第42回 成長記録~雛から鳥へ~
42-1
――10年前。北海道某所。
「紹介するぞ、カイ。この子は『大沼サトル』……お前のイトコだ」
「イトコぉ?」
無理やり連れられてじいちゃんのジッカとやらにやってきたおれは、そこで小さな『女の子』を紹介され、聞き慣れないその言葉を繰り返す。
「『鳴』叔母さんを覚えているか? ……あれの子供だ」
「……ふ~ん」
メイおばさんなら知ってる。死んだ母さんの妹だったはず……てことはまあ、この子はいわゆる『シンセキ』というやつなわけだ。
「おれはカイ! よろしくな、サトルちゃん!」
まあせっかくこんな可愛らしい女の子がいるなら、ぜひとも仲良くしておかなければなるまい。そう考え、何やらもじもじしているその子へ手を伸ばす。
ゲシッ!
――だが、返ってきたのは、手ではなく足だった。
「ってぇ~! なにすんだよ!」
見事なローキックをかまされたおれは、ケンカ腰で『そいつ』に文句を言う。いきなり蹴り入れるとか、ふざけんなよ!
「うっさい! だれがサトルちゃんだ! ボクは『男』だ!!」
「……は?」
そいつが発した予想外の言葉に、おれは呆けたように目を点にする。
「男? おまえが?」
「そうだ! 文句あるか!」
驚きの事実に茫然とするおれをよそに、そいつは尚もケンカ腰で突っかかる。
「うそだぁ? こんな女みたいな顔してるのに?」
ゲシッ!
「いだ!」
聞き返すと、ノータイムで再度ローキックをお見舞いされた……かなり痛い。
「くそっ! さっきからなんなんだよおまえ!」
「うるさい! それはこっちのセリフだ!」
「なんだとこいつ!」
「コラコラ仲良くしなさい。お前たちはこれから一緒に暮らすんだから」
――すぐさま口ゲンカを始めたおれ達に対し、じいちゃんが仲裁に入る。
「コイツと!? やだよおれ!」
「こっちこそオコトワリだ!」
「なんだとこのクソガキ!」
「うるさいこのバカ!」
「てめぇ! バカっていう方がバカなんだぞ!」
「うるさい!」
「おまえ、いいかげんに――!」
……だが一度点いた怒りはすぐに消えるものではなく、尚も続くそいつの暴言に頭にきたおれが思わず掴みかかろうとしたその時だった。
ポカっ!
「いて!」
――横からじいちゃんがおれにゲンコツをかましてきた。
「いい加減にしないかカイ!」
「だってこいつが……」
「お前の方がお兄ちゃんなんだから少しは堪えなさい! それに先にサトルを怒らせたのはお前の方だ。一人前の男なら自分の間違いは素直に認めるものだぞ?」
「……ちぇっ、しゃーねぇな」
じいちゃんの言葉に、おれはしぶしぶ怒りを収める――正直納得いかないが、これ以上どやされるのはゴメンだったし、確かに女に手を出しては男がすたるというものだ。ここはオトナなおれの方が譲ってやらなければなるまい。
「すまなかったなサトル。女扱いして悪かったよ」
寛大な心で謝罪を告げる。まあこれでこのクソガキも少しは態度を改めるだろう……と思った次の瞬間だった。
「あっかんべ~だ!」
そいつはじいちゃんを味方に付けたのをいいことに、その後ろに隠れ、完全に調子に乗ってこちらを挑発していた。
「(コイツ、そのうち絶対泣かす……)」
そうしておれは、必ずこのクソガキに一泡吹かせてやると心に誓った。
――それが、おれとサトルの出会いだった。
「……とまあ、出会った頃のサトルはこんな感じのクソガキだったわけだ。ひでぇだろ?」
「どっちもどっちだと思いますが、確かに相当酷いですわね。初対面から暴言の嵐とか、人としての品性を疑いますわ」
回想を終えたおれの言葉に、ルナちゃんが呆れ果てながら同意を見せる……ハハハ、一体どの口がそんなことを言うんだい?
「でもあの頃のサっちゃんは確かにそんな感じだったよね」
「そうそう。その後色々あっておれには懐いたんだが、今度はおれに近づく奴に片っ端からケンカ売るようになってだな……マジで切れたナイフみたいだったよ」
「あれ、昔からなんだ……」
ハナの言葉に同意しつつその後をかいつまんで話すと、ユキちゃんが苦笑いと共に呟く――いつぞやの『勝負』が頭を掠めたのだろう。
「ええ。私もハナちゃんも勝負吹っ掛けられて大変だったのよ?」
「うう~、もう勘弁してください……」
懐かしむ様に笑うサヤ姉の言葉に、サトルが顔を赤くする……まあ、こんな話をされたら恥ずかしいのも無理はない。
「で、そんな感じの日々が続いてたんだが……そのクソガキが変わるきっかけとなる出来事が起きてだな」
「きっかけ?」
――話題を変えるように口を開く。そう、当時のサトルはそんなだったわけで、今のようにおれの世話を焼くようになったのには、当然それなりの理由がある。
「……じいちゃんが死んだんだよ。それからだ。サトルが変わったのは」
おれ達は――その事情を前に、変わらざるを得なかったのだ。
――5年前。
「サトル、またここにいたのか?」
「……」
呼びかけるも、反応はない。祖父が亡くなってから数日――サトルは毎日ずっと、彼の仕事場だった店の『工房』に籠りきりだった。
つい最近まで使われており、一番その存在を感じられる場所だったからだろう。
「なあ、いい加減戻ろうぜ。親父も叔母さんも心配してるぞ」
「戻る……? どこに?」
「サトル?」
再び呼びかけると漸くサトルが反応を返すが、その声は震えている。
「おじいちゃんがいない家なんて、家じゃない! 大体心配ってなんだよ! 今まで散々放っておいたくせに!」
「……」
「うう、おじいちゃん……」
泣きじゃくるサトルを、おれは無言で見つめる――そもそもこいつがうちに引き取られたのは母親である『鳴』叔母さんが仕事で面倒を見切れなくなったからで、サトルはそれ以降実質的に祖父に育てられた。
その上祖父は、長男であるおれにはたびたびゲンコツを飛ばしたりとやたら厳しかったものの、サトルには駄々甘であり、この5年間でこいつは見事なまでのおじいちゃん子に育っていた――そんな子が祖父を失ったのだ。この悲しみようも無理はない。
「うぇっ、うぇっ……おじいちゃんがいないなんて、やだよぉ……」
尚も嗚咽を零すサトルを励ましたい――その一心だったのだろう。
「大丈夫だ、サトル」
「え…?」
気が付けばおれは、背後からサトルを抱きしめ、そう告げていた。
「兄ちゃんは、何があってもお前の傍に居る」
「にい……さん?」
戸惑うサトルに告げる――そうしながらおれの脳裏には、少し前の祖父とのやり取りが思い返されていた。
「カイ、こっちに来なさい」
「……」
「お前には色々苦労をかけたな……済まなかった」
「じいちゃん……」
「あの子を――サトルを頼んだぞ」
しばし言葉を交わした後、そう言って祖父はおれの頭を撫でる……何度もゲンコツを食らったのと同じものとは思えない、優しくあたたかな手だった。
「……うん」
「よし、えらいぞ。それでこそ『お兄ちゃん』だ」
「うん……うん!」
泣きそうなのを堪えて告げると、祖父はただ黙って優しく笑う。
――それが、じいちゃんと最期に交わした『約束』だった。
「お前のことは、何があっても兄ちゃんが守ってやるからな!」
真っすぐにサトルを見据え、告げる――そうだ。じいちゃんは、もういない。ならこれからは、おれがサトルを守る。
「だから……おれが傍にいるから、もう泣くな」
「……うん」
そうして漸くサトルはこちらを見てくれた――気が付けばおれも泣いており、その日は二人して一緒に涙が枯れるまで大泣きしたのだった。
――それからというもの、おれは毎日サトルの身の回りの世話を焼き始めた。
あの場では落ち着いてくれたものの、やはりサトルは精神的に非常に不安定で、夜中に突然泣き出したり、一人で登下校できないといった状況が続いた。その度におれはサトルの傍に張り付いてなだめる毎日を送るようになっていた。
もちろんそんな生活を続けて保つわけがなく――無理が祟ったおれは、ある日突然過労で倒れてしまった。
「それで漸く、目が覚めました。いつまでも兄さんに甘えてばかりじゃダメなんだって。このままじゃ兄さんまで死んでしまう……そう思ったら、もう形振り構っていられませんでした」
それ以来サトルは人が変わったようになり、一切できなかった家事も瞬く間にマスターし、おれが回復する頃には、世話する側とされる側が完全に逆転していた。
――こうして、現在の家事万能な『池場谷サトル』が誕生したのだった。
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