第4話 過去の自分から送られる毒リンゴ ①

「なあ、佑二」

「なんだよ、シロ?」


 入学式から数日が経った昼休み。俺の机に軽く腰かけていた佑二がニヤついた表情を隠すことをせずに尋ね返してくる。


「なんでこんなことになったと思う?」

「そりゃあ、あれだ。シロが椎名しいなさんに助けられたことがきっかけだろ」

「やっぱりそうだよな?」


 佑二はうんうんと頷いて見せる。その椎名さんとは俺の前に座る女子で入学式の日に階段から落ちた俺を助けてくれた人で。


「で、吉野さあ」

「なんだよ、白崎?」


 今度は佑二の隣に立ち、少しだけ気まずそうにしながらもにやけ顔を隠し切れない吉野に声を掛ける。


「俺が椎名に助けられるハメになったのはなんでだっけ?」

「それは……俺の不注意とお前がチビだからだろ?」


 それを聞いた佑二が一人噴き出す。声を荒げて言い返してやろうと思ったとき、クラスメイトの女子が近づいてきて、


「ねえ、姫。ちょっといいかな?」


 と、当然のように俺のことを『姫』と呼びながら、会話に入ってきた。


「姫じゃないけど、何?」

「いやいや、王子とイチャつきながら、否定されてもね」


 そう言いながら俺の後ろに視線をちらりと向ける。そこには『王子』と呼ばれる存在の椎名しいな央子ひろこが、自分の席に座って頬杖をついている俺に後ろから抱きつくように寄りかかっているのだ。

 あの日からなぜか俺は椎名に気に入られて、度々こうやって抱きつかれたり、後ろを付いてこられたりするのだ。しかし、助けられて恩を感じているので邪険にもできないし、特に害もないので好きにさせている。

 そんな状況に対して、改めてため息をついた。


「それで何か用だったんじゃない? えっと……三次みよしさん」

「ああ、忘れるところだった。はい、これ」


 三次は手にしていた四角いケースを渡してきたので受け取る。


「で、これは何?」

「ファンデーションだよ。高校入学に合わせて新調したやつなんだけどさ、私には色が明るすぎて合わなくってさ」

「いやいやいや、それをなんで俺に?」

「だって、姫、肌白くてすっごいきれいじゃん? 透明感も色合いも質感も羨ましい限りだよ」

「だからって、俺に渡されてもどうしろっての?」

「えっ? そんなの使えばいいじゃん。もっとかわいくなれるよ。今度は姫に似合いそうなのを姫のために選んでくるから」


 そう言い残し、三次は立ち去って行った。俺の手には渡されたファンデーションだけが残された。

 こういう出来事がこれで三件目。今までに『姫』に貢がれたものは色付きリップとマスカラで、それぞれ「買ったのはいいけど色付きはつける勇気なくて、どうせなら似合いそうな人に譲りたかったの」、「いつもと違う色を間違えて買っちゃってさ、返品もできないし、もったいないから姫にあげるよ」と律儀に理由付きだったわけで。


「なあ、渡瀬。また頼むわ」


 椎名の席に座って、パックジュースに口をつけていた渡瀬が「はいよ」と俺からファンデーションを受け取ると、足元に置いていた自分の鞄からポーチを取り出してファンデーションを収めた。そのポーチは百均で買った俺用のポーチだそうで、ファスナーの間からは貰った覚えのあるもの以上の化粧品や道具がちらりと見えた。


「なんか増えてないか?」

「うん。半年前の例の動画見たっていう数人がさ、ユキちゃんにまたそういう機会があればって、一通り揃えてくれたんだよ」

「まじかよ……まさかお前が広げてるわけじゃないよな?」

「そんなことしないわよ。まあ、個人的には、またかわいい格好してもらいたいと思ってるけどさ。ユキちゃんが純粋にかわいいってことなんじゃない?」


 渡瀬はさらっと怖いことを口にするが、それよりもどうしてこなったと頭を抱えてしまう。

 ふと佑二と吉野を見ると、俺の置かれてる状況を楽しんでいるようで笑うのこらえきれずに声が漏れだしていた。それがどうにも腹立たしくて、むすっとしてしまう。そのどこに向けていいのか分からないいらだちをさらに助長しているのが、後ろでうんうんと渡瀬の言葉に頷く椎名の動きを俺の頭の上に置かれた椎名のあごから感じることで。

 そんな不機嫌オーラを露骨に出しても、


「あっ、姫がねてる。かわいい」

「本当だ。男の子だと思えないくらい姫はかわいいよね」


 と、隣の席に座る大竹おおたけとその前の席の江田えだの二人の女子には単なる興味の対象としか見えないらしい。きっとこれがクラスの大多数から見られている俺の評価で。


「俺は男だっての。てか、なんで俺が姫でこいつが王子なんだよ?」


 不満げに椎名のことを指差しながら、なんとなく二人に尋ねてみると、二人の目つきが変わり、背筋が寒くなるのを感じた。そして、二人はこちらに前のめりになりながら、俺の疑問に答える。


「だって、空から女の子がって、シチュエーションだよ?」

「そうそう。それを顔色一つ変えずに受け止めて、お姫様抱っこで人波をかき分ける王子様」

「ほんと素敵だよねー」


 二人の「ねえー」と相槌を打ちあう声が重なる。そんな二人の圧に戸惑いつつも、


「だから、俺は男だっての。それがなんで『白雪姫と王子』に繋がるんだよ? 白雪姫って、あれだろう? 毒リンゴとか魔女とか小人とかの」


 と、再度尋ね直す。俺の疑問は二人に届くも不思議がる理由が分からないと言いたげな表情をされる。そして、姫の質問なら仕方がないとばかりの渋々さで説明してくれた。


「そもそもさ、王子は前からずっと王子だったよね」

「中学のときからそう呼ばれてたよね。あれって、なんでだっけ? かっこいいから?」

「それもあるだろうけど、たしか名前の読み方を変えて、『オウジ』じゃなかった?」

「そうだっけ?」


 二人はどうやら椎名と同じ中学校だったらしく、その頃のことを思い返しているようだった。しかし、椎名が王子呼びされて、そういう扱いを受けてきた本当の理由は知らないらしくどうにも要領を得ない。


「そうなのか、椎名?」


 俺の確認の言葉に椎名は、


「うん。そんな感じだったと思うよ。小学校くらいからずっとそんな風に呼ばれてたから、誰が言い出したとか忘れちゃったよ」


 そう他人事のように答えて、はははっといつもより乾いた感じの声で笑っていた。その椎名の反応を見た大竹と江田の二人は「そうなんだ」と納得の表情を浮かべていて、二言目には声をそろえて、「さすが王子だね」と他意も悪意もない言葉を椎名にぶつける。

 そのことに椎名の指先に一瞬だけ力が入ったのが、俺からははっきりと見て取れた。


「椎名?」


 俺の心配する声をよそに、「なに? シロ君」と即座にいつものトーンに戻った声で返事をされる。そのことにホッとしつつも、今までは「ねえ」としか呼ばれていなかったのに、初めて名前を呼ばれたことが気になってくる。


「お前は俺をそう呼ぶのかよ?」

「姫やユキちゃんの方がよかった?」

「いやいや、それならそのままシロ君で頼むよ、まじで」

「うん。シロ君は私のことは王子って呼んでもいいんだよ?」


 そういう軽いノリの声に反して、抱きしめる腕がきゅっとわずかに絞まった。椎名は『王子』と呼ばれることに慣れているのかもしれないが、本人は思うところがあるのかもしれない。

 それにそもそも『王子』だなんて呼びたくない。もし仮に『王子』と呼んでしまったら、いよいよ俺は『姫』から戻る道を自分で閉ざすことになりかねない。


「絶対に嫌だ。シイナって呼ぶわ」

「そう? 私も好きに呼んでるから好きに呼んでくれていいんだけどねえ」


 シイナはいつも通りのトーンで受け答えしているが、笑う声音はとても嬉しそうだった。そしていつの間にかシイナの腕に入ってた力は抜けていて、心なしか背中から感じる体温も上がったように思えた。


「姫と王子って、本当に仲良しだよね」

「うんうん。美男美女の絡みは見てるだけでほっこりするというかなんというか」

「姫はかわいいし、王子はかっこいいし、目の保養にもなるよね」

「いやいや、俺はかわいくもなんともないだろ? だって、男だぜ?」

「またまたー。そうやって、すぐ姫は誤魔化すんだからー。謙虚なのはかわいいけどさー」


 そう言って大竹と江田の二人は楽しそうな声で笑い、「そうそう」と江田が思い出したかのように話を戻してきた。


「なんで白雪姫かって話だったよね? 姫が階段から落ちたあのときさ、誰かが姫のこと『シロ』、『ユキちゃん』って、呼んでたでしょ? それが繋がって聞こえてさ、シロユキがシラユキになって白雪姫。なんかしっくりくるでしょ?」

「言いだしたのお前かよ?」

「うん、そだよー」


 江田はどこか誇らしげに頷いて見せる。そのことに対して、文句の言葉を並べようが、拒絶の姿勢を見せようが、目の前の二人を含め、ほとんどのクラスメイトは俺のことを『姫』、シイナのことを『王子』というフィルターを通して見ているのだから、周り回って自分たちの立場を固める印象にしか映らないだろう。

 だから、それ以上は江田たちには何も言えなくなる。そのもどかしさの代わりに、視線を佑二と渡瀬の二人に飛ばし、


「きっかけお前らじゃねえか!!」


 と、最大限の文句を言う。ここにいる佑二や渡瀬、吉野とシイナの四人は俺を今後も『姫』扱いはしないだろうという確信があるので、素直に感情を出せる相手なのかもしれない。


「いやいや、シロ。あの状況だととっさに名前呼ぶのは当然だろ?」

「そうだよ、ユキちゃん」

「そうかもしれないけど、それがきっかけでこんなことになってんだろうが」

「白崎は文句が多いな」

「元はと言えば、吉野、お前が――って、シイナもひっそり笑ってんじゃねえよ!」


 背中越しにシイナが笑って体が揺れているのが伝わってくる。声を荒げて文句を言っているが、不思議とこの四人にだけは笑われても嫌じゃない。

 しかし、一緒になって隣で笑う江田や大竹、この会話を漏れ聞いて笑っているクラスメイトにも悪意がないのが分かるだけ面倒で、ため息が出てしまう。


「そういえばさ、姫。文化祭のアイドルもすっごいかわいかったよ。ほら、これ」


 そう大竹がつぶやいた瞬間、体が強張ってしまった。そして、こちらに向けられた大竹のスマホには有名動画サイトに投稿された動画のサムネイルが映し出されていて、ドクンと心臓が跳ね上がる。

 その動画のタイトルは『藤条北中学校の激ヤバアイドルライブ』、サムネイルには『かわいいうえに、ダンスのレベルが超ハイレベル!!』と目を引くようにキャプチャー画像の上に文字が表示されていた。

 きっと俺がどんなリアクションを取ろうが、もう何もかもが全て手遅れだったのだ――。

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