第94話 沼地の村

 俺の提案に、ダグラスは一瞬、唖然とした表情になった。

 多分、俺達の方からクエスト放棄を促されるとは思わなかったのだろう。


「あんまり迷ってる暇はないよ。そこの……コナーくんだっけ? お姉さんが産気づいてるんだろう? 水を持っていってやらないと」

「だが、それだとシオンと炎狼が」

「分かってるよ。でもそれは、後でがきく。だけど、産まれてくる赤ん坊は別だろ」

「……シオン」


 リーエンに住む住人達は、寿命以外でなら、誰でも一回は蘇生を受ける権利を持っている。だけど、それ以降に蘇生を受けるには、教会に相当の寄進をする必要があるらしい。ただでさえ貧しい辺境の村に、そんな高額の寄進が出来る余裕があるとは思えない。

 そうとなれば、コナーの姉と今夜産まれてくる子供が万が一にも亡くなってしまったとしたら、この先、二人が背負うリスクは相当なものになってしまう。


「どんなペナルティがあるかは分からないけど、二度と冒険者ギルドに所属できなくなるとか、そんな代物ではないんでしょ」

「あぁ、これまでの通例ならば、そんな類のペナルティでは無いはずだ」

「だったら、俺達は大丈夫だよ。ね、炎狼」

「俺も構わない!」


 しっかりと頷き返した炎狼と俺にダグラスはそれでも少し迷った表情をしていたけれど、エヌとコナーが「お願いします」と頭を下げた姿に決意を固めたみたいだ。残りのパーティメンバー達にクエスト放棄について意向を確かめ、全員が放棄に意義なしと賛同したところで、ダグラスが首にかけていた自分の冒険者証を取り出し、親指の腹を冒険者証の表に押し当てる。


「パーティリーダーの権限により、受託クエスト『水運び』の放棄を宣言する」


 シンプルな台詞と共に、ダグラスの冒険者証から赤い光が漏れた。俺と炎狼、そして他のパーティメンバー達にも同じように、冒険者証から見慣れぬ光が漏れる。同時にインターフェイスに常駐させていたステータスバーの上に、赤い×印のアイコンが現れた。軽く手を触れると「ペナルティ付与中」の文字が浮かび上がる。同じように冒険者証の表にも、赤の×印が刻まれている。何の効果が付与されているのかはまだ分からないけれど、後で冒険者ギルドから通達が来るんだろうな。


「ホルダに戻ったら、冒険者ギルドにクエスト放棄の経緯いきさつを説明するつもりだ。二人は心配しないでくれ」

「もちろん私達もよ。何か課題が課せられたら、必ず手伝うから安心して」


 他のみんなが代わる代わる俺と炎狼に声をかけて、安心させようとしてくれている。でも実のところ、当事者である俺の方は、そこまでペナルティのことは気にしていない。アカウント停止を喰らうようなものではないだろうし、正直に言えば、どんなペナルティが来るかってのも、逆に興味があるしね。多分、炎狼も同じような感覚だと思うけど。


 そうしてダグラス率いる俺達一行はすぐに野営を片付け、騎獣の背中に水を湛えた大樽を乗せたまま、エヌとコナーの案内で二人が住んでいる村に向かうことにした。その村はアグラ湿地帯の畔にあって、元々小さな村であったところが、この旱魃で村を離れる若者が多く、急激に過疎化が進んでしまっているそうだ。

 そんな説明を受けながら、夜の湿地帯を横断すること、数時間後。


「うわ……」

「これは、酷いな」


 辿り着いた村を目にした瞬間、俺達は思わず、そんな声を漏らしてしまう。

 小さな村とは言っても、夜の間に完全に暗くなってしまわないように、ちゃんと各所に篝火を焚いてある。しかしその灯りが照らし出す村の様相は、俺達が想像していたよりかなり厳しいものだった。

 村の入口を護っているのは門番と呼べるかどうかも分からないような老人で、かろうじて木槍を手にしてはいるが、片腕を三角巾で首から吊り下げられていて、槍を杖代わりにして何とか立っているような状態だ。村の中にある建物も方々が崩れていたり穴が開いていたりするけれど、中から灯りが漏れているのから、それでも人は住んでいるとみて間違いない。多分、修復する手が回っていないんだろう。家畜小屋の中は崩された柵の残骸だけが転がっていて、その中には鶏一匹残されていない。乾燥した地面からは緑が消え去り、申し訳ない程度に残った枯草さえ、土埃に埋もれてしまいそう。

 このままでは確実に滅んでしまうに違いない、小さな、貧しい村。


 俺達を先導してきたエヌとコナーが「ジェフお爺ちゃん」と声をあげて、村の入り口に立っていた老人の所に駆け寄っていく。二人から話を聞いた門番の老人はかなり驚いた様子だったけれど、とにかくと俺達を村長の所に案内してくれた。しかしその途中で、予想通りに、コナーのお姉さんであるパメラが既に産気づいていると教えられる。ヒーラーのスズと護衛のベオウルフだけコナーと一緒にパメラのところに行ってもらうことにして、俺達は村長が住んでいる家に向かう。


「……勇者様。そして旅を共にする皆様方。斯様かような辺境の村に、よくおいでくださいました」


 出迎えてくれた村長は俺達を家に招き入れると、椅子を降りて床に膝をつき、皺だらけの手を床に置いて、ダグラスに向かって深々と頭を下げる。


「本来であれば、歓待の宴を開き、皆様をもてなしたい所です。しかし我らは天災に苛まれ、弱りはてております。何一つおもてなしをすることが叶わず、ましてや運び入れてくださった水の対価も、ご用意できませぬ。しかしこの村にはもう、皆様のご慈悲に縋るしか生き残る道が残されておりませぬ。どうかこの年寄りの命を持ってして、村を救ってくださいませんでしょうか」

「……顔を上げてください、村長」


 同じように床に片膝をついたダグラスが、村長の肩にそっと手を置く。


「エヌとコナーから話は聞きました。今の俺達は、冒険者ギルドからの依頼を遂行している途中ではありません。手持ちのもので申し訳ないが、俺達が運んできた水は、村人の皆さんで分けてください」

「勇者様……!」

「代わりと言っては何ですが、俺達はこの異常な旱魃の原因を調査する役目も担っています。この村を中心に、周囲を調査してみたいと思っているので、その許可を頂けますか」

「もちろんでございます。もし誰か案内が必要でしたら……」

「私が案内する!」


 村長のセリフに被せるように声を上げたエヌに、ダグラスは「じゃあ、朝になったらお願いしようかな」とエヌの頭を撫でて笑う。

 そうこうしているうちに騒ぎを聞きつけた村人達も何事かと村長の家に集まってきてくれたので、俺達が大樽に乗せて運んできた水は、滞りなく全員に分配することが出来た。あんまり人口が多くない村なので、俺達が運んできた水だけでも、飲料水としてならば、数週間は持つはずだ。


 村長から許可を貰ってすぐに、俺と炎狼は村をぐるっと歩いて回り、住人が村を離れて空き家になってしまった家屋の中で、比較的損壊が少ないものをピックアップしてきた。旱魃の原因調査を行う、仮拠点を作らせてもらう為だ。早速荷物を運び入れ、穴だらけの天井代わりに簡易テントを天幕にしているハルを手伝っているうちに、パメラの出産を手伝いに行ったスズとベオウルフが戻ってきた。

 スズの話では、コナーのお姉さんは、無事に出産することが出来たらしい。母子ともに経過良好とのことで、こちらもこれで一安心だ。


「ーーじゃあ、本格的に調査の段取りを決めていくぞ」


 ダグラスの呼びかけで、俺達はテーブルを囲み、天板の上に広げられた一枚の地図を覗き込む。


「これはアグラ湿地帯を含めた、サウザラ全体の地図だ。今俺達が滞在している村は、ここら辺になるな」


 とん、とダグラスが紙の上を指さしたのは、アグラ湿地帯と大きく区切られている範囲の中でも、沼地の端に位置する場所だ。ホルダからまっすぐ南に伸びている街道が二手に分かれるところがアグラ湿地帯の始まりで、リリに向かう道は、俺達が通って来た沼の中心を通って南下する道と、湿地帯の畔をぐるっと迂回する道の二つだ。でもこの村は、どちらの街道からも外れた場所にある。結構辺鄙な場所なんだな。


「まずは朝になるまで休息。朝になったらスズとベオウルフは村人達の健康状態を軽くチェック。ユージェンとアクアは井戸の水源を確かめてみてくれ。残りは二手に分かれて、村周辺の調査を行う。とりあえずこの方針でいいか?」


 ダグラスの提案に皆が頷き、明け方から調査を行うことが決まった。

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