三話

 翌日、穆哨は痛む腹を抱えたまま呼び出され、大仏の見下ろす例の広間で東鼎会での任務について孔麗鱗と楊夏珪に語った。

 魏凰によって負傷したくだりを穆哨が話し終えると孔麗鱗はフンと鼻を鳴らした。魏凰と穆哨は歳が近く、江湖での序列も同じくらいだ。それゆえに、穆哨が鳳炎剣という圧倒的な力を手にしておきながら一本取られたという事実の意味するところは大きい。

「大姐、今は彼が鳳炎剣を持ち帰ったことに注目しましょう。報復などいつでもできますし、魏龍影が手勢を使って鳳炎剣の行方を追っているのならなおのこと、彼らが再び相まみえる機会もありましょう」

 楊夏珪が助け舟を出した。孔麗鱗は不満げに息を吐いたものの、追及の代わりにこう言った。

「偵察に出した者の話では、その魏凰が鳳炎剣の捜索を任されているそうだ。魏龍影の腹心の林氷伶が手を回しているという話も聞く」

「つまり私に、二人の邪魔立てをしろと」

 返答を予想しつつも穆哨は聞き返した。果たして孔麗鱗はにやりと笑い、「そのとおり」と答えた。

「だがそれだけではない。今、風天巧に鳳炎剣の贋作を作らせている。お前はそれを持って風天巧とともにここを発て。東鼎会の連中に姿を見せ、遠くへ逃げる振りをするのだ」

 穆哨は首をかしげた。たしかに敵の目はごまかせるだろうが、せっかく手にした鍵を自ら手放すような真似を孔麗鱗がするのは珍しい。何より恐ろしいのは穆哨が東鼎会に捕らえられた場合だ。鳳炎剣は手元に残るが、その使い手――それも自ら鍛えてきたお気に入りの剣客が失われるのは確実と言っていい。目をかける価値がないとみなされたと言えばそれまでだが、穆哨にはまだ使い道があるはずだった。今ここで穆哨を捨て駒にするのは、五行神剣とその使い手を全て揃えたいはずの孔麗鱗にとっては損失以外の何物でもないはずだ。

 そんな穆哨の疑問を見抜いたのか、孔麗鱗はさらに笑みを深くした。

「もちろん、ただ逃げ回れというわけではない。逃げ回るふりをして蠱洞居に連中を引き込むのだ。魏龍影と林氷伶は一筋縄ではいかないが、魏凰なら必ず手勢を率いて我が勢力圏に踏み込むはずだ。それを真の鳳炎剣で迎え撃ち、一掃するのよ。愛娘が討たれたとあれば魏龍影の奴も黙ってはいまい……そうなれば、魏龍影の首も夢ではないぞ」

 そう語る孔麗鱗の目は来たるべき戦いと勝利への期待で爛々と輝いている。まさに龍の首を焼き落とす、鳳炎剣を用いた最高の策というわけだ。穆哨自身も魏凰と直接対決することで雪辱を晴らす機会を得、東鼎会は指揮官を失って烏合の衆と化し、蛇眼幇の脅威を江湖に広く示すことができる。全てを理解した穆哨は即座に了解の意を示した。

「して、出立はいつになりましょう」

 穆哨が尋ねると、孔麗鱗は少し考えて言った。

「お前が回復してからでよい。風天巧も、特殊なものだから鋳造には時間がかかると言っておったからな」



 それからの五日間、穆哨は全く風天巧の顔を見ずに過ごした。それにしても蠱洞居のどこに鍛冶仕事のできる場所があったのか、穆哨は一人首をひねっていた。かつてこの洞窟に暮らしていた仏僧たちが金属をいじっていたとは考えにくい上、楊夏珪に聞いても答えは得られず、そればかりか余計なことを考えるなとくぎを刺される始末だった。

 六日目になると穆哨はすっかり回復し、元通り動けるようになっていた。久々に仲間と体を動かし、楊夏珪の手ほどきを受けながら穆哨は一日を過ごした――穆哨が伝説の宝剣を扱えるという話は蛇眼幇全体に広がっており、彼は賞賛と崇拝の眼差しを一身に受けるようになっていた。誰もが鳳炎剣の存在に活気づき、自分も神剣を扱えるのかもしれないという期待を抱いているのがよく分かる。留守の間に広まった不穏な憶測の数々はすっかり鳴りを潜め、帰った当日に守衛の二人が見せたような反応はもう誰もしなくなっていた。

 七日目の夜も風天巧は姿を見せなかった――しかし穆哨が自室に戻ると、寝台の上に作り物の小鳥がちょこんと乗っていた。

 黒い羽に白い筋が入ったその小鳥を持ち上げると、脚に紙が括り付けられている。小さく丸められた紙には細くなめらかな字でこう記されていた。

『腹の具合はどうかね? もうすっかり良くなったとは思うが念のため』

 風天巧が送ってきたのだとすぐに分かった。穆哨はたった二言の文を何度も読み返し、黒い小鳥を見つめてから両方を文机に放り出した。作り物の小鳥に文を持たせるとは、殊勝な趣味もあるものだ。

 翌朝目を覚ますと小鳥はどこかに消えていた。しかし夜になると、同じ小鳥が別の文を持って、寝台の上で穆哨を待ち構えていた。

『この子に返事を持たせてはくれないか 君の師伯ときたら、昼も夜も私を見張らせて、誰とも口を利かせてくれないんだ』

「……調子の良い奴め」

 穆哨はぼやくと文机から硯と筆をひったくり、文の裏に殴り書きをして鳥の脚に括り付けた。

『見張りの連中にでも適当に話しかけておけ 得意技だろう』

 果たして翌日、帰ってきた小鳥にはこんな文がついていた。

『名案をありがとう こうやって言葉を返してくれるのは君だけだよ』

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