閑古鳥
空付 碧
episode.1
買い物帰り、私は小さな店を見つけた。町はずれも町はずれ、誰も使っていない建物が並ぶ古い通りに、息をひそめて佇んでいた。
赤レンガの基盤と焦げ茶の柱が、周りの朽ちている建物よりも呼吸をしているように見える。漆喰の壁の右側に木札が打ち付けられているのを見つけて、私はふらふらと近寄った。
「閑古鳥」
声をあげて笑ってしまった。ますます気になって、ドアを押す。重厚に見えた木製のドアは想像よりもずっと軽く、勢いよくドアベルが鳴った。
ひどく驚いてその場で固まってしまう。目だけで通りの様子を見るけれど、もちろん誰もいない。
店の中は昼なのに薄暗く、一人分ほどの幅の廊下がレトロチックに続いていた。静けさにベルの音がまだ響いている。
いっその事ドアを閉めてしまおうかと思った矢先、奥から優雅な足音と共に長身の男が現れた。
口角は上がっていて笑顔だけれど、眉は八の字を描き、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「こんにちは」
男は声を紡いだ。絹のような、滑らかな音だった。
「こんにちは」
「見ていかれますか?」
男は一歩引き、ドアに手をかけて尋ねる。紳士的な態度に慣れていないため、私は少しでも行儀良くしようと緊張する。
「はい、少しの時間で構いませんので、よろしいでしょうか」
男はほろりと笑った。
「どうぞ。狭くてすみません」
そう断って、男が先導する。私は猫背気味の彼の後に続いた。
閑古鳥という言葉から連想する雰囲気とは異なり、店の手入れは行き届いていた。廊下には埃一つ落ちておらず、板床は光沢さえみれた。右手の壁に、窓がある。小さな木がひとつ植わっていた。反対の壁には大きくも小さくもない魚の絵が飾られている。
「この町の方ですか?」
男は尋ねた。
「はい、先週引っ越してきたのです」
「あぁ、そうですか」
ところで、彼の言葉の紡ぎ方は非常に独特だった。慎重に注意深く、繊細な息遣いで柔らかい。例えばシャボン玉であったり、飴細工であったりを、自身の声で壊さないよう気を使っているようだった。
そうでなくとも、彼の声色は溶けやすい透明さを帯びていた。彼の言葉は耳にそっと運ばれる風のようでもあった。
間があり、また彼は口を開いた。
「町の人から、ここの事を聞いておりませんか?」
「いいえ」
私も努めてそっと息を出す。
「帰り道に散策をしていて、見つけたのです」
「あぁ、そうですか」
先ほどと同じ返答だったけれど、どこか浮かない声色に首を傾げた。
廊下を抜けると、京間十畳ほどの空間があった。中を見て声を失う。
三階まで吹き抜けてある壁という面すべてを、大小の棚が覆いつくしていた。黒いステンレス製のそれは、パズルのように組み合わさり、さながら解の出た数式だ。
実用的なものは、部屋の隅に一人用のテーブルと椅子があるきりで、棚の中には様々なものが整列していた。
瓶詰めにされた綿、試験管の中の砂糖、標本のコガネムシ、写真の中のケヤキ、剥製になったブンチョウ。
一貫性のないものたちが、それぞれが居心地の良い場所で、じっとしていた。三階の窓から柔らかな日差しが降り注ぎ、天井に吊るされたステンドグラスの欠片たちに反射して、床の上で転がっている。
彼はそれを踏まぬよう避けて部屋へと入った。は、といつの間にか開いていた口から息が出て、我に返った。
「何も知らずに来てしまったのですが、ここは何屋さんですか?」
圧倒されながらも空気を壊さないよう、ゆっくり丁寧に発音する。ふわりふわりと一音ずつ漂い、ステンドグラスの中へ溶けていった。
「ただの見世物屋ですよ」
振り返った彼の声が空気に広がる。切なささえ含んで聞こえた。彼は続ける。
「“死”を、保存しているのです」
彼の笑顔は繊細だった。異様なほど、この空間に合致した笑顔だった。私は戸惑う。
「死を、ですか?」
「はい、紛うことなき死です」
頭の中で言葉を反芻していく。私はそばのブンチョウを、おそるおそる観察した。黒曜のようにキラキラ輝く瞳は、好奇心にあふれた表情で私の事を見つめ返すけれど、微動だにしない。
「どうぞご自由にみられてください」
彼は言うと、静かに椅子に座った。脇の棚から文庫本を取り出してページを開く。動作に無駄がなく、習慣だと一目でわかってしまうほどに慣れたものだった。
彼が本を読みだすと、辺りはいよいよ静寂に飲まれていった。ブンチョウは相変わらずその場を動かない。隣に居座るアロワナは水中から冷めた目でこちらを見上げている。
ダイヤの8とスペードの6は手を取り合い、グラデーションに詰められた砂はまたたきながら互いと交信していた。モンステラの葉はガラスの中で眠り込み、雪の結晶は律義に手を伸ばして止まっている。
剥製が多かった。ウサギ、キツネ、イタチ、ネズミ、ヘビ、カワセミ、カラス。水のものもある。ヤマメ、アユ、ナマズ、サンショウウオ。各棚に自分の場所をサイズぴったりに取り、どれもこれも次の瞬間には動き出すための緊迫感を持っている。けれど、その瞬間は、永遠に来ない。
一階から見えるものを一通り見渡して、私は男に向き直った。数歩近づくと、彼は顔を上げてほほ笑んだ。
「退屈でしょう?」
「まさか、とんでもないです」
率直に感想を伝えると、彼は曖昧に笑った。
「ただもう帰らなければならないので、本日は失礼します」
「あぁ、そうですか」
柑橘色の空が、ドアの外で待っていた。見送ってくれた彼にお辞儀をして、家に向かって歩き出す。途中で大きく息を吸い、はぁと全部吐き出した。心拍はしばらく収まりそうにない。
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