五話

 通路を戻れば戻るほど剣戟の音は大きくなる。風天巧たちが戦いの現場に出くわすと、怒りに任せて軟鞭を振り回す孔麗鱗を相手取っているのはなんと杜辰と莫千朋だった。堂々たる天仙にして伝説の侠客の二人に孔麗鱗が敵うはずもなく、豪奢な身なりは破れたり裂けたりしてすっかりみすぼらしくなっている。顔や肌も傷だらけで血の跡があちこちについている。とうに負けを認めてもいいほど孔麗鱗は追い込まれていたが、それでもなお彼女を突き動かし、戦わせているのは、今なお消えない魏龍影への対抗心と優越心、それに彼女自身の自尊心に他ならない。傍から見れば剣辰千朋が手加減していることがすぐに分かったが、それもまた彼女の神経を逆なでして闘争心を搔き立てているらしかった。

「杜辰、莫千朋!」

 任木蘭は二人に鋭く呼びかけ、同時に剣指をひねって孔麗鱗を急襲した。すでに劣勢に追い込まれている孔麗鱗は思わぬ方向からの攻撃をさばき切ることができず、弾き飛ばされてつんのめる。

「木蘭! ……って、なんで徐風玦の奴がいるんだ?」

 振り返った莫千朋の目が風天巧に留まった。一方の孔麗鱗は、皇麟剣を背負って風天巧の後ろについている楊夏珪を見つけるやいなや悪血混じりの唾をまき散らしながら気焔を上げた。

「貴様! よくも姉妹の契りを無下にしてくれたな!」

 孔麗鱗は軟鞭を思い切り地面に叩きつけ、雷のごとき一撃を見舞う。魏凰と風天巧が飛び退く傍らで、楊夏珪は攻撃をまともに受けて血を吐いた。

「避けぬとは良い度胸だな、小妹よ。今更許しを請う気になったとでも申すのか?」

 孔麗鱗は今にも楊夏珪を打ち殺してしまいそうなほど鬼気迫る表情だ。

「……いや」

 楊夏珪は食いしばった歯の間から唸ると、孔麗鱗を――かつての義理の姉を見据えて告げた。

「私は穆哨を助けてやりたいだけだ。あれはあなたの手足にするために育てたのではない」

 その一言に孔麗鱗の瞳がスッと収縮した。刹那、孔麗鱗は吼えながら飛びかかり、軟鞭で楊夏珪の首を絞め上げようとする。

 咄嗟に莫千朋が割って入り、鞭を刀で巻き取った。

「行け!」

 莫千朋が叫び、杜辰と任木蘭が頷いて走り出す。魏凰と風天巧、楊夏珪がそれに続き、莫千朋も孔麗鱗を弾き飛ばしてから後を追う。

 彼らが最後に聞いたのは、孔麗鱗の悔しげな怒号だった。



***



 一行は蠱洞居から東に逃げ、山の中へと入っていった。同じ高地でも、地面の砂色がどこまでも続き、ところどころに褪せた色味の灌木が生えている景色は風天巧が住んでいる麓苑のあたりとは全く違う。任木蘭の先導で乾いた洞穴に入った六人は各々地面に腰を下ろすと、楊夏珪が下ろした皇麟剣を食い入るように見つめた。

「これが『土』の剣……」

 魏凰がぼうっとした声で呟く。楊夏珪は魏凰の視線から守るように皇麟剣を持ち上げると、無言のまま隣に座る風天巧に手渡した。

「そうだ。他の四振りを繋ぐ、五行神剣の中核を成す剣だな」

 風天巧はあぐらをかいた膝の上に皇麟剣を渡し、悠々と扇子を広げた。

「だが今私が話したいことはそれではない。神剣をめぐる争いには関与しないはずの任木蘭女侠が、なぜ東鼎会の残党と剣辰千朋と徒党を組んで皇麟剣を強奪しようという気になったのか? その理由を聞かせてもらおうではないか」

 風天巧は扇子の上から任木蘭たちをぐるりと見回した。四人は互いに顔を見合わせたが、すぐに莫千朋が口を開いた。

「穆哨がお前を襲って逃げたあと、俺たちと音清弦で奴の後を追ったんだ。だが奴は渡し場から舟に乗って人界に出てしまった。俺たちは急いで引き返して仙宮殿に押し入って、陳青に言って天門から人界に降りたんだ。それからは真っ先に木蘭を探して合流した。昔からの付き合いだし、事情を話して協力してもらおうと思ってな」

「我々が彼女の住まいを訪ねると、魏姑娘がすでに彼女にかくまわれ、仲間となっていた。そこで我々は玉染での虐殺のことを知ったのだ」

 莫千朋の後について杜辰が話し始める。彼の言葉を補完するように任木蘭も静かに口を開いた。

「たしかに私は五行神剣の争奪には関与しないと決めたけれど、五行神剣が悪しきことに使われれば話は別。特に今回の件は蛇眼幇の一員が東鼎会を滅ぼしたというだけでは済まされないわ。五行神剣は陰陽で言えば陽の武器のはずなのに、あれほどまでに濃い陰の気を宿していて、その上何千人もの男女を一晩で焼き尽くしたなんて異常よ。実際、杜辰たちの話を聞くまでどういうことか見当もつかなかったもの。その穆哨という青年を助けるために五行神剣が必要かもしれないって言うから私も協力することにしたの。聞いた話では、かつて五行神剣によって誅された悪鬼が彼に憑りついているそうじゃない」

「そのとおりだ。いやはや、まさかここまで話が伝わっているとは思いもしなかったよ」

 風天巧は扇子を閉じてくるりと弄んだ。意外そうな口ぶりではあるものの思わぬ助けを得たことには満足しているらしく、喜色が見え隠れしている。

「任女侠の言うとおり、五行神剣は邪気に飲まれた元天仙の呂啼舟を誅滅した。実は五行神剣は彼の浄化のために私が鋳造した、いわば一揃いの法器のようなものなのだ。だから剣辰千朋の推測どおり、彼を無害な霊魂に戻すためには五行神剣の力が必要だ」

「おい、今何と言った⁉︎」

 風天巧がそう言うと、間髪入れずに魏凰が驚きの声を上げる。風天巧は「そう、私だ」と頷いた。

「では、五行神剣を人界に持ち込み、五人の達人に渡したというのは……」

「それも私だな」

 魏凰の言葉を風天巧は再び肯定する。魏凰はにわかに息を荒げて風天巧を睨みつけていたが、ふいに立ち上がると先のない右腕で風天巧の頬を思いきり殴りつけた。

「魏凰!」

 任木蘭が鋭い声でたしなめる。しかし魏凰は目に涙を浮かべて、地面で呻く風天巧に向かって叫んだ。

「それではお前が殺したも同然ではないか! 父上も氷伶も皆、お前が余計なことをしていなければあんな目に遭わずに済んだのだ!」

 魏凰は左手で風天巧の襟首を掴んで立たせると、今度は右腕を風天巧の鳩尾に叩き込んだ。体を折り曲げて咳き込む風天巧を杜辰と莫千朋が慌てて庇い、任木蘭はなおも風天巧を殴ろうとする魏凰を押さえ込む。

「放せ! こいつのせいで父上たちは皆死んだのだ!」

 魏凰はなおも喚き散らし、任木蘭から逃れようと体をよじる。すると、一人じっと座ったままの楊夏珪がぼそりと言った。

「であれば、穆哨の両親の死に関しても非はこの男にあるだろうな。直接手を下した林氷伶や、それを指示した魏龍影ではなく」

 その一言に、魏凰は暴れるのをやめて楊夏珪を睨みつけた。楊夏珪は一同をさっと見回すと再び口を開いた。

「穆哨の両親が魏龍影から鳳炎剣を盗み出して逃亡し、魏龍影はその報復として林氷伶に二人を殺させた。その真実を知った穆哨が今度は二人の仇討ちとして東鼎会を滅ぼした。お前がその報復に穆哨を殺せば今度は私が黙ってはいないし、どれだけ風天巧を殴っても五行神剣が人々の欲望の的であり続ける限り災禍が収まることはない。五行神剣を地上から除かないかぎり、風天巧のせいで死ぬ者は出続けるだろう」

「……その通り。そして今がまさに、五行神剣を地上から除く絶好の――そしておそらくは唯一の機会だ」

 剣辰千朋の影から風天巧が声を上げた。

「ひとつ約束しよう。全てが終わったら私は五行神剣を熔かすよ。それまではしばし、辛抱してはくれないか」

 風天巧は剣辰千朋の後ろから這うように出てくると、そのまま地面に正座した。魏凰は驚きに目を見開き、任木蘭の腕から慌てて抜け出して風天巧に駆け寄った。

 地面に両手をつき、頭を下げようとする風天巧を魏凰は乱暴に起き上がらせた。

「……永遠には無理でも、ことが全て収まるまでの一時だけなら仇を忘れてやっても良い」

 魏凰は食いしばった歯の間から唸るように言うと、風天巧を再び突き飛ばした。

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