第115話 ネームド

「名前を……?」

「どうしました、シオンくん」


 困惑する俺の肩を叩いてくれたユージェンに大蛇の『名づけ』を頼まれたことを説明すると、彼は軽く息を呑んだ。


名付け親ゴッド・ファーザーを頼まれるとは……シオンくんは、よほど精霊蛇達に気に入られましたね」

「うーん……言葉が分かるから、とか?」

「それぐらいでは、大事な子供につける名前を頼んだりしませんよ。なにせ魔物は本来、基本的に名前を持ちませんから」

「え、そうなんだ?」


 そういえば大蛇の基本のテロップにも『精霊蛇の幼体』としか説明がでていなかったし、母親の方も『精霊蛇の女王』みたいな感じだ。


「名前を持つことは、特別になるということ。そこには、変化があります。そして変化の傾向は、名付け親の性質にも影響を受けやすいと聞きます」

「あれ、意外と責任重大?」

「重大ですよ。名前を持った魔物は【名前のある魔物ネームド・モンスター】と認識されます。この先、冒険者達の標的に上がる機会も増えるでしょう」

「えぇ……」


 それならいっそ、名前なんて付けない方が良いのでは?

 考えた俺はそう提案してみたけれど、ユージェンと精霊女王に揃って首を振られてしまった。


「これから彼が王位を継ぐとなれば、【名前があるネームド】は武器の一つです。持っていた方が良い。能力が上昇することももちろんですが、敵への牽制にもなる」

『私が娘たちの世話に追われたら、息子を気に掛けることが難しくなる。だから、一人でも生きていけるように、強くあってほしいの。――あなたもあの子も、無駄な闘争を招くような性質ではないと信じてるわ』


 ここまで言われてしまっては、無理に断るのも失礼だ。

 俺は何か良い名前が思いつかないかと、必死に思考を巡らせる。


「えーと精霊蛇とは言っても、見た目は大蛇だし……大蛇だいじゃ大蛇おろちでもあるから……」


 ぶつぶつ言いながら考え込む俺を、大蛇が何処かソワソワした表情で見下ろしている。そんな俺の脳裏にポンと浮かんできたのは、日本神話に登場する、有名な大蛇の名前。


「……ヤマタ」


 呟いた名前を、一人と二頭が繰り返す。


「ヤマタ、ですか」

『やまた?』

『ヤマタ……何か由来があるのかしら?』


 まぁ、由来というか。あれは所謂、外見上の特徴でもあるのだろうけれど。


「俺の生まれた国に伝わっている神話の中に、大きな蛇が出て来るんだ。【ヤマタノオロチ】って言うんだけど」

『しんわ!』

『まぁ、そうなの。どんな神話かしら』

「それは興味深いですね……どんな形で神話に登場を?」


 ユージェンにまで問いかけられて、俺は多少うろ覚えではあるが、神話にあるスサノオの八岐大蛇退治について、掻い摘んで説明していく。


「えーと。昔々、山と山にかかるほど、大きな蛇がいました。蛇は頭と尾が八つに分かれていたので、ヤマタノオロチと呼ばれていました」

『すごい』

『まぁ、大変』

「いくらなんでも、数が多すぎじゃないですか?」


 ごもっともなんだけど、これ、神話だしな……。


「ヤマタノオロチは乱暴もので、毎年一人ずつ、若い娘を生贄に食べていました」

『え、ひどい蛇!』

『なんてことを……』

「そんな災厄級モンスターを年々のさばらせるなんて。冒険者ギルドは何をしていたのやら」


 いや、神話の時代に冒険者ギルドを求められても。


「それを見かねたスサノオという神様がヤマタノオロチを討伐しようと、まずは八つの頭に強いお酒を飲ませて、全部を酔っぱらわせました」

『俺は、お酒、飲まない!』

『うふふ、蛇はお酒好きが多いのよねぇ』

「相手の嗜好を利用して罠に嵌める……良い作戦ですね」


 感心するユージェンを他所に、大蛇は『うぬぬ』と苦悩して、身体をくねらせている。


「スサノオは酔っぱらったヤマタノオロチの首を刎ね、生贄にされかけていた娘さんを妻にして、幸せになりました。めでたしめでたし」

『それ、めでたい?』

「ちなみに切り落とした尻尾から、特別な剣が出てきました」

『俺の尻尾、剣、出ない!』


 必死にピィピィ言っている大蛇は微笑ましいけれど、あんまりからかいすぎたら可哀想かな。


『でも、それぐらい強い蛇なのね。この子にも、そんな強さを持って欲しいってことかしら』


 精霊蛇の言葉に、俺は頷く。


「それもあるけど、俺の生まれた国では、言葉には力が宿るって言われてるんだ。氾濫を繰り返す川には【水無川みずなしがわ】って名前を付けて、氾濫しないように願いを込めたりもする。だから、【ヤマタノオロチ】と同じぐらいの強さは持ってもらいたいけれど、同じように狂暴な蛇になってしまわないように、最後の言葉だけ打ち消したい。だから、名前は【ヤマタ】じゃなくて【ヤマト】にしたいな」

『……やまと』

『うん、しっくりくる名前だわ』

「ヤマト、ですか。何処となく、イーシェナの雰囲気がありますね」


 お、確かにリーエンの世界では、イーシェナが和風の国になるもんな。


「それに【大和やまと】、って言葉は、俺の生まれた国を示す、古い呼び方でもある。……どうかな?」

『やまと、ヤマト……うん、好き! 俺、ヤマト、が良い!』


 どうやら、気に入ってくれたみたいだ。自分の名前を繰り返し呟き、大きく尻尾を振りながら軽い高揚状態にある兄の大蛇を、妹蛇が不思議そうに見つめている。


『素敵な名前だわ。良かったわね、ヤマト』

『うん!』

「おめでとうございます、ヤマト殿。どうぞ、アグラ湿地帯の良き統治者となられますように」

『ゆーじぇん……ありがとう!』


 母親とユージェンに代わる代わる祝福をされているうちに、大蛇の外見が、少しずつ変化してきた。

 大蛇であることそのものは、変わらない。しかし、背中にあたる部分の鱗が一つ一つ、刷毛で刷いたように、輝きを乗せて変わって行く。そして左右の大きな瞳の後ろ辺りからは、ふたまたに分かれた白い枝のようなものが、するすると伸びていった。


「……凄い!」

「これは、素晴らしい……!」


 俺とユージェンは、感嘆の声を上げる。


 精霊蛇の幼体であった【ヤマト】の身体は、二本の大きな白い角を持ち、同じく白い羽毛の生えた鱗に背中を覆われた、美しい蛇へと変化を遂げていた。

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