第7話 仮面の下にあるもの ①
文化祭の出来事に踏み込まれた日から数日後。
クラスを中心に俺は『姫』に『元アイドル』という属性が付け加えられ、より一層『姫』としてのポジションを不本意ながら確固たるものにしてしまっていた。
その日の最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、教室内には解放感と賑やかさが増していく。
最近、被害妄想かもしれないがクラスメイトの視線が気になってしまう。いつも誰かに見られているのではという感覚が付いて回っている。そして、シイナとよくいるので、セットで笑われているのではないかと勘ぐってしまうのだ。
実際はそこまでの悪意もなく、『姫』という記号を面白がって持ち上げているだけなのだろう。
そんなとき、佑二と吉野が「じゃあ、また明日な」と一言声を掛けて、そのまま部活に急ぎ足で向かった。そんな二人の姿を見送っていると、不思議と気持ちが落ち着いた。
通学用のリュックに教科書などを収め、帰り支度を整え終えて一息ついていると、以前マスカラを俺にくれた女子の
「ねえ、姫。最近、駅ビルの中に新しいスイーツ店が出来たの知ってる?」
「いや、知らないけど」
「そうなんだ。よかったら、一緒に行かない? 他にも何人か誘ってさ」
俺の返事を聞く前に本郷は視線を前の席のシイナに向ける。
「王子もどう? 王子が来てくれたら、姫も来てくれると思うんだよね。江田さんや大竹さんもどう?」
シイナはふっと振り返って、俺の顔を正面からまじまじと見つめてくる。そう言えば、シイナが放課後にそういう誘いを受けているのを見たことがなかった。シイナの返事の前に江田と大竹の二人は二つ返事で行くと了承していた。
「私も? そうなの、シロ君?」
「いや、シイナがいるからって、行くとは限らないからな。というか、俺は行かない。まあ、参考までにおいしかったかどうかだけ教えてくれ」
「姫は本当に甘いもの好きなんだね。今度、何か甘いもの持ってこようかな」
隣の大竹が盛り上がり、江田も「姫に餌付けでもするつもり? たしかに、小動物みたいにかわいくもあるけどさ」と一緒になって笑っている。
シイナはそんな二人の言葉が聞こえていないようで、「シロ君は行かないんだ」とぼそりと呟く。
「それじゃあ、申し訳ないけれど、私も遠慮しようかな。あんまり放課後にそういうことしたことなかったし」
「もしかして、王子って甘いものダメだった?」
「えっと、そういうわけじゃあ――」
「王子ってさ、中学の時もそういう誘いにあんまり乗ってなかったよね?」
「ああ、確かにそうだったかも。放課後のファミレスとか、休みの日に買い物にとか王子と行ったって話聞いたことなかったかも。なんか王子に気を遣わせたみたいでごめんね」
シイナの否定を表す言葉は江田と大竹の声にかき消されて、俺以外には届いていないようだった。そんな二人の話を聞いて、本郷だけが「そうなの、王子?」と確認のために尋ねる。きっと本郷は中学時代のシイナとは面識がないのだろう。
シイナは言葉が届かずに話が進んだ時は一瞬どうしようと困惑の色が表情に浮かんでいたが、今はもういつもの爽やかな笑顔を浮かべながら、
「うん、まあ、実際そういう店にはあまり行かないからね。こっちこそ気を遣わせたみたいでごめんね。そういうこと以外なら、できるだけ付き合ってあげたいんだけど」
そうあっさりと言い放つ。その堂々たる態度とさりげないフォローに江田たち三人はシイナに見惚れて、
きっと女子の思い浮かべる理想の王子像の一つとシイナは一致しているのだろう。
そして、それはシイナの普段の生活態度のせいもあるだろう。
日直の女子が黒板を消しているのを高い場所を中心にさりげなく手伝ったり、ノートなど物を運ぶのを手伝ったりとイチイチ優しくてかっこいいのだ。それが男子でも困っていたら手を差し伸べるが、線引きが絶妙で男子のプライドを傷つけることもなくて、誰から見ても限りなく公平で紳士的で。
「そ、そうだよね。それに王子を独占するのもね」
「それが許されるのはきっと姫くらいだよね、うん」
江田と大竹の二人はそう無理に納得しているようで、「じゃあ、また今度何かあったら」と本郷は言い残し、三人で教室を出て行った。シイナはそれを笑顔で手を振り見送っていたが、三人の姿が見えなくなると、すっと笑顔に影が落ちたように見えた。
その作り物のような笑顔が気になってしまう。もしかしたら、こいつは――。
「なあ、シイナ。それ疲れないか?」
「なんのこと?」
きっと他の人の目や耳がある場所で、今のシイナの王子の仮面ははがすことはできないだろう。
「じゃあ、帰るぞ。シイナ」
「うん、そうだね。って、私も?」
「他にシイナって名前のやつがこのクラスにいるか? 嫌なら断ってもいいんだぞ」
「ううん。嫌なわけないじゃん!」
そう言いながら笑うシイナの顔は、数秒前まで見せていた笑顔よりずっと幼くかわいく見えた。
リュックを背負い、教室から出て下駄箱に向かって歩き出す。そのすぐ後ろをシイナはピッタリとくっついて歩いてくる。移動教室のときもこの距離感なのですっかり慣れてしまったが、こうやって二人で歩いていると、ただでさえお互いに目立ってしまう容姿をしているので視線が集まりやすいのはまだ慣れることができない。
小さな男子と大きな女子。一年C組の白雪姫と王子。
きっと形容する言葉はそれ以外にもあるのだろう。きっと俺とシイナは噂を立てるのも広げるのにも話題を事欠かない二人組で。
「あなた、もしかして、
下駄箱までやってくると、椎名が突然ジャージ姿の女子に声を掛けられた。上履きのソールの色やジャージの色から話しかけてきた相手が二年生だということが分かる。
「はい、そうですけど」
「人違いじゃなくてよかった。まさか、あの椎名さんとこんな場所で会えるとは思わなかったから驚いてさ。椎名さんほどの選手ならどこかの強豪校に行ってると思ったから」
「それで、私に何か用でしょうか?」
声を掛けてきた先輩はちらりと俺の方に視線を一度向け、シイナに真っ直ぐに向き直る。
「単刀直入に言うね。よかったら、バレー部に入ってくれないかな? うちの高校のバレー部のレベルだと、椎名さんには物足りないかもしれないけれど」
「すいません。バレー部に入るつもりは――」
「そっか。本気でバレー続けるつもりなら、ここの高校にはそもそも来てないよね? もしかしてどこか故障でもした?」
「そういうわけでは……」
隣に立つシイナの顔を見上げると表情が曇っていくのが見て取れた。シイナがここまで露骨に表情に出すのは初めて見た気がした。
「そっか。なんかごめんね。もし気が変わったらいつでも部に顔出してね。いつでも歓迎するから。それじゃあ」
そう言うと、先輩は急ぎ足で体育館に向かって行った。きっとこれから部活なのだろう。シイナの表情は相変わらず強張っていて、何かバレーに嫌な思い出があるのかもしれない。
俺が今日の放課後に誘ったのはこんな表情をさせるためではなかったはずなのに。
「なあ、シイナ。とりあえあず、ここに突っ立っててもシイナはでかいんだから邪魔になるだろ? 帰ろうぜ」
「そういうシロ君は小さいから誰の邪魔にはならないね」
「うっさい。ほっとけ」
シイナはさっきまで浮かべていた表情が見間違いだったのではと思ってしまうくらい柔らかな表情を浮かべている。そのまま並んで靴を履き替えていると、隣からぼそりと「シロ君は何も聞かないんだね」と
その言葉を聞き流すこともできたし、聞こえなかったことにしてもよかった。だけれども、シイナを教室で誘った時点でこいつに一歩踏み込むと決めていたのだから、スルーするという気にはなれなかった。
きっとここで俺が踏み込まずに曖昧なリアクションを取ってしまえば、シイナはこれから先、俺に対して、もしかしたら佑二や吉野や渡瀬にも、他のクラスメイトに向けるような爽やか王子様スマイルを浮かべ、深入りさせないような上辺の付き合いをしてくるようになる気がした。
「じゃあ、俺が聞いたらシイナは話すのか?」
「シロ君にならいいよ。その代わりだけど、シロ君も色々話してくれる?」
「俺の何が聞きたいんだよ?」
「シロ君が本来なら嫌がりそうなアイドルをやった理由や、サッカー部に入らない理由を教えてよ。サッカー部には中田君や吉野君以外にも、先輩からも誘われてるんでしょ?」
その言葉にドキリとする。アイドルの件は置いといて、サッカー部の件は休み時間などに同じ中学出身のサッカー部の先輩に何度か勧誘されていた。サッカー部の強くない高校なので、経験者は一人でも多い方がいいに決まっているし、戦力として考えてもらってるのかもしれない。
「てかさ、お前、俺が先輩に勧誘されてたのよく知ってたな? 教室の近くとかで声掛けれたわけじゃないのに」
「私は背が高いからね。遠くで話してるシロ君くらいすぐに見つけられるよ」
「なあ、遠目に見るだけで会話の内容までなんで知ってるんだ?」
「あっ――」
「お前さあ、意味なく付け回してたのか? それはやめろよな。てか、なんでいつも俺の後ろにいたり抱きついたりしてくるんだよ?」
シイナは大きな体を
「もしかして、嫌だった? シロ君」
「そこまで嫌でもないから流してたけど、理由次第では今後は全力で拒否るわ」
シイナは困ったと言わんばかりの表情を浮かべ、一つ大きく息を吐きだした。
「とりあえず、歩きながらでいいかな?」
「ああ、分かったよ」
そう答えて、シイナと並んで校門を抜け、ゆっくりと放課後の道を歩き出した――。
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