鎖の墓守編

第72話 墓守の老爺

ある一つの噂があった。

それは英雄と謳われた者達が住む村があるというもの。

ヴァルハラと呼ばれ広がったそのうわさ話を確かめようとする者達も当然現れたが、どれだけの者達がヴァルハラを探そうと冒険に出たが、終ぞ見つけだすことは出来なかった。

しかし一人の赤ん坊が、森に捨てられた赤ん坊が、老爺に抱かれ噂の村へと立ち入ってしまった。

全てはこの時始まった。

終わりへと続く道は、この時すでに作られた。




「おじいちゃーん」


森の中を走り回る少年は、老爺を見つけると駆け寄り、勢いよく飛びついた。

少年の突撃をものともせず、老爺は受け止め抱きかかえる。

優しい微笑みを向け、日課の散歩を始めた。


「お前はいつも早起きだな、ミカ。それで今日は何をしてきたんだ?」


「鳥を叱った」


「鳥を?」


「うん。おじいちゃんがいつも護ってる石のそばで、地面を突っついてるから、それはしちゃだめだって怒ったの」


老爺は目を丸くして少し驚いた後、再び優し気な表情に戻る。


「そうか、儂の真似をしたのか。しかしもう真似をして護る必要はない。この地を護るのは儂の役目。お前に押し付ける気はない」


「え、でもここには僕とおじいちゃんしかいないよ?僕が継がないと」


「儂でこの役目は終わりだ。この先此処は廃れるのみ。それでいい、むしろそうでなくてはならない」


頭を撫でながら少年を諭すその瞳は少年の未来を憂いているようであった。


「でも、でも、おじいちゃんはあの沢山の石を大事にして」


「あれはな、全て役目を押し付けた者達だ。連綿と受け継いできたと言えば聞こえはいいが結局のところ、英雄ともてはやされた世界を救うまでは至らなかった者達が次の者に役目を押し付けてきたにすぎない。儂はそんなの御免だ」


世界を救おうとした英雄?

…………それは多分、人、何だよね?

けど、その英雄さんたちは石に変わっちゃってて、次の英雄さんに世界を救わせようとしてて、おじいちゃんはそうやって押し付けるのが嫌で……。


「でも、おじいちゃんは世界を救おうとしてないよ?」


「ああ、儂は世界を救おうとしなかった。嫌ではあっても、彼らに申し訳ないという思いが無いわけではない。だからこうして墓守としてここにいる」


「墓守?」


「ああ、あの石は墓だ。その下には英雄たちが眠っている。仮にも英雄、悪い奴等が掘り返しでもしたら大事だ。だから儂がここで護っている」


英雄さんは別に石になってなかった。

そっか、そうだよね。

でもお墓……おじいちゃんも、いつか死んじゃうのかな。


「ねぇ、おじいちゃんは…………誰から託されたの?」


「これは呪いだ。心身を蝕み束縛する呪いだ。どうしようもないものだが、これを儂に押し付けた人は、救国の英雄は、紛れもなく良い人だった。最後の時まで誰かを護り続けた。俗に言う英雄だったよ」


「そっか。英雄さんは、そういう人なんだね」


「……儂は最後まで、自分のために生きて欲しいと思っていた。お前はあんなものになってくれるなよ」


瞼の裏には今尚ボロボロで血を撒き散らしながら戦う英雄の姿が焼き付いている。

いつだって笑っていた。

どれだけ痛くても、どれだけ苦しくても、理不尽を吹き飛ばすために戦う自分は皆を安心させるために笑っていなきゃだめだと、太陽のように眩しい笑みを浮かべ口にする、私が全てを救うと。


「大丈夫。僕を助けてくれたのはおじいちゃんで、僕がなりたいと思ったのはおじいちゃんみたいな人だから」


「儂みたいな人?」


「うん。英雄さんはきっと全部護らないといけなくて、手の届かないものまで手を伸ばして、助けられなかったことに苦しむ。けどおじいちゃんは、手の届くものだけを、絶対に護る。僕が憧れたのはそういう人だから」


目を丸くして驚く。

最近のミカの言動には驚かされてばかり。

少年の成長を喜ぶ一方、何も救えなかった自分に憧れているという少年の言葉に涙を流した。


「肝心の、本当に護りたかった者だけには、手が届かなかったどうしようもない男だぞ?」


「だって英雄さんは、自分を護ろうとする手を振り払ってでも自分以外の全部を護ろうとしちゃうんでしょ?」


「そうやって諦められたらどれだけよかった」


少年は老爺の頭を抱きしめ頭を撫でる。


「悲しいの?」


「悲しかったさ」


「辛いの?」


「辛かったさ」


「それでも……」


「ああ、儂は英雄にはならないし、護れなかった者として死んでいく」


後悔だらけだ。

けれど、それでも、英雄にだけは絶対にならない。

この役目を、誰にも引き継がせやしない。

百を超える墓標に誓った。

百を超える墓標以上の想いを以てたった一つの墓標に誓った。

絶対に、絶対に、誰かの為に命を擲てるような英雄を、決して生み出さないと。


「ミカ、七つになったら街へ出ろ、街で暮らせ、もう二度と、ここへ立ち入ってはいけない。誰かに話すこともしては駄目だ」


「急にどうしたの?」


「今までは話す決心ができていなかっただけ、昔から決めていた」


帰り道、老爺は何も答えてはくれなかった。

そこから先の毎日は、勉強に次ぐ勉強。

老爺は自分が知る全てを少年に叩き込んだ。

そして別れの日が近づくにつれ、一般常識を教えられていく。

ここでないどこかで暮らせるように、ここでの生活が終わると告げるように。


「おじいちゃん。僕、お別れはやだよ」


「僕では無く俺だ。それに泣くのも無しだ。街の者に舐められてはならん」


老爺は少年の巣立ちの準備を整えていく。

少年の意思すら無視するように。

日に日に寝ている時間の多くなる老爺の傍で、手を握り腕に抱き着くようにして最後の時を惜しむように少年は過ごす。

甘えるなと怒られるかもしれない、落胆させてしまうかもしれない。

けれど寝ているのなら、怒ることも、落胆することもないから。


「お爺ちゃん、大丈夫だよ。俺、強い男になるから。大事なモノだけは絶対に護れるような、お爺ちゃんが目指したものに、俺なるから。安心して、大丈夫だから」


そして旅立ちの日はやってくる。


「ミカ。セバスチャン・ミカエリス、七歳の誕生日おめでとう。そしてさよなら。儂からのプレゼントは棺のチャームだ。墓守らしいだろう?」


「そう、ですね」


「そう暗い顔をするな。確かにこれは終生の別れだ。だがだからこそ、悲しい終わりにはしたくない」


「うん、わかってる。大丈夫だよ。俺、お爺ちゃんのおかげで強くなったから」


涙を拭い明るく笑う。

別れが悲しくないように。


「それじゃあ行ってきます。世界を見てくるね」


手を振って森から出る。

その時だった、背後の老爺が駆けだしたのは。

振り返った時にはもうそこに老爺はいなかった。

ふと頭をよぎる。

強制された巣立ちと老爺の焦り。

前から決まっていた、知っていた、何を、己の死期を?

自分をみとらせないために急いでいた、焦っていた?

何故?

英雄たちのように果たせなかったことを託したくなかったから?

でも、もう、憧れている。

託されたからじゃない。

果たさねばならない使命じゃない。

やりたいと思ったから。

なりたいと思ったから。

だからもう、自分の意思で決めたんだ。

その先を行くんじゃなくて、その背を追いかけようって。

少年は再び森の中に飛び込んだ。

身体をひっかく枝を無視して駆けて行く。

追いかけて、追いかけて、そして追いついた。

老爺にはもう、考えながら走るだけの余裕はなかった。

老爺にはもう、遠くまで走るような体力はなかった。

老爺にはもう、時間が無かった。

見つけた老爺は、木に寄りかかって息を引き取っていた。


「……大丈夫だよ、お爺ちゃん。俺お爺ちゃんに強くしてもらったから。だから、泣いたりしないよ」


顔を上げ、震えながら息をする。

力強くまばたきをして、涙を必死に堪える。

涙が止まったとそう思えるまでどれだけの時間を要したかはわからない。

けれど、涙が止まったのなら、やらなきゃいけないことがある。

老爺に育てられた者として、墓守の子として、老爺に墓を作らなくてはならない。

それが、自分に出来る最初で最後の恩返しだと少年は思った。

老爺を抱きしめ、自身の持つ異能を発動する。

異能力はモノの大きさを変えるというもの。

老爺を手のひらサイズにまで小さくし、英雄たちの眠る墓まで連れて行く。


「お爺ちゃんはきっと、自分はここに眠るに値しないだなんていうかもしれないけど。捨てられた俺を育ててくれたお爺ちゃんは、紛れもなく俺の英雄だよ」


いつも暮らしていた家には棺があった。

小さな小さな棺。

きっと少年に渡すために練習していたのだろう。

その内の一つに小さな老爺を入れると、地面に穴を掘り、その中に埋めた。


「お爺ちゃん、もうここには来ないって約束破ってごめんなさい。けど、その約束だけはこれからも破ります。また、お話ししに来るから、待っててね」


立ち上がり息を吐く、小さく大丈夫と呟くと、老爺のお墓を見つめる。


「それじゃあ今度こそ行ってきます、お爺ちゃん」


そう言った瞬間、老爺の墓から無数の鎖が少年を縛り呑み込んでいった。

頭の中に声が響く。

人を救えと、世界を救えと、英雄になれと声がする。

そんな知らない声に交じって、知らない声を掻き消すような怒号が聞こえた。


《死者の戯言に耳を貸すなミカァァァア‼》


たった一つだけの知っている声。

その声だけは、その声で発せられた言葉だけは、信じられた。


大丈夫だよ。

俺はもう、俺で決められるから。


鎖が解け、ミカは墓地に解放された。

チラリと視線を鎖に移すと、鎖は動き出す、ミカの意のままに。


「そっか、これが英雄が受け継いできた力か」


いつまた勝手に動き出すかわからない鎖を放置するわけにもいかず、サイズを小さくしポケットに入れようとすると、ポケットの中の棺のチャームが震えだす。

ポケットから取り出した棺は開き、その内に闇をのぞかせる。

なんとなく、無意識の内で、その使い方が理解できた。

鎖をその内に全て入れ、唯一残した鎖をチャームに通して首に付ける。


「まぁ、これで管理はしやすくなったかな」


今まで暮らして家から残りの棺型チャームをいくらかポケットに詰め込むと今度こそミカは森を出て旅を始めた。

旅を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る