89-2
「ハァ、ハァ、ハァ――!」
打ち付けるような強い雨を浴びながら、一目散で病院へと走り続ける。
「ハナ……!」
そうして必死に足を進める中で、誰より大切な存在を思い浮かべる。
病院を出る前に見た、ハナの諦観に満ちた表情……あれはもはや、全ての責任を自ら背負い込もうとしているかのようだった。
もしこのまま紅葉さんが亡くなるようなことがあれば、ハナは生涯後悔を背負い続けることになるだろう。
どのような形であれ親を失えば心に傷を負うのは当然だが、彼女の場合はその引き金を引いてしまったのが自分自身であり、そのダメージの深さはもはや計り知れないレベルだ。
……勿論、今回のことにハナに責任があるなどとは、僕は微塵も思っていない。あれはあくまで、色々なことが重なって起きた『不幸な偶然』だ。
ハナが我を失う切欠となる話を、聞かれる可能性がありながら話してしまったのは『影』叔父さんだし、なんなら全ての『発端』は彼が10年前に選んだ『選択』であり、紅葉さんに重大な真実を黙っていたという『事実』でもある。
—―だがそれで僕が叔父さんを責めることなど、できる筈がない。
先刻叔父さんが告げたように、このことは彼ら家族の問題であり、『他人』の僕が口を挟める問題ではないのだ。彼らはそれで今までやってきたのだし、むしろそれに中途半端に首を突っ込んで掻き回したのは……他でもない『僕』である。
叔父さんにあんな話を持ち掛ければこんなことにはならなかった……そういう意味では、間違いなく責任は僕にある。
だが、たかが個人が起きた出来事の全ての責任を背負おうなどというのは、ハッキリ言って傲慢なことこの上ない。
それは例え『当事者』であろうと同じであり……まして『他人』の分際でそんなことを口走るなど、一体何様のつもりなのか。
そう――今更『責任』がどうなどと言うことに、何も意味はないのだ。
起きてしまったことは変えられない……如何なる時であろうと、成すべきなのは『過去』の追求ではなく、『現在』への対処だ。
故に『現在』の僕が成すべきことは……ただ病院にこの『心臓』を届けることのみだ。
紅葉さんを救うことなくして……ハナの『心』を救うことは、決して叶わないのだから。
「ん……?」
そうして1分ほど全力で走り続けた頃—―不意に遠くに人影らしきものが目に入った。辺りは暗いためハッキリとは断言できないが……見知った姿に似ているように見える。
「あれは……まさか、ハナ?」
病院にいたはずのハナがこちらに向かっている……そのことに気が付いた、次の瞬間だった。
ズザァァァァ!!!
突如、頭上から激しい音が響き渡り……そちらへと意識が向く。
「……な!?」
事態を理解できぬまま戸惑いの声を上げると同時に――全ての視界が奪われる。
その音の正体は、この雨により発生した新たな土砂崩れだった。
「ハナ……来るな!」
呼びかけた声が届いたのかどうか……もはやそれを知る由もなく、崩れゆく土砂に飲み込まれていくのを感じた始めた、その最中。
「—―『乖』!!」
自身の名を呼ぶその『声』が聞こえ……奪われた視界が突如クリアになった。
「ハ、ナ――」
ほぼ無意識に足を動かしながら、再びその名前を呼ぶ。
「ハナ!」
僕は死ねない……それは決して、『心臓』を彼女に届けるためだけではない。
思えば彼女は――これまでにどれだけ、心に傷を重ねてきたのだろうか?
幼少期は満足に動き回ることもできず……心臓の手術を受けて漸く、自由に動く身体を手に入れた。手術を終えて帰ってきた当初のハナは、満足に動けることへの感動の余り、度々出歩き回っては迷子になるということを繰り返していた。
幾度となくそれに付き合わされたのもいまやいい思い出だが……たったそれだけのことが、彼女にとってはそれ程までに大きな出来事だったのだ。
だというのに――それは余りに深い『業』と引き換えだった。
ハナの話した通りなら、彼女がその『業』を知ったのは4年ほど前だ。引っ越した筈の彼女が戻ってきたことは『僕』にとって非常に喜ばしいことだったが、その当時の『僕たち』は祖父を失った悲しみから漸く立ち直ろうという頃であり、ハッキリ言ってそこまで深くハナと関われてはいなかった。
「くっ……!」
思い返してみれば、あの頃の彼女は何度も『僕たち』に話しかけようとしては、諦めるということがあった。
それを寂しく思う『僕』の心は間違いなくあったが、当時はほとんど表に出ることができずにいたため、結局放置という形になってしまった。
しかし……そんな間も彼女は、あれ程の『業』を心に抱え続けていたのだ。
幼い頃の『約束』なんて、それを前にしては何の役にも立たない。
その時こそハナに支えが必要だったというのに、そうした間も僕は表に出ることができないまま、『約束』を知らない他人格によってハナが傷つけられるのを黙って見ていることしかできなかった。
「ふざける……な!」
そんな過去の自身を振り返りながら、その無力さへの怒り口にする。
一体どれほどの間……彼女を泣かせ続けてきたのだろう?
幼少期の経験故に、耐えるのは得意な奴だ。普段は能天気そうに振舞っており、裏で何があろうと平気で何でもないような振りをする……当時表に出ていた『戒』に想いを伝え、それが破れた時などがいい例だ。
「……たまる、か!!」
いくら悔やもうとも、後悔は消えず……いくら想像しようとも、彼女の苦しみを理解することなどできはしない。先ほども言った通り、起きてしまったことは変えられないのだから。
「死んで……」
故に、これ以上アイツを泣かせないために僕ができることは……
「たまるかぁぁぁぁ!!!」
彼女に寄り添い――『共に生きる』ことだけだった。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
無我夢中で、降りしきる土砂の中を走り抜ける。
「うぁっ!!」
しかし、抜けきった瞬間にバランスを崩して、そのまま前のめりに倒れ込む。
「『乖』!!」
そうして放り出された先で……再び名前を呼ばれた。
「ハァ、ハァ……」
見上げた視線のその先に、望む姿が立っている。
「……『乖』」
「待たせたな……ハナ」
残された僅かな『希望』は――こうして彼女の元へと辿り着いた。
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