第59話 キダス教会

 キダス教会はホルダの王城近くにあり、キダス教の総本山でもある。人影が少ない静かな教会の入り口を護っていた衛兵達の話では、今日はスタンピード襲撃の直後ということもあり、治癒魔法を使える神官達の多くは冒険者ギルドに応援に出向いているそうだ。

 しかしもう少し時間が経つと、今度は無事にスタンピードを乗り越えた感謝の祈りを捧げにと、多くの信徒が訪れると予想されるらしい。衛兵に礼を言った俺と炎狼は、ミケのペット登録に必要な親密度の計測とやらを早くやってもらおうと、教会内に設けられた親密度計測の受付に足を運んだ。


「……おや」

「「あ」」


 受付に立っていた青年が浮かべる笑顔に、俺と炎狼の足が止まる。

 そのままくるりと回れ右をしようとした俺の肩は、思ったよりも素早くで伸ばされた腕に、がっしりと掴まれてしまった。


「シオンさん、何も逃げなくても良いではありませんか」


 にっこりと一見穏やかそうな笑みは、俺と炎狼にとって見覚えのあるもの。

 初めてリーエンに降り立った日に[無垢なる旅人]達を集めた王城内でミーティングまがいの説明をしてくれた神官ナンファだ。そして同時に、彼の仮面は[商人ルイボン]であり、俺が初めて仮面を暴いたアンクロークした相手でもある。

 

「……ナンファさん、何でこんなところに」

「おや、お忘れですか? 私はキダス教会の神官ですよ」


 あ、そういえばそうだった。ぽんと掌を打つ俺の横で、同じように思い出したのだろう、炎狼も「そうだったな!」と腕を組んでカラカラと笑っている。


「フフッ、まぁ、良いでしょう。それでお二人は、何のご用で教会に?」

「ペット登録に必要な親密度の計測をしてもらいに来た。この子なんだけど」


 俺が肩に乗せていたミケを腕に抱えなおしてナンファに差し出すと、ミケは「ニャア」と懐っこく鳴いて挨拶をしてみせた。ナンファは目尻を下げ、そんなミケの頭を軽く撫でる。


「三毛猫ですね。可愛いし、賢そうな仔だ」

「あぁ、この前の緊急依頼の時に、ヤシロまで一緒に旅をしたんだ。この先も仲良くしたいと思ってる」

「承知致しました。それでは早速、親密度の計測を行いましょう。こちらにどうぞ」


 ナンファに促され、俺と炎狼、そして腕に抱いたままのミケが連れていかれたのは、双子の創世神が描かれたステンドグラスの真下だった。淡い色彩を纏った光が差し込むそこには、スタンドに乗せられた白磁の手水鉢が置かれている。鉢の中には透明な水が張られていて、その中央には一輪の花が浮んでいた。


「友愛のさざなみと呼ばれる魔道具です。シオンさん、ミケさんと一緒にこの水に手を浸してみてください」


 それがどんな変化を与えるかは、先に教えてもらえないらしい。

 俺は肯き、胸の前に抱えたミケの手を自分の掌に乗せるようにして、手水鉢の中に沈める。すぐに水面がキラキラと輝きだしたかと思うと、浮んでいた花を中心に同心円を描く波紋が幾筋も現れ、手水鉢の縁を水飛沫が弾く。


「うわ!?」

「ニャウ!」

「ほぉ、これは素晴らしい」

「おぉ……!」


 当事者である俺とミケよりも、見守っていたナンファと炎狼の方が、感嘆の声を上げている。思わず、まだ何も言われないうちに水から手を上げてしまった。もう一度ミケの手を握って水につけようとしたところを、「充分ですよ」と笑ったナンファに止められる。


「友愛の漣は、誰かと同時に手を浸すと、その親密度に応じて煌きと波紋を作ってくれる魔道具です。煌きの色や強さ、波紋の数やその強さなどで友愛の深さを見極めるのは神官の仕事になります。詳細はお伝えできませんが、シオンさんとミケさんの親密度は、ペット登録においては全く問題ありません。すぐに証明書を準備いたしましょう」

「ありがとう!」

「良かったなシオン」


 俺に乾いた布を渡し、少しお待ち下さいねと言い残して教会の中央にある祭壇の方に向かうナンファの背中を見送り、俺は渡された布でミケの足と自分の手を拭う。ナンファを待つ間に俺からミケを受け取った炎狼がこっそり[友愛の漣]に手を浸してみたりしていたが、先程のような煌きは起こらず、ゆったりとした波紋が中央の花から少し現れただけだった。


「まぁ、俺とミケは知り合ったばかりだしな!」

「ニャン」

「悪い感情は抱いていないけど、知り合いって感じかな? 可もなく不可もなく、ってところかも」

「ふむ。それにしても、ペットの登録に何故親密度の計測が必要なんだ?」


 炎狼の抱いた素朴な疑問は、既にシグマのような大型魔獣と遭遇した経験のある俺には、当然ながら必要な処置だと感じられる。


「炎狼は、ビーストテイマーの冒険者とかに会わなかったか?」

「テイマーか。残念ながら、まだ無いな」

「実は、ヤシロに行った帰りにさ……」


 俺がヤシロの帰り道でビーストテイマーのハルとその従魔であるシグマと出会い、教団の手でシグマを奪われかけていた時の話を説明すると、炎狼は成るほどと頷いた。


「無理やりだったり魔法を使ったりして、強力な魔獣を他人から奪い、勝手にペット登録されたりしないようにする為の処置か」

「恐らくは。まぁ、相性が悪いとお互いにろくな事にならないからってところがメインだとは思うけどね」

「そうだな。しかし、ミケは可愛いよ。俺もペットが欲しくなった」


 炎狼の指ですりすりと眉間を撫でられているミケは、瞳を閉じて気持ち良さそうだ。ゴロゴロと喉から音を漏らしていたりもする。


現実リアルでペットを飼ったりしてないのか?」

「してないな。俺はマンション住まいだ」

「あーー俺と一緒。モフモフしたペットって、憧れだよな」

「うむ。そのうち俺も、友となってくれる誰かを探したいものだ」


 そうこうしているうちに、白い封筒を片手に携えたナンファが戻ってきた。


「冒険者ギルドの近くに、テイマーギルドの本部があります。こちらに用意した親密度証明書を持って、ペット登録の受付カウンターに行ってください。問題なく手続きをしてもらえるはずですよ」

「ありがとうございます」

「よかったなシオン」


 俺は渡された封筒を大事にインベントリに入れてから、ナンファに向き直る。

 ナンファも何となく俺の聞きたいことが分かっているのか、こちらにどうぞと手招いて、俺と炎狼を教会の片隅に設けられた控え室のような場所に連れて行ってくれた。

 2人がけのソファに腰掛けた俺と炎狼の前に置かれたローテーブルを挟んでナンファが座り、古ぼけた一冊の本をテーブルの上に置く。


「……これは?」

「まずは[無垢なる旅人]であるお二人に、リーエンの歴史について軽くご説明しようかと思いまして。この世界が双子の創世神によって作られた……という謂れはご存知ですか?」

「あぁ、知ってる」

「確かハヌとメロだよな」

「そうです。太古の昔、この世界にはただ澱んだ混沌だけがあったそうです。双子の神は天から降り立ち、生命を育む大地をリーエンに築こうとしましたが、思わぬ妨害に遭いました」


 ナンファの指が、古い書物のページを捲る。

 そこには白い衣を纏って手を握りあう二人の女性と、黒い線を無数に束ねて象ったような異質の造形を持つ、巨大な何かが描かれている。


「禍ツ神であることは間違いないですが、未だに正式な名称はありません。混沌の闇より這い出たこの異形は【綻びを好むもの】と呼ばれています」


 ……わぁ、何だかラスボス臭。

 顔を見合わせる俺と炎狼の前で、ナンファは更に本のページを捲る。

 そこでは、異形の神に追われて逃げる双子の神と、その間に立って双子を庇う他の神々が描かれている。


「邪悪な力を持つ異形に、神々は対抗する手段を持ちませんでした。やがて【綻びを好むもの】は双子の創世神を飲み込もうと動き始めます。神々は大いなる使命を持つ双子を護ろうと、ある方法を取りました。それがーー」

「……もしかして、仮面か?」


 俺の言葉に、ナンファは静かに頷く。


「神々は双子に仮面を与え、自分達も同じ仮面を被りました。【綻びを好むもの】は、誰が目的の神であるのか分からなくなりました。そうやって、双子の創世神がリーエンの大地を作り上げるまでの時間を、稼いだのです」


 最後に捲られたページには、緑に覆われた大地の上で祈りを捧げる双子と、谷底から現れた大きな手に掴まれて地の底に引き摺り込まれる【綻びを好むもの】の姿があった。

 大地が作られたことで生命は芽吹き、双子の神は力を増し、その輝きに負けた異形は、ついに封じられた……という展開のようだ。


「つまり、俺達が使う仮面マスクは、創世神を救った[他の神々]がつけていた仮面の、名残ということか」

「そうなりますね。[無垢なる旅人]であるあなた達が仮面を持つのと同様に、リーエンでも人間ヒューマンの種族だけが仮面を持ちます。これは我々の種族が、その昔に創世神を守ろうと尽力した古い神の末裔であるという証だと考えられています」


 成るほどなぁ。

 感心して聞いていた俺は、ふとした疑問をナンファにぶつけてみる。


「ちなみに、創世神の末裔は?」

「双子の神はそれぞれ、後に二人ずつ子供を生みました。その子供達が大地の中央に存在した国であるセントロよりそれぞれ旅立ち、四つの国家の礎となった……と言われています。つまりは、各国の王族ですね」

「え、じゃあもしかして、周辺国家に存在する王家は、元を辿れば全部が親戚ってことに?」

「伝説上は、ですがね」


 それはまた、驚きだ。





 

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