02.08.黒タイツ・シェルター

 もう朝か……

 なんだ、いつもの僕に戻れば普通に眠れるんだ……


 「とおるちゃん、凄い寝癖よ。鏡見てきたら?」


 リビングに降りたら義母かあさんからそう言われたんだけど……、どうでもいいかな。皆んなには見えないから。でも、義母かあさんにはまだ見えてるんだ。家族だから、かな。ありがと、義母かあさん。


 「とおるちゃん、聞こえてる?」


 声は……聞こえないのか。


 「凜愛姫りあら、一緒に行ってあげたら?」


 「……」


 凜愛姫りあらはここには居ない。凜愛姫りあらは……


 「ごちそうさま」


 「ちょっと、凜愛姫りあら


 そして、そのまま家を出ていった。仕方ないよ、彼には僕の事が見えてないんだから。


    ◇◇◇


 「あっ、また……」


 命を無駄にしないでねって言ったのに。多分、これから毎日だよ? 僕は大丈夫なんだから。


 「異臭がするというので確認に来たのだけれど……、貴女が発生源のようね」


 異臭かぁ……

 臭いとか、教室が腐るとか噂された事はあったけど、こう面と向かって臭いって言われたのは始めてかも。髪の長い黒タイツの女の人。綺麗な人なのに、きついこと平気で言うんだね……


 「来なさい」


 腕を引っ張られる。臭いって言ったのに何で? 何で触れるの?


 「こんな稚拙な悪戯する人間の気持ちはわからないけれど、気付かずに履いてしまう貴女も貴女よ」


 「悪戯?」


 「気づいてなかったのかしら?」


 「毛虫君……のこと?」


 「毛虫がこんな悪臭放つわけ無いと思うのだけれど」


 聞こえてる?


 「僕の声が……聞こえてる……」


 「当たり前じゃない。それより、異臭の源を何とかしないといけないわね。サイズは? 買ってきてあげるわ」


 「サイズ……、ああ、毛虫君……。大丈夫です、自分で行けますから。昨日も入ってきちゃってたから」


 「私の経験上、毛虫が入ってくるなんて事は無いと思うのだけれどね」


 「そう、なんですか?」


 「それに、今、貴女の上履きに入っているのは糞よ。犬か何かのね。流石に自分から入ってくるなんてこと有るわけ無いと思わない?」


 「うんち……」


 「これを使うといいわ」


 渡されたのは、除菌シート。


 「一気に流して詰まらせないようにね」


 「あの……」


 何でこの人は僕に優しくしてくれるんだろう。


 「天照あまてらす 神楽かぐら。生徒会長よ」


 「生徒会長……」


 「入学式で会っているはずなのだけれど、まあいいわ。貴方は?」


 「僕は……姫神ひめがみ とおるです」


 「姫神ひめがみさんね。覚えておくわ」


 生徒会長だったのか。言われてみれば、入学式の時に見かけたような気がする。

 ともあれ、通りすがりの生徒会長さんの厚意に甘えてトイレへと向かう。個室に入って踏んでしまったうんちを拭き拭きしていると、数人の女子が入ってきた。


 「聞いたー? 特選の姫神ひめがみって娘ー、男子トイレにセフレ募集の広告出してるらしいよー」


 「聞いた聞いた。誰でもいいとかすごいよね。可愛い顔してどんな性欲してんだか」


 「でさ、体育館の用具置き場でヤッてるらしいのよ。変な声が聞こえてきたって言うし、マットにも変なシミが出来てるんだって」


 特選の姫神ひめがみって僕のことか。そんな広告があるからこんな事に。


 「っていうか、超臭くね?」


 「まあ、トイレだからね。登校早々大でもしてるんでしょ」


 まあ、大には違いないけどさ。


 「そういえばー、今朝特選の下駄箱付近で異臭がしてたよねー」


 「してたしてた。足臭いのが居るんだね。その姫神ひめがみって娘だったりして?」


 「マジで? 可愛い顔して足が超臭いとかマジうける」


 足じゃないんだけどね。


 「あ、天照あまてらす会長」


 「おはよう」


 「「「おはようございます」」」


 「あなた達、姫神ひめがみさんを見かけなかったかしら」


 会長、タイミング悪すぎ……


 「いえ、見かけていません」


 「個室かしら。姫神ひめがみさん?」


 「……」


 「居ないのかしら……。姫神ひめがみさん?」


 「……はい。ここに」


 「居るじゃない。上履きを買ってきてあげたわよ。異臭の元はどうにかできたのかしら?」


 「まあ、なんとか」


 はぁ、さっきの女の子達がクスクス笑いながらトイレから出てったよ。変な噂になるんだろうな……

 あれ、何でこんな事思ってるんだろう……

 噂なんかどうでもいいのに……

 会長に優しくしてもらったからかな……。やっぱこんなの嫌だって……、ボッチは嫌だって思えてきて……


 「そう。私、こう見えて多忙なの。上履きはここに置いておくから、あとは大丈夫よね」


 「はい。ありがとうございました」


 昼休みには早速変な噂が広まっていた。どうやら僕の名前は “うんち姫” になったみたいだ。勿論、面と向かってそう呼ぶ人は居ないけど、噂されてるのが僕の事だって事くらいは解る。『近くに居ると臭う』らしく、『触ると臭いが移る』らしい。

 お陰で変な男子も近づいてこなくていいんだけど、小学生レベルか?


    ◇◇◇


 そして放課後。


 「入学早々セフレを募集しているようだけれど、事情を説明してもらえるかしら?」


 僕は会長に呼び出され、生徒会室で尋問を受けていた。


 「全く身に覚えが無いので何とも……」


 「そう。安心したわ。今朝の件から推測するに、セフレ募集の件も誰かの嫌がらせでしょうね。心当たりは無いのかしら?」


 「特には」


 まさか伊織いおりがそこまでするとは思えないし。入学したばかりで誰かに恨みを買うようなことはしてないと思うんだけど。


 「他に受けている嫌がらせは?」


 「教科書に落書きされたり、体操着に落書きされたり、教科書隠したことにされたり、あとは……、“うんち姫”って呼ばれてたり」


 “うんち姫”に関しては会長にも多少なりとも原因があるんだけど。


 「いろいろされているのね。少し調べてみようかしら」


 「こういうのは慣れてるので大丈夫です」


 「そうは行かないわ。生徒会長としてこんなこと見過ごすわけにはいかないもの。それに、私好みの女の子にこんなことをして、只で済まされると思っているのかしら、犯人は」


 「私好み?」


 「あら、そんなこと言ったかしら?」


 そう聞こえた気がしたんだけど、強く否定されると聞き違えだったような気もする……


 「とにかく、困ったことがあったら相談に乗ってあげるから、いつでもここに来るといいわ。それから、会話を録音する事を心掛けなさい、証拠としてね。酷いことを言われたら私に送ると良いわ。何とかしてあげるから」


 なんて優しいお姉さんなんだろう……

 胸がキュンキュンしちゃうんだけど……


 「姫神ひめがみさん、聞いてるの?」


 「は、はい。録音して会長に送ります」


 こんな人が居て、いつでも来ていいなんて言ってもらえるなら……、学校に来るのも楽しいのかもしれない。少なくとも、中学の頃よりは……

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