第133話 チコラ

 無知は罪とも言うけれど、これはあんまりじゃないのか。言葉の端から察するに、彼女は今まで、金貨というものを目にした試しがなかったのでは?

 狐人族の少女になんと言葉をかけたら良いか迷っているシマに代わり、スルナが軽く膝を折ってカウンターの前に立っている少女と視線の高さを合わせ、柔らかく話しかけた。


「狐人族のお嬢ちゃん。俺は冒険者のスルナだ。お嬢ちゃん、名前は?」

「……チコラ」

「チコラか。チコラはもしかして、ノスフェルから来たのか?」

「はい、そうです」


 あんまりセントロに住んでいない種族だって言ってたもんな。スルナがそう聞くんだから、ノスフェルに多いのは知られてるってことか。

 彼女が頷くのを待ち、今度はその掌に握りしめられたままの金貨をそっと指さして尋ねる。


「その金貨は、チコラが何かの仕事を手伝って得た報酬だろう? それをチコラにくれたのは誰か、教えてくれないか」


 チコラは少し戸惑った表情を見せたものの、店主であるシマが「教えてもらえる?」と言葉を重ねたので、おそるおそると言った様子で口を開いてくれた。


「チコラに金貨をくれたのは、[無垢なる旅人]の『九九クク』って人間ヒューマンです」

「「九九!?」」


 驚く俺と杠の声が綺麗に重なり、俺達は、互いに顔を見合わせる。


「シオン、九九を知っているの?」

「あぁ、同期組だよ」

「え、そうなのか?」


 首を捻る炎狼に初日にホルダ王城で集まった時のことを説明すると、その時のことを思い出したのか、ポンと掌を打って「あの時の白い髪の子か」と呟く。スルナはちょいちょいと指先で俺と杠を交互に指さす。


「……お二人さんの、共通の知り合いか?」

「真っ白い髪で、おれの胸ぐらいの背丈で、サモナーをしている[無垢なる旅人]の『九九』なら、間違いない」

「私の知ってる九九も同じよ。チコラ、どうかしら?」


 杠の言葉に、チコラはまたもや、俺達に向かってこくりと頷き返す。

 えええ……マジか。


「こんな、詐欺みたいなことをやる相手には見えなかったんだけどなぁ」

「同感。それに九九は、ノスフェルに獣人達を助けに行ったはずよ。チコラに酷いことをするのはおかしいわ」

「……獣人達を助けに?」

「ノスフェルに一回行ったことがあるって言ったでしょ? その時に同じ依頼を受けて、ホルダから同行したのが九九なの」


 二人が受けたクエストはノスフェルの首都テオに物資を運ぶ商人をホルダから護衛するもので、九九は師匠となってくれたNPCの召喚士『ヨエル』から出された課題の一つとして、それを引き受けていたそうだ。


「ノスフェルは、獣人迫害が根強い国だわ。種族によっては、店で買い物ができないばかりか町に入ることすら拒否される地域もあったりもするらしいの。九九はそれをとても憂いていて、護衛クエストが終わったあとは、獣人達の地位向上を目指す活動家達に協力するつもりだって話してた」

「……成るほど」

「しかし……そんな『九九』が、何故チコラに偽金貨を渡すんだ?」


 炎狼の疑問は最もだ。

 この世界のNPCだけではなく、[無垢なる旅人]の中にだって色んなプレイヤーが居る。現実ではないという感覚も相俟って、安易に犯罪に走ることもあるだろう。

 それも一つのロールプレイと言ってしまえばそれまでなんだが、何というか、やることが姑息すぎるよなぁ。

 俺はスタンピードの迎撃に向かう直前に、ハヌ棟の廊下でぶつかった九九との遭遇を思い出す。召喚獣の餌と回復薬を両手に抱え、市民を守ろうと急いでいた少女の姿。靴紐を結びなおしてやっただけで、目をキラキラさせていたよな。彼女が狐人族の少女を騙したとは、あんまり信じたくないのが率直な感想ではあるのだが。


「ふむ……ところでチコラは、この[Izumo]に何を買いに来たんだ?」

「手袋を、売ってほしくて」

「てぶくろ?」


 はい、と偽金貨を握りしめたままのチコラの手を改めて見ると、足元はフサフサとした長い毛に覆われているのに、肉球のついた掌と指回りには、ほとんど毛が生えていない。


「狐人族は大人になると、獣人の姿、完全な獣の姿、そして人間の姿の三つを自由に使い分けることが出来るようになるんだ。だけど子供のうちはその切り替えが下手で、獣人の姿を取っている時に人間の姿の一部が混じったり、逆に人間の姿の時に耳や尻尾だけが狐のままで残ってしまったりする」


 スルナは真面目に解説してくれたけど、それってつまり、狐耳とふさふさ狐尻尾を持つ少女が合法的に生まれることに……? 最高では??

 まあ、冒険者ギルドにも熊耳の兄妹とか居たし、種族ごとの違いとか色々あるんだろうけど。


「チコラも、手のところにどうしても人型が混じってしまうんです。でもこれだと、家の手伝いも、雪原を走るのも、とても不便です。それで、良い手袋が買いたいと思って」

「それで、わざわざホルダに?」


 近くの町で買えば良いのにと思ったけど、買い物はおろか、町に入れてもらえない地域もあるって杠が言ってたよな。もしかしたらチコラが住んでいるのも、そこら辺なんだろうか。


「はい。チコラの集落がある近くの町では、狐人族は、お店に入れてもらえないので……それで仕事を手伝わせてくれた九九が、ホルダの穴開き靴通りに行ってみなさいって、教えてくれて。ホルダまでの地図をくれて、馬車の乗り方も教えてくれたんです」

「ふうん……?」


 案の定かあ。でも、何だろう。話を聞くかぎり、九九はやっぱり、獣人達に対して好意的な印象がある。最終的に偽金貨を掴ませる為の演技だと言えばありえるかもしれないけれど、それなら杠と一緒に護衛依頼を受けた時に、獣人達を支援するつもりだなんて口にする必要がない。


「ん……馬車? チコラは、ホルダまで馬車で来たのか?」


 なんだか、勝手に徒歩で来たようなイメージを持っていた。


「はい。途中のミナ観測所から、ですけど」

「ミナ観測所……?」

「ホルダから北上して二つ目の……町というか観測施設なんだけど、小さな村程度の設備が揃ったところよ」


 杠の話では、セントロの首都ホルダからノスフェルの首都テオに向かう街道の途中にあるのは、町が二つと観測所が二つ。ホルダから出発して街道を北上し、最初に辿り着くのがソリュエの町。その次が『氷流移動』を観測する為に氷河の手前に作られたミナ観測所だ。そして氷河を抜けた先、ノスフェルの領土内側に設営されているのがキタ観測所、そして雪原の町ヤホへと続く。セントロとノスフェルの国境はこの氷河にあたる。

 まだ『氷流移動』は始まっていないので、ノスフェルとリーエンの大地は地続きだ。そろそろ馬車の定期便は無くなると聞いていたけれど、ミナ観測所からはホルダまで往復する馬車が出ていたのだろう。


「チコラは石の上を走るのが、あんまり得意じゃなくて。雪の上は、得意なんですけど。だからミナ観測所からは馬車に乗った方がいいって、九九が言ってました」

「……馬車に乗る時は当然、お金を払ったよね?」

「もちろんです!」

「どのお金を使ったかな?」

「……九九から貰った、この金貨です」


 いや、それはおかしいんだよな。

 こので馬車に乗せてもらえるわけがないんだ。


「チコラ。きみは、誰かに口止めされたね?」


 多分、この推測で間違いないだろう。


「ミナ観測所で、馬車に乗るために、チコラは九九から貰った金貨を使った。……でもその後、誰かに『両替』を持ちかけられなかった?」

「っ……! どうして、それを……!」


 チコラだけではなくスルナ達も驚いた表情を浮かべたが、俺のセリフに口を挟まず、そのまま先を待ってくれている。


「チコラ、あのね。君が持っているそれは、本当の金貨じゃないんだ」

「えっ!?」


 ちょっと残酷だけど、後々の為にも、彼女にここで教えてあげないといけない。


「親切な感じの相手だったんじゃないかな。そいつは、チコラがミナ観測所で馬車に乗る時に支払った金貨を見て、こんなことを言わなかった? 『狐人族がこんなに綺麗な金貨を持っていたら、何処からか盗んで来たのかと思われてしまうよ。自分が、古い金貨に替えてあげよう……』とかね」

「そ、そうです……価値は変わらないし、こっちの昔の金貨の方が、私達狐人族が使っていても、怪しく思われない、って……」

「……口止めされたのは?」

「本当は、両替屋しかこんなことをしたらいけないけど、そこを通したら手間賃が取られてしまう。だから、こっそり交換してあげる。でも、誰にも、話したらダメだよって……」

「そっか……騙されちゃったね」


 この調子では、当然ながら証文なども交わしてないよな。多分偽名を使っただろうし、ホルダはただでさえ人の出入りが多い町だ。チコラを騙した相手の足取りを追うのは、容易ではない。

 仕方なく、これは金貨じゃなくて、ただの古い瓶の蓋なんだよとスルナが教えると、チコラは驚きに言葉を無くした後で、ポロポロと涙をこぼして泣き出してしまった。


「そ、んな。ひどい、ひどい、です……」


 ……さすがに、騙された方が悪い、なんて言えない状況だ。

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