第16話 自ら口にした毒リンゴの味 ①
アンケートで選ばれ、クラスの顔として取材を受ける日がやって来た。
放課後にA組から順番にということだった。俺とシイナはC組の代表なので三番目ということになる。
「いよいよだな。シロ、椎名さん」
「佑二たちは部活は大丈夫なのか?」
化粧前のスキンケアをしながら、佑二と吉野に尋ねる。
「今日はクラスの事情で遅れるって言ってるから。なあ、智也」
「ああ。さすがにどうなるか少し心配だからな。それに制服も貸しっぱなしというのはな」
吉野と同じように取材のことを気にしているお節介はクラスに多いらしく、ほとんどのクラスメイトが教室に残っていた。
吉野は一足先に部活用のウェアに着替えていて、着ていた制服はハンガーに吊るされクラスの女子の手によって霧吹きとドライヤーで丁寧にシワを伸ばされている最中だ。シイナもそれを手伝っている。
「じゃあ、そろそろメイク始めようか、ユキちゃん」
「ああ、頼むよ。渡瀬」
渡瀬は俺の前に座り、どこか楽しそうな顔をしている。渡瀬もまた下だけジャージに着替え、スカートはシワにならないように畳まれて、隣の机の上に置かれている。そこには他に渡瀬の用意したウィッグや、佑二から借りたカーディガンと購買で買ってきた黒無地の靴下などが用意されている。
渡瀬は化粧下地のジェルを伸ばしながら、
「やっぱりユキちゃんの肌は綺麗だよね。キメも細かいし、アラもないしで、こういうのを陶器肌って言うんだろうね」
と、口にする。それから三次から貰ったファンデーションをスポンジを使い塗っていく。
「ユキちゃんは肌が綺麗だから、変に色のついたのは避けて、自然な感じにする方がやっぱりいいね」
ファンデーションの後にパウダーではたいて仕上げると、「次はアイメイクだね」と渡瀬は口にしながら、メイク道具を持ち替える。文化祭のときはしっかりとしたアイメイクはしなかったので、今回が初体験で、少しだけ緊張してしまう。
「間近で見るとまつ毛長いなあ。綺麗な二重にたれ目も羨ましいけど、この涙袋もずるい」
「渡瀬、感想はいいけど手が止まってんぞ」
「ごめん、ごめん」
アイメイクの最中も、周囲には女子が集まって興味津々という視線を俺と渡瀬に向けてくる。
眉毛を整えペンシルで眉尻を足して、眉マスカラを塗っていく。次に目を閉じてと言われ、上まぶた全体から、涙袋のあたりにアイシャドウを乗せられる。それから目を大きく開け、ビューラーでまつ毛を上げ、次に目線を指示されながら、まつ毛の生え際や目尻にアイラインを引き、仕上げにまつ毛にマスカラを塗っていく。
アイメイクを終え渡瀬が一息つくと、女子が覗き込みながら感嘆の声を漏らしている。
「チークは今回はなしであとはリップかな」
そう言うと渡瀬は化粧ポーチからリップを取り出す。それは以前貰ったものだというのはすぐにわかり、渡瀬はそれをまじまじと確認して、一つ頷いてから俺の唇に塗っていく。
最後にミディアムボブのウィッグを付けて、ブラシを使って整えていく。
「できたよ、ユキちゃん」
そう言われ鏡を差し出される。そこに映ったのは女装をした自分――というより、きっと成長した来未や若いころの母さんに近い女の子という感じしかしない。なので、自分ではかわいいのかという判断がつかない。
周囲のクラスメイトからは「かわいい」「すごい」とぽつりぽつりと漏れた声が聞こえてきた。
その言葉を信じないわけではないが、
「ねえ、マユ。ちゃんとかわいい?」
と、アイドルをやったときのように声を変えて尋ねる。渡瀬はいつにも増して自然で嬉しそうな笑顔を浮かべながら、
「うん。すっごくかわいいよ」
と、返してくれるものだから、自信も出てくる。
「それにしても、マユって、久しぶりに呼んでくれたね」
「マユって呼ぶのはこっちの姿になった時だけだからね。気持ちを切り替えるスイッチみたいなものかな」
渡瀬は少しだけ寂しそうな表情をしているように見えたが、一瞬のことで気のせいだったかもしれない。
「ユキちゃん、まだちょっと早いよ。着替えがまだだよ」
渡瀬は隣の机からスカートとカーディガン、靴下を重ねて渡してきた。それを受け取ると、
「シロ、着替えは空き教室使いなよ。近くの教室押さえてるからさ。さすがに更衣室やトイレで着替えれないだろ?」
と、佑二が口にするので「ありがとう、助かるよ」とお礼を言うと、佑二はうっと驚いたような表情を浮かべ、すっと目を逸らした。
「早く行ってこい。椎名さんもシロと交代で着替えてきなよ」
「分かった。ありがとう、中田君」
シイナの隣を抜け、「こっちだよ、姫」とクラスメイトの男子に案内され近くの空き教室に。
着替えはすぐに終わったが、スカートは何度はいても慣れないなと感じてしまう。
教室に戻ると、「姫、かわいすぎるよー」「ねえ、写真撮っていい?」と女子に囲まれてしまう。
「今は勘弁して……。あっ、そうだ。ねえ、マユ! リボンなかったんだけど?」
「本当に? ちょっと待ってて」
渡瀬は自分のリボンを外して、そっと首に手を回してつけてくれた。そのままリボンの位置や傾きを調整してくれる。
「はい、これでばっちりだね」
「ありがとう。他におかしいところないよね?」
「うん、大丈夫だよ。すっごいかわいい」
そのやり取りに、「本当に女子だ」「女の子にしか見えない」と男子を中心に小声で話す声が聞こえる。普段はそう言われるのは嫌な気しかしないが、今は少しだけいい気分だ。
教室の扉付近が騒がしくなったので、そちらに目を向けると、シイナが着替えて戻ってきたみたいだった。女子から「かっこいい」「王子、素敵」と言われながら、俺のところまで来て、シイナは緊張した面持ちをしながら、
「どう……かな?」
と尋ねてきた。上から下までまじまじと見る。そこには普通にかっこいい男子がいた。
足が長いからか吉野のズボンの丈が合わず、やや腰で履いているのが気になるところだが仕方がない。逆にそれが着崩しになっているのか全体のきっちりした着こなしと相まって、堅すぎないちょうどいい印象を与えているように思えた。髪もワックスで毛束を作って自然に流していて、普段よりも女性っぽさが消えていた。
ただ、さすがにネクタイは慣れていないのか、結び目が少し雑で曲がっていた。イミテーションでないので難しかったのだろう。
「悪くない。けど、ネクタイがね」
「そうだよね? 結び方分からないから、スマホで調べながらやってみたんだけど難しいね」
「シイナ、ネクタイ直してあげるから、ちょっとだけ
その言葉にシイナは素直に従い、屈んでくれたので、手早くネクタイを締め直した。
「うん、これでばっちりだね」
「ありがとう、助かったよ」
シイナのお礼を聞きながら、ネクタイから手を離すと、ふいに周囲から視線が集まっているのに気づいた。その視線はどこか生暖かいもので、「あれって、新婚プレイだよね」という声とともに口元を押さえている女子もいて、今の姿だとそう見えるのかとため息が出そうになる。
そんな周囲の視線を気にせずにシイナは俺の方を真っ直ぐに見つめながら、
「シロ君は本当にすごいね。誰よりかわいく見えるよ」
と、褒めてくれた。なぜだかその言葉がとてもうれしく思えて、「シイナは誰よりもかっこいいな」と褒め返すと、なんだかおかしくて顔を見合わせて、見られていることを忘れて噴き出して笑ってしまった。
そこに教室の扉を軽くノックして、
「新聞部二年の
と、一人の男子が教室を覗き込みながら声を掛けてきた。
そのことに教室に緊張と不思議な期待感というべきものが一瞬で張りつめる。
シイナと向かい合ったまま、気を取り直し、アイコンタクトでお互いに最後の心の整理をつける。
これから俺は一人称を私に変え、クラスからは『姫』と呼ばれる女の子のユキになり、シイナは自分のことを僕と言い、『王子』と呼ばれているヒロという一人の男子になる。
程よい緊張を感じながら、一度目を閉じて深呼吸をして、頭の中を完全に切り替える。目を開けるとシイナと目が合い、頷き合う。
「じゃあ、行こう。ユキちゃん」
「うん、そうだね。ヒロ君」
二人並んでクラスメイトの視線に見送られながら教室から出て、深町先輩について廊下を歩いた。
表向きには自信満々に見せていたが、内心は緊張から心臓がバクバクで、指先が冷え切っているのを実感する。
そして、上手く乗り切れますようにと、小さく心の中で祈った――。
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