三話

 火事の現場まであと少しということろで爆発音がとどろいた。それが引き金となって全員が恐慌状態に陥り、あたりは蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。逃げ惑う人々を押し退けて石段を上り、橋を渡り、穆哨は船着き場にたどり着いた。

 パチパチと音を立てて火の粉が爆ぜ、砕けた船体を炎が舐める。幸いなことに、穆哨たちが乗っている船ではなかった――それでも船体は大きく崩れ、辛うじて波間に浮いている状態だ。きっと先の爆発で吹き飛ばされたのだろう、あたりには焦げた木片が散乱している。

 波止場には何人かが血を流して倒れている。その傍らに立つ黒く小柄な影は、片腕に刃物の飛び出す手甲を付けていた。

「……魏凰!」

 思わず吼えた穆哨に、影がくるりと振り向く。炎を背後にまとったその顔は紛れもなく、穆哨がつい最近敗北を喫した女子に他ならない。

「穆哨か。わざわざ来るとは愚かな奴め」

 魏凰は嘲笑を浮かべると、もう片方の手甲からも刃を飛び出させた。

「そいつらをどうした」

 穆哨も背中の愛剣に手をかけた――今はまだ、鳳炎剣を使うときではない。魏凰は船の残骸を一瞥し、鼻で笑って答えた。

「どうしたもこうしたも、怯えた見張りが船に火を点けたのよ。我々はただ、お前たちを見た者がいないか聞き込みをしていただけだ」

 違う。穆哨は胸の内で断定した。むしろ逆だ、彼女が見張りを殺して船を爆発させたのだ。あたりにただよう匂いから察するに、この船に積まれていたのはおそらく――

「火薬の運搬船か。火遊びに使うにはいささか危険すぎやしないかね、魏姑娘クーニャン

「風天巧!」

 一声叫んでから、穆哨はここに来るまで一切背後を確かめていなかったことを思い出した。その証拠に宿の前に置いてきたはずの風天巧がすぐ後ろに立っている。

 魏凰は突如現れた男の名を聞いた途端に眉をひそめ、次いでハッと目を見開いた。

「風天巧⁉ まさか、あの――」

「玉染要塞の機関を造った風天巧、か? いかにも、あれは私の作で相違ない。君の父君には実に面白い仕事をもらったよ、手慰みに学んだ技に目を付けてもらえるとは思いもしなかった」

 風天巧はそう言ってパタリと扇子を閉じた。今度は穆哨が風天巧を睨みつける。

「お前、東鼎会と繋がりがあったのか?」

「案ずるな、穆哨。今は君たち蛇眼幇の側から離れることはない。孔麗鱗幇主から2度も直々に依頼を受けたのだから当然だ。最初に仕事を請けたのはもう何年も前のことだというのに、いまだに覚えてもらえていたとはまさに光栄至極」

 風天巧の言葉に、次は魏凰が歯ぎしりした。

「おのれ風天巧、我が父を見限るか」

 声に怒りが滲み、両腕の刃が炎を反射してギラリと光る。しかし風天巧は動じる気配もなく、ただ静かに

「魏姑娘、それに穆哨も、これだけは覚えておきたまえ。私はもとより、どちらに与する身でもないのだよ」

 と言った。そして穆哨と魏凰が注視している中、風天巧は扇子を帯に差して両手で印を結んだ。

「させるか!」

 真っ先に反応したのは魏凰だ。地を蹴って飛び出した彼女を迎え撃つべく穆哨も得物を抜き放つ。白刃が火花を散らし、剣戟の音が夜の闇にこだまする。

 ふと、剣戟の合間を縫って風天巧の詠唱が聞こえてきた。穆哨がちらりと盗み見ると、風天巧は青い光に包まれて、印を結んだ手を胸の前に構えて呪文を唱えている。体内の真気を巡らせているのは一目瞭然、穆哨はおのずと剣を持つ手に力を込める。魏凰もまた風天巧の目的に気付いて攻撃の手を強めてきた。真気を運用して術を展開する場合、術者は完全に無防備になる。すなわち、風天巧は自らの命を敵の面前にさらけ出しているようなものなのだ。それを守るのは穆哨のみ、彼が敗れれば共倒れは免れない。

「かかれ!」

 剣戟の合間を縫って魏凰が一声叫ぶ。それを合図に暗がりから黒い影がいくつも飛び出してきた。その数、十は下らないが、一人で守り切るには明らかに手が足りない。穆哨は歯ぎしりして、背負ったままの白い包みに手をかけた。

 途端に東鼎会の全員が警戒を強めた。剥き出しの警戒心が肌を刺す中、穆哨は包みを背中から外し、地面に思い切り叩きつけた。

 衝撃が熱風と化して一同の体を通過する。白い布が燃えて落ち、中の剣が現れると、東鼎会の面々はあっと声を上げた。

「鳳炎剣だ!」

 誰かが叫んだが、穆哨はそれに構わず剣を抜き放った。

 右手には何の変哲もない長剣、左手には神からもたらされた宝剣が一。赤々と輝くその剣を穆哨が振るえば、攻撃に出ようと出まいと東鼎会の面々は焼き尽くされる。魏凰が舌打ちするのと、穆哨の手が動くのと、風天巧が術を完成させるのが同時だった。

 雄叫びを上げて飛びかかってきた穆哨に、殿しんがりに回った魏凰が立ち向かう。

 その瞬間、暗い川が膨れ上がり、船が凄まじい音を立てて軋んだ。熱された水が大量の蒸気と化し、白煙があっという間に両岸を埋める。突然視界を奪われた穆哨と魏凰は思わず戦いの手を止めた――穆哨は驚いた拍子に煙を吸い込んで思い切り咳き込み、魏凰は今だとばかりにその場を離れる。穆哨はあとを追おうとしたが、ろくに前が見えない中では誰の影もとらえることができない。

 そんな二人の混乱などはお構いなしに、水に飲まれ、白煙と木片を撒き散らしながら沈もうとする船に向けて風天巧は再度術を使った。

 口元がふっと吊り上がると同時に、沈みかけの船は爆発した。

 街を揺るがす轟音とともに水柱が上がり、次いで水と木片、土くれが雨のように降り注ぐ。

 何が何やら分からず逃げ場を探す穆哨の襟首を捕まえると、風天巧は水路に飛び込んだ。

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