第4章 月が綺麗ですね
第61回 宵を待つ旅路
61-1
「ハァ、ハァ……」
悲鳴を上げる心臓を抑え、必死に走り続ける。
怖い。怖い……
握ったその手は震えており、今にもそんな声が聞こえてきそうだ。
――無理もない。小さな子供が凶器を持った大人複数人に追い回される……それは想像するまでもなく、とんでもない恐怖だろう……そしてそれを感じているのは、『わたくし』もまた同様だった。
「……ダイジョウブです」
物陰に隠れる中、自身の横で怯える『その子』へと声をかける。
—―そう。アイツらが狙っているのは、『わたくし』だ。たまたま一緒にいたせいで巻き込まれてしまったが、本来この子は全くの無関係なのである。
だからわたくしは……必ずこの子を無事に返さなければならない。
前にお母様が言っていた。『コウキさとは、そのミをモッてシメすもの』だと。
……のぶなが? おぶりーじゅとかなんとか、難しい言葉を使っていたのでよくわからなかったけど、つまりは強いものは弱いものを守らなければならないということだと理解していた。
……なら『強い』わたくしは、『弱い』この子を守らなければならない。
「貴方のことはきっと……わたくしがマモってみせます!」
壁の影に『その子』を隠し、震える体を抑えながら、『そいつら』の前に出る。
「きゃあっ!」
――だが数秒後、そんな決意は何の役にも立たなかったことを思い知る。
突如横殴りにされると、その一撃だけで意識が朦朧とし――わたくしの記憶は、『そこ』で途切れた。
「……夢?」
――ふと、目が覚める。
「懐かしいですわね……随分久しぶりに見た気がします」
古い記憶を噛み締めながら、体を起こす。
――思えば『あの時』も、気が付いた時にはベッドの上だった。故にその後何が起きたのか、詳しいことを憶えてはいない。
「けど……あの時から、ですよね」
だが、朦朧とする意識の中—―ほんの一瞬だけ、目が覚めた瞬間があった。
今でも『あの光景』だけは、鮮明に覚えている。
――無残に倒れた人の群れの中、雄々しく立つその背中を。
そして……
「……カイ、ちゃん?」
それを見た自身が呼んだのは――紛れもなく『その子』の名だったことも。
そう……その瞬間こそが、わたくしの『恋』の始まりだったのだから。
「しかしまあ、こんなことになるとはな……」
「ホントだぜ。一体どんな財力してんだよ……」
「今更何を言っている? 『あの女』の暴走は今に始まったことではないだろう」
「まあいいじゃねぇか。おかげでこんな豪華な船旅ができるんだからよ」
「うむ、非常にいい景色だ……ムニャ」
――眼前に拡がる一面の『青』。
それを眺めながら溜息を吐いていると、『
—―時は九月末。
オレ達……いや、名勝学園の二年生数百名は、松島財団所有の『豪華客船』にて、見渡す限りの大海原を移動している真っ最中だった。
……もちろんこんな事態になっているのは、それなりの理由がある。
ことの始まりは、数週間前へと遡る――
「は? バスで移動? なぜそんな狭苦しいものを使わなければならないのです?」
「なぜって……それぐらいしか手段はないでしょう?」
ある日のホームルームの時間。不満そうに尋ねるルナに、サヤ姉が問い返す。
「何を言っているのですか。移動手段なんて他にいくらでもあるでしょう?」
「他にって……学年全体で何人いると思っているの? こんな大人数を一斉に移動させようとしたら、クラス毎に分けての貸し切りバスが一番都合がいいのよ。電車や飛行機で行く手段もあるけど、数百人の団体が駅や空港に集まったら周囲の迷惑になるでしょう? だから少々時間はかかっても、これがベストな手段なの。わかる?」
本気で不思議がるルナに対し、呆れ気味にサヤ姉が事情を説明する……極めて自然な理由であり、反論の余地はどこにもないように思える。
「わかりません。折角の『修学旅行』をなぜそんな窮屈極まりない状況下で過ごすさなければならないのです?」
「……」
だが、案の定この女にそんな『一般的な理屈』が通用する筈もなかった。
「あのねぇ、松島さん。ワガママも大概にしなさい? そんな都合のいい移動手段なんてあるわけ……」
「あら、ありますわよ?」
溜息と共にサヤ姉が再度説得にかかるも、突如それをルナが遮る。
「え?」
「周囲の迷惑にならず、大人数の移動ができればいいのでしょう?」
虚を突かれて呆けた様子のサヤ姉に対し、ルナがドヤ顔で胸を張る……そう。確かに普通に考えれば、そんな都合のいい移動手段は存在しないだろう。
「我が松島財団が保有する客船を、名勝学園に貸し出します。公共交通機関などより、その方がよっぽど快適でしょう?」
――だが忘れてはならない。
「ハァ……」
頭を抱えながら、サヤ姉が溜息を吐く……こうして名勝学園の修学旅行は、豪華客船による『クルージング』へと変更されたのだった。
――という経緯で現在に至る。
現在は修学旅行初日の昼……目的地である東北地方へと向けた航海の真っ最中であり、そんな中オレ達は、通り過ぎる壮大な風景を尻目に雑談を交わしていた。
「しかし親父の奴、結局肝心なことは教えてくれなかったな……」
「ああ。ホント隠し事もいい加減にしてほしいぜ」
「クソ。またあの理事長が何か仕掛けてくるかもしれないんだぞ……」
「……まあわからんことを考えても仕方あるまい……ムニャムニャ」
「ま、そうだな。けど理事長がおれ達の実の父親か……まだピンとこねぇよ」
――話題に挙がっているのは、先日の学園祭のことだ。
親父の発言で名勝学園の理事長である『
その場は
そうして時が過ぎ、結局親父はその件について詳細を話すことなく、またふらりと姿を消してしまったのだった。
「まあ、それはそれとしてだ。お前らどうすんだよ? 愛しのあの子と過ごす計画は立ててんのか?」
一通り話が済むと、この話は終わりと言わんばかりに『魁』が話題を変える……ホントこいつはすぐそっち方向に話題を持ってきやがるな。
「別に……特に何も考えてねぇよ」
「お前に語る義理はない」
「放っとけ、余計なお世話だ」
「かぁ~、つまんねぇ奴らだなぁ。折角の『修学旅行』だぜ? 一緒に来れたチャンスをもっと活かそうって気はねぇのかよ? 見てみろ
問いに対して三人三様に答えるも、内容が気に入らなかったのか、『魁』は大げさに溜息を吐きながら、少し前から壁に寄りかかっている『χ』を指差す。
「ぐが~」
「いや、普通に寝てるだけだろ……」
「……ふん、まあいいさ。折角の自由の身だ。おれはこの旅行の間、好きにさせてもらうことにするぜ。おっ! そこのカノジョ、ちょっといいかい?」
――空気に居た堪れなくなったのか、『魁』は逃げるようにその場を去っていき、早速ナンパを始める。
「……まあ元気なこって」
「放っておけ、サトルがいなくて拗ねてるだけだ」
「ったく……先が思いやられるぜ」
そうした溜息交じりの中――オレ達の『修学旅行』は、幕を開けたのだった。
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