第47回 夏なれど心は雪模様

47-1

 キーンコーンカーンコーン。


「しゃ~! 終わった~!」

 終業の時間を告げるチャイムの音を聞き、俺は解放感と共に大きく背伸びをする。長々と続いた補習期間もこれにて終了だ。


「はい、お疲れ様。二度と受けにくるんじゃないわよ?」

「へいへい。あ~あ、やっとこの苦行から解放されるぜ……」

 最終日ということもあって様子を見に来たサヤ姉の言葉に応える――この瞬間より、漸く真の夏休みが始まったと言えよう。


「これに懲りたらちゃんとの手綱握っときなさいよ?」

「そうだな。くそ、どっかのバカが妨害してなきゃ、とうに自由を満喫できてたっていうのによ……」

 サヤ姉の言葉に同意しながら、ことの原因となったバカにそれとなく釘を刺す……ほんと『χ』こいつのせいで散々だぜ。


「(まったくだ。なぜ貴様の能力不足のせいで我の貴重な時間を奪われなければならん?)」

 だがこのバカには、皮肉というものが全く通用していなかった。


「いや、お前だよお前! 邪魔してた張本人が何ほざいてんだ!」

「(フン。自らの無能を棚に上げ責任転嫁するとは、見下げた根性だな。これだから愚鈍は)」

「……」

 そうした『χ』の物言いに呆れ果てた俺が無言になっている時だった。


「(ちょっと黙っとけや)」

 ピン!

「(デコピンで飛ばされながら)ほげぇぇぇぇぇ!」

 どうやら同じ気持ちだったらしい『快』の一撃により、悪は裁かれた。



「……コホン。一人漫才してるとこ悪いけど、私はもう上がらせて貰うわね」

 一人でボケと突っ込みを繰り返す俺に居た堪れなくなったのだろう。もう解放してくれとばかりに、わざとらしくサヤ姉がせき込む。


「あ、うん」

「じゃあ気を付けて帰るのよ? ……あ、そういえば言い忘れてた」

「え?」

 そうして別れ際の挨拶を交わしている最中、ふと何かを思い出したのか、サヤ姉が振り返る。


「『戒』ちゃんに一つ朗報よ。ユキちゃん、帰ってきてるって。明日から練習再開だけど、アナタとは入れ違いになっちゃうからとりあえず連絡だけしとくわね」

「え……ああ」

 それだけ告げ、サヤ姉は教室を去って行った。


「そっか。帰ってきてるのか、天橋」

 一人取り残される中、誰に話すでもなく呟く――なんだか、無性に彼女に会いたかった。




 カランカラーン!

「いらっしゃいませ!」

 ――ドアを開けると、来客に気が付いた店員の元気のよい挨拶が響く。


「って、あれ……池場谷くん?」

「よ、よお天橋。久しぶり」

「う、うん……」

 早速の遭遇に思わず顔を見合わせる――天橋の顔が見られるかもと思い、彼女の家でもある喫茶店にやってきたが、まさか帰宅早々店の手伝いをしているとは思わなかった。


「なに、ユキ。お客さん?」

 固まる俺たちをよそに、店の奥から一人の女性が姿を現す。この人は確か……


「あ、お母さん……う、うん。そうみたい」

 そう、天橋の母親だ――確か『りつ』さんと言った筈だ。


「あら。あなた、どこかで……?」

「は、! 池場谷戒といいます! ユキさんの同級生です!」

 慌てて初対面を強調して、挨拶をする――以前ここに忍び込んだ時に一度顔を合わせてはいるが、あの時は変装していた。同一人物とバレてもややこしいので、ここはそういうことにしておこう。


「……ああ! あなたがいつもユキが話している子ね?」

「へ?」

 すると、突然何かを察した表情で頷かれ、俺は思わず間抜けな声をあげる。

 

「ちょ、ちょっとお母さん!」

「ああ、ごめんなさい。わたしは天橋立。この子の母親よ。よろしくね」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 慌てた様子でそれを遮る天橋をよそに自己紹介が行われ、俺もまた挨拶を返す。はて……一体なんだったのだろうか? と思っていた矢先だった。


「もうユキ、聞いてないわよ? 彼氏が来るならそう言っときなさい」

「ぶぅっ!」

 突如爆弾発言がぶちかまされ、俺は思わず吹き出す……いきなり何言ってんだこの人!?


「か、彼氏って、わたし達はまだそんなんじゃ……」

「ふ~ん、ね。じゃあそのうちにはってこと? そうなの、戒くん?」

 突然の言葉に反応し切れず天橋が言葉を詰まらせていると、今度は俺へと矛先が向く。


「うぇっ!? え、えと、それは……」

 それに対して俺もまた言葉を詰まらせていた時だった。


「もう、お母さんってばいい加減にして! そんなんじゃないって言ってるでしょ!」

 ――かなり強い口調で、天橋から否定の言葉が告げられた。

 うう、そこまでムキに否定しなくても……


「はいはい、そういうことにしときましょうね。じゃあ後は若い二人でごゆっくり~」

 揶揄い終えて満足したのか、立さんは笑いながら厨房へと消えていった。



「まったくもう……ごめんね、池場谷くん」

「あはは……いいよ別に」

 立さんが去る同時に謝罪する天橋に、気にしないよう告げる……しかしまあ、なかなかにぶっ込んでくるお母様だな。



「そ、それで今日はどうしたの? いきなり店まで来るから驚いちゃった」

 気を取り直したように、天橋がここに来た理由を尋ねる……まあ突然だしな。


「いや、サヤ姉から戻ってるって聞いて、ちょっと気になってな……」

「え?」

「その、インハイの結果聞いたよ。残念だったな」

 徐に口を開く――大会結果だが、天橋は残念ながら予選落ちだったらしい。


「あ、うん……もしかして、それで?」

「……」

 問い返され、無言で答える。それで落ち込んでいないか心配だったというのも、今日ここに来た理由の一つだ。


「その、ありがとう。もう大丈夫だよ? さすがに直後は落ち込んだけど、まだ来年もあるし、切り替えていかなきゃね」

「そうか……」

 笑顔で天橋が答える。若干表情は暗いが、思ったよりも元気そうだ。なら俺が暗くしていてもしょうがあるまい。


「そういえばハナは優勝したんだって? やっぱすげぇんだな、あいつ」

 そう思い、話題を変える――陸上部のもう一人のエース様は、しばし見ぬ間に快挙を成し遂げていたらしい。有力候補とは聞いていたが、その通りに結果を出すあたり、流石という感じだ。


「うん、凄かったんだよ?」

 その話題に、天橋が嬉しそうに胸を張る――親友の快挙に、彼女も誇らしげだった。



「そういえば、注文どうする?」

 そうして世間話を終えた頃、思い出したように聞かれる……確かに客として来た以上、何か頼まなきゃ失礼というものだ。


「えっと、じゃあこの今日のオススメセットで」

「はい。ご注文承りました! 1番さん、オススメ入りま〜す!」

「はいよ!」

 促されて注文すると元気のいい声が響き、厨房から応答の声が返ってくる。


「へえ、慣れたもんだな」

「あはは……まあ昔から手伝いはしてたからね」

 思った以上に板についているそのやり取りに思わず感嘆の声を上げると、照れ臭そうに天橋が笑う。う~ん、こういうのも新鮮でいいなぁ……と、その様子に見惚れて油断していた為だろう。


「ちょっと待っててね。今コーヒー淹れるから」

「え!? 天橋が淹れるのか?」

 天橋が発した次の言葉に、思わず失言が出てしまった。


「……何? その反応は」

「いや……楽しみだなって」

「そう?」

 ジト目で振り返られたので慌てて取り繕うと、天橋は嬉しそうにコーヒー豆を挽き始める……大丈夫なのか?



 ――数分後。

「お待たせしました。はいどうぞ!」

「……いただきます」

 極上の笑顔と共にお出しされたコーヒーに、覚悟を以って口をつける。してその味は――


「……美味い」

 びっくりするほど美味しかった。


「でしょ? うち自慢のコーヒーなんだから!」

「ああ……びっくりしたよ。天橋、コーヒー淹れるの上手いんだな」

「うん、小さい頃からずっとお店を手伝ってたからそこは自信あるんだ。コーヒー限定だけど、お母さんが居ない時には淹れていいって言われてるの……なんでか厨房の方は未だに任せて貰えないんだけどね」

「ま、まあ厨房は色々大変だしな……」

 珍しく自慢げに語った後に若干の不満を零す天橋に対し、なだめるように相槌を打つ……うん、立さんの目は確かだな。


「でも、そろそろ任せてくれてもいいと思うんだけどな……」

「あの腕前でよく言えるわね? あんたの料理なんか出した日にゃ、その日から店の評判ガタ落ちよ」

「お母さん……」

 そうやって口を尖らせている天橋に突っ込みながら、立さんが店の奥から姿を現した。その手が持つトレイには、できたての料理が載せられている。


「お待たせしました。今日のオススメセットになります」

「あ、はい。いただきます」

「はい、どうぞ召し上がれ」

 そうして出てきた料理を、ありがたく頂くのだった。

 



 ――十数分後。

「ご馳走様でした」

「はい、お粗末様でした。お味はどうかしら?」

「……すごく美味しかったです」

 食事を終えると感想を求められたので、率直に答える――サトルやハナの料理も美味いが、この料理には長年この道で生きている故の熟練ぶりと言うか、すごく洗練されたものを感じ、そういう意味でまた一つ違った味わい深さがあった。



「そう、お口にあってよかったわ。未来の息子に粗相があったらいけないもの。ねえユキ?」

「だから変なこと言わないで!」

「ははは……」

 またまたブッ込んだ発言をする立さんに、天橋がすかさず突っ込む――そんな母娘のやり取りに苦笑いを浮かべている最中のことだった。



「あ、そうだユキ。後片付け、あんたの方でやっといてくれない? 少しと話がしたいんだけど」

「「へ?」」

 さらに突拍子のない発言が飛び出し、俺と天橋は目を点にして顔を見合わせるのだった。

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