〝獅子〟の剣/2

 明け方――。

 レグルスは弾かれたように目を覚ました。辺りはまだ暗い。

(……もう一度、寝よう)

 シーツを被り、横たわる。が、なかなか眠れない。


(あー! もう!)


 眠れない苛立ちにシーツを乱暴に蹴り飛ばし、起きあがる。

 頭をがしがしと乱暴に掻き、サイドテーブルに目線を落とす。

 そこにあるのは、蓋には美しい模様が彫られ、首にかけられるように細いチェーンがついた金の懐中時計。

 レグルスとセレンの養父であり、アーロウの実父であるクーパー・ケンタウロの形見だ。

 その蓋を開け、中を見る。短針は『Ⅴ』。長針は『ⅩⅡ』を指していた。

 サイドテーブルにあるデジタル表記時計も、午前五時を示している。

(まだ、ぐーすか寝る時間帯じゃねえか)

 ため息をつき、肩をすくめた。

 レグルスは懐中時計の蓋を開けては閉め、開けては閉めを繰り返す。


(これ、クーパーさんの癖だったな……)


 クーパーも懐中時計を出すと手持ちぶさたなのか、同じことをやっていた。

 幼いレグルスには、その仕草がかっこよく見え、

「いらなくなったら、ちょうだい!」

とクーパーにねだったが、

「だめだ」

 と彼は言った。

 何度もねだり、何度も断られた。

 ところが、亡くなる三日前。この懐中時計を受け取った。

「これ……欲しがってただろ?」

 その声は弱々しく、掠れていた。

「大切にするよ」

 レグルスが明るく答えると、クーパーは嬉しそうに微笑を浮かべていた。


 そして、養父クーパーは逝ってしまった。

 出て行ってしまった息子アーロウと再会することもなく。


(クーパーさん、アニキが帰ってきたよ)

 心の中で懐中時計に呟くと、蓋を閉めた。

 ふと思う。

(そういえば……。アニキ、あの後どうしたんだろ?)

 夕食はいつものように子どもたちととらず、自室だった。セレンが食事を持ってきてくれたが、彼女はなにも言わなかった。

(アドニスとちびたちには、わるいことしたな……)

 ちょっと大人げなかったよな、と反省する。みんなは、さぞ気まずい思いをしただろう。

(情けねえ……)

 考えれば考えるほど、自分のみじめさが浮き彫りになってくる。

(あー! 考えんのはやめだ!)

 気持ちを落ち着かせようと思い立ち、レグルスはベッドから降りた。



        ――§――   ――§――   ――§――



 寝間着代わりに使っているシャツとハーフパンツを脱ぎ、黒のタンクトップに灰色のズボンという簡単な服装。黒い革靴を履き、懐中時計をポケットに突っ込んで、部屋を出る。そして、教会の出入口から見て右側最前列の会衆席――自分がいつも座る指定席へと向かった。


(なんだ?)


 そのすぐ後ろの会衆席にある黒い塊に目が留まる。

 おそるおそる、近づいた。薄暗いが、レグルスには造作もない。

 ギッ、ギッ、ギッ……傷んだ床の音が不気味に響く。

 黒い塊のところまで近づき、のぞき込もうとした瞬間、がんっ! と鈍い音が教会内に響き渡った。


「――ってえ!」


 頭をおさえ、その場にうずくまる。

 レグルスは目尻に涙を浮かべ、痛みをこらえながらも、

「なにしやがんだよ!」

 相手を鋭く睨みつけ、怒鳴り声を上げた。

「そ、それはこっちの台詞だ……」

「ア、アニキ!」

 黒い塊の正体はアーロウだった。彼も涙を浮かべ、頭をおさえている。頭が互いにぶつかったようだ。本当は素直に謝りたいが、謝ったら負けのような気がしたので、レグルスはそっぽを向き、口を尖らせる。

「まだ、怒っているのか……?」

 レグルスは答えない。

 二人の間に気まずい沈黙が流れたが、そう長くはもたなかった。

「……ずっと、ここにいたのか?」

「いや、子どもたちとセレンと一緒に夕食をとった。俺の部屋は、子どもたちの部屋になってるから……寝る場所がなくてな」

 レグルスの顔色をうかがっているせいなのか、アーロウの歯切れはわるい。


「……客間使えよ」


 レグルスは肩をすくめる。そもそも自分の家なのに、なにを遠慮することがあるのやら。

「セレンにも言われたよ。けど、父さんの部屋だった場所に眠る気がしなくてな。毛布を借りて、ここに……」

「意地っ張りめ」

「意地っ張りは、お前もだろ?」

「ちがう!」

 レグルスはアーロウに顔を向け、否定する。

「ちがわない」

「十年も帰って来なかったアニキに言われたかねえ!」

「十年も経ったんだ。水に流してくれてもいいだろ?」

「流せるか!」

 今度は、アーロウがため息をつく。

「その頑固さ、父さんに似てるよ」

「それはアニキだって同じだろ?」

「ちがう」

「同じだ!」

「ちがう!」

 押し問答の末、アーロウがいきなり吹き出した。


「な、なんだよ」


 突然吹き出したアーロウにレグルスは困惑する。

「すまん、すまん。――覚えてるか? レグルス」

「なにを?」

「昔、おやつがひとつしかなかった時があっただろ?」

「ああ」

「俺はおまえにやると言ったけど、おまえは俺に譲ろうとした」

「ああ、あったな」

 レグルスは懐かしそうに目を細めた。アーロウも懐かしむような眼差しで語る。

「譲り合いをしていたら、いつの間にか言い合いになった」

「おれは『どうして素直に受け取らねえんだ! ばかアニキ!』って言った」

「そうだ。俺は『年上だから、年下の面倒を見るのは、あたりまえだ!』と言い返した。だが、おまえは『年下は、年上をたてるのが役目だ!』と返した。正直、びっくりしたぞ」

「あの時のアニキの顔は、おれに一本とられたって感じだった」

「それが悔しかった。あげく手を上げて、取っ組合いの大喧嘩」

「おやつ、そっちのけでな」

 レグルスは苦笑する。

「目に涙をいっぱい溜めたセレンが父さんを呼んできて……」

「クーパーさんの雷が落ちて、『おまえら、おやつ抜きだ!』って言われたんだよな」

「父さんに『ひとつしかないのがいけないのに』って言ったら、余計に怒ったな」

「おれまでとばっちり。なんも言ってないのに」

「でも、セレンが『おやつを三等分すれば、平等に食べられます。お願いです、父さま。兄さまとレグルスを許してあげてください』って泣きながら言ってくれて」

「そうそう。クーパーさん、セレンには甘くってさ。おれ、思ったぜ。『態度、ちがうじゃねえか!』って」

「思った、思った」

「その時のセレンが『よかった』って、まるで自分のことのように笑うから。ばからしくなって……」

「…………」

「でさ――。アニキ?」

 急に黙り込んでしまったアーロウにレグルスは首をかしげる。


「レグルス。この十年、本当にすまなかった」


 アーロウは唐突に頭を下げた。

「な、なんだよ。急に!」

「おまえとセレンに苦労をかけた。俺のせいで……」

「い、いいよ! 頭、上げてくれよ!」

 アーロウは頭を上げる。レグルスは「あー」と天を仰いだ後、言う。

「……やっちまったこと、過ぎたことをいつまで悔いても、もとには戻せないだろ」

 アーロウは目を見張る。レグルスは続けた。

「時間はかかるけど、やり直すことはできる。生きてるうちは、さ」

 照れくさそうに、レグルスは頬を掻く。

「おれも帰ってきてくれて、嬉しかったんだ」

 おかえり、と言ってあげたかった。だが顔を見た途端、喜びよりも怒りがやってきた。それは「ガキじゃねえんだから……!」という恥ずかしさとそれを抑えようとする自制心と、「おれたちを置いていきやがって!」というところからやってきたせいかもしれない。

「あんな態度とって、わるかったよ。アニキ」

 レグルスは右手を差し出す。アーロウは思わず、懐かしさに目を細めた。

 それは、仲直りの握手。喧嘩した後のお約束だった。

「ああ。あらためて……ただいま」

「おかえり」

 アーロウがレグルスの手を握った。――と。


「……い、痛いぞ」


「気のせいだろ?」

 レグルスは笑みを浮かべている。

「いや、気のせいじゃない……!」

 アーロウは訴えるが、レグルスは笑みを張りつかせたまま、さらに力を加える。

「うぐっ!」

 あまりの激痛にアーロウは眉をしかめ、

「わるかった! 頼む! 離してくれ!」

 とうとう叫んだ。

 レグルスは手をぱっと離した。

 アーロウは赤くなった左手をぶらぶらと振る。

「おまえ、すこし加減しろ」

「ふん! この程度ですんだんだ。むしろ感謝しろよ」

 どかり、とアーロウの隣に腰を下ろした。そんなレグルスに彼は苦笑する。

「レグルス――」

「ん?」

「――父さんは、なにか言ってたか?」

 ケンタウロ父子は最初から仲がわるかったわけではない。

 それが起こるまでは、レグルスとセレンとともに仲良く暮らしていたのだ。

 ところが、ある日のこと。


「軍人になりたい」


 とアーロウが言い出した。そして、この一言をきっかけに互いに対する口数が減った。

 口を開けば口喧嘩。ひどい時は、クーパーの鉄拳が飛んでくる始末だ。


 そして、アーロウが十七歳となる年――彼は教会から姿を消したのである。


 あの時のアーロウは若く、ひたむきであった。

 軍人になれば暮らしが豊かになる、父さんたちを食わせてやれる――そう信じていたが、そんな彼を待ちかまえていたのは、厳しい現実と己の浅はかさだった。だが父に「軍人に絶対なってやる!」と大口を叩いた以上、すぐに帰ることはできなかったのだ。

 五年前。父が亡くなったことを知ったアーロウは心の底から後悔したが、教会――家に帰る勇気がなかったのである。


「アニキのことを気にしてたよ。『あいつは今どうしてるだろう』、『わしみたいに、なってなきゃいいけどな』って」


 レグルスはすこし悲しげな表情を浮かべる。

 クーパーはレグルスとセレンになんの説明もしなかったが、二人は幼いながらも「もう、アーロウはここには帰ってこないんだ」と察していた。当時九歳だったレグルスにとって、この『信頼していた兄の裏切り』は衝撃的な出来事だったのだ。

「俺、父さんの気持ちも知らずに『軍人になりたい』なんて言ったんだなって、手紙を読んで思ったよ」

「誰から?」

「父さんからの」

 レグルスは目を見開く。アーロウは続けた。

「俺が世話になった人が父さんから預かっていたんだ。『この手紙が届いている頃、自分はもうこの世にはいない』っていう文面で、父さんが死んだってことを知った。――レグルス、おまえ知ってたか?」

 クーパーはこの教会で牧師をやる以前は軍人だったそうだ。軍役から遠のいても軍事顧問として携わっていたようで『生涯軍属』と信じて疑わなかったらしい。

 だが、そんな彼に転機が訪れる。


 オンブラの悲劇。


 今から遡ること、十六年前。クーパーの故郷であった村が壊滅した惨劇である。彼は亡くなった者たちの鎮魂のため、牧師となった。

 その生き残りがレグルスとセレンである。二人は養父が書き残した手紙でそれを知った。

 手紙には、その他にも軍人になることを反対した理由と息子を気遣う言葉が書き記されていたのだ。

「……クーパーさんがまだ生きてる間に届いたとは思わなかったのかよ」

「思わなかった」

「なんで?」

「父さんは生きてる間、そんな手紙を書くなんてことしないと思ったからさ」

「……いろいろあったんだな」

「おまえだってあるだろ?」

「んー、まあ……」

 あさっての方向を見ながら、レグルスの頭にセレンの顔が浮かんだ。

 その時だ。


「おはようございます」


 セレンが居住スペースから現れ、二人に挨拶する。朝のお祈りだろう。

「おはよう」

「おはよう、セレン」

「二人とも、ずっとここに?」

「ああ、まあ……」

「話が盛り上がっちまってさ。――なあ?」

 アーロウに振ると、彼はうなずいた。

 すると、レグルスの腹が盛大に鳴る。

「……あー、朝メシまだ?」

 照れくさそうなレグルスに思わず、くすっと笑うセレン。

「朝のお祈りがすむまで、待ってね」

「そっか。じゃあ、おれもお祈りしようかな」

「兄さまは?」

「そうだな。俺もお祈りしよう。――昔みたいに」

 クーパーがいた頃は朝、昼、晩のお祈りは欠かせないものだった。

「十年ぶりの再会に。そして、父さんに祈ろう」

「ああ。おれたちがこうやっていられるのも、クーパーさんのおかげだ」

「はい」

 三人は会衆席に座り、目の前にある十字架に向かって、祈りを捧げた。



        ――§――   ――§――   ――§――



 祈りを終え、居住スペースに戻ると、すぐに朝食となる。

 その前に、レグルスは少年と子どもたちに昨日のことを詫びた。しかし、彼らはさほど気にしてはいないようだ。ただ、レグルスとアーロウがいつの間にか仲直りしていることを不思議がっていた。

 朝食を食べ終えた子どもたちは、居住スペースから飛び出して行く。

 レグルスとアーロウはひと息つき、セレンは食器を洗い始める。食器を洗い終わると、彼女は二人に茶を出し、レグルスの隣に腰を下ろした。


「――アニキ」


 レグルスが口を開く。

「おれに、なにをして欲しいんだ?」

「……引き受けないんじゃなかったのか?」

 アーロウは悪戯っぽく言った。

「気が変わった」

「ありがとう」

 レグルスが引き受けてくれることにアーロウは感謝した。さっそく彼はポケットの中から小さな立体映像機をテーブルに置き、スイッチを押す。


 映し出されたのは、ひと振りの剣。


 剣は黄金の鞘に収められており、鞘には細かく美しい装飾が施されている。柄の部分も鞘と同じく黄金だ。

「きれい……」

 ほうっ、とため息をつくセレン。


「映像に映し出されているのは模造品レプリカだが……本物が見つかったんだ。――剣の名前は、ヘラクレス。これをさがしてほしい」


「……武器収集でもはじめたのか?」

 映し出されている剣は武器収集家ならば、喉から手が出るほど欲しがりそうな剣である。

「いや。俺は、ある人からおまえに頼んでほしい、と頼まれただけなんだ」

「ある人って誰だよ」

 レグルスは至極もっともな質問をする。

「そのことについては、訊かないでくれ」

「なんだよ、それ!」

「その人はこの剣の本物が見つかったから、それを欲しがっているんだ」

「ふうん。その依頼人は、ずいぶんと気に入ってんだな。――模造品もあるのに」

 レグルスは「納得できない」という表情を浮かべながらも、映像に映る剣に視線を移す。


 どくんっ!


 その瞬間、レグルスの心臓が大きく脈打つ感覚が襲いかかった。思わず、左胸を抑える。

 痛みはない。ただ、胸が急な熱を帯びたような感覚だった。

(なんだ?)

「どうした? レグルス」

「いや、なんでもない」

 そう答えるも、しばらく映像に映る剣から目が離せないレグルスであった。


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