはいつもの渡瀬がいた。


「ごめんね。ユキちゃんへの協力は今まで通りするから、ユキちゃんも気にしないで、いつも通り接してよね?」

「あ、ああ。わかった」

「あとさ、付き合ってもらえないなら協力のお礼、何してもらおっかなあ? 本当は見返りなんていらないんだけどね」


 そう言うとクスクスと小さく笑い、「あっ、そうだ」と切り出してくる。


「私のこと名前で呼んでくれない?」

「まあ、それくらいなら。で、呼び方はどうするよ? 呼び捨て? ちゃん付け?」

「マユがいい」

「オーケー、マユ。これでいいか?」

「もっと女声で?」

「マユ――って、何をどさくさに紛れて、やらせようとするんだよ」

「いいじゃーん、これくらい。減るもんじゃないし」


 渡瀬はいつになく嬉しそうに笑う。逆の立場ならこうやって、すぐ笑えている自信はない。きっと渡瀬なりの気遣いで、本当に優しくて、世界中に自慢できるほどいいやつで――。


「じゃあ、マユ。ちょっとだけ付き合うけど、その代わり一つ聞いていいかしら?」


 俺がユキのときに使う声と口調で話しかけると、渡瀬は目を丸くする。


「う、うん。なに、ユキちゃん?」

「マユはアンケートは誰に投票したの? 私のこと、かっこいいって言ってくれたからにはあの一票はマユなのかしら?」

「ああ、私はユキちゃんの名前を書く勇気がなかったから無回答だよ。でも、もちろんかわいいはユキちゃんに入れたからねっ!」

「お前もかよ!」


 つい地の声が出てしまい、「えー、もう終わりー?」と渡瀬はわざとらしく不満そうな表情を浮かべる。


「まあ、いいけどさー。ねえ、私をフったおびに明日クッキー作ってきてよ。そうだなあ……口止め料も含めて、いっぱい」

「いっぱいって、お前な」


 そういう頼まれ方をすれば断れない。しかし、渡瀬が言いふらすようなことをしないと知っている身からすれば、この提案は違和感しかない。きっと引け目を感じている俺への当てつけか気遣いか、もしくはその両方なのだろう。


「わかったよ。で、どんなクッキーがいいんだ?」

「かわいくて、美味しいのがいい。他の人にも配るからそのつもりでね」

「それでいっぱいなのかよ」


 渡瀬は笑顔で頷くので、その作る労力を考えて少々ため息が漏れてしまう。


「じゃあ、帰ろうよ、ユキちゃん」

「そうだな、マユ」


 俺と渡瀬は、友達として、肩を並べ歩き始めた――。

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