19-2

 ——夢を見ていた。

「大丈夫だ、サトル」

 あれはいつの事だったろうか? 

「兄ちゃんは、何があってもお前の傍に居る」

 泣いているボクに、優しく声が掛けられる……強がっているのは明白だった。だって、その声は完全に涙声だ。顔を伏せているボクにでもその人が泣きそうなのを必死に堪えていることが丸わかりだった。

「お前のことは、何があっても兄ちゃんが守ってやるからな!」

 それでもあの人は——兄さんは、ボクを守ると誓ってくれた。

 そう、あの時からずっと、兄さんはボクにとっての『ヒーロー』なのだ。


 ——だからこそ、ボクは思ったのだ。

 そうして精一杯に強がっているあの人の心をこそ、『守りたい』と。


「ここは……?」

 ——車が揺れる音で目を醒ます。意識が飛ぶ前の記憶は曖昧だが、急に背後から誰かに襲われたことは思い出せた。おそらく睡眠薬でも盛られ、この車に放り込まれたのだろう。

 そして両手は縛られており満足に身動きは取れない……状況から判断するに、ボクは『誘拐された』のだと見て間違いなかった。


「よお、起きたか」

 ボクが目覚めたことに気付いたのか、誘拐犯の一人と思しき男が声を掛けてきた。

「あなた達……何者ですか? ボクを一体どうしようというんですか?」

「どうもこうもない。お前はをおびき出すためのエサに過ぎん」

「ヤツ……?」

 男の言葉にボクは問い返すが、その人物の当たりは既についていた。なぜならボクを誘拐しておびき出せる人物の数など、たかが知れているからだ。


「そうだ。俺を酷い目に遭わせてくれたあの野郎……『池場谷カイ』に復讐するためのな!」

 ——やはり狙いは兄さんだった。


「……哀れですね。人質を取らないと勝負もできないなんて、その時点で自分の負けを認めているようなものじゃないですか」

「何だと……?」

「兄さんに勝ちたいなら正面から挑めばいいものを……あの人はそういう闘いなら、別に拒否はしませんよ」

 そう言って眼前の男を蔑む。こんな卑怯な奴らに言っても無駄なことは分かっているが、一言言ってやらなければ気が済まなかった。


「ふん、お生憎様だな。別に俺は奴に勝ちたい訳じゃない……ただ奴をぶちのめして、屈服させたいだけなんだよ」

「プライドも何もないということですか。そのような腐った性根で兄さんを下そうなど……笑わせてくれます」

 どうやら相手は想定以上の下衆だったようである。本当に呆れたことだ。

「おいてめぇ! さっきから聞いてりゃ何アニキに対して無礼なこと言ってんだ!」

「まあ待て」

 ボクの発言が気に障ったようで、別の男が横槍を入れるも、それを先ほどの男が制する。


「おいガキ。さっきから随分余裕ぶっこいてるが……お前、自分の立場わかってんのか?」

「ええもちろん。兄さんをおびき出すための大事な人質でしょう? なら丁重に扱って下さいね? ボクに手を出すという『約束』を反故にすれば、兄さんが一人で来ることもなくなる……あなた達の望みも叶わなくなりますよ」

「こいつ……!」

「ふん、言わせておけ……どうせ何もできやしねえんだ」

 ……実際のところは男の言う通りだった。こうやってボクがいくら挑発しようと、状況が好転することなどありはしない。

「まあ見てろ。もうすぐご自慢のお兄ちゃんを、お前の目の前でぶちのめしてやる。それまで精々粋がっとくんだな」

「……」

 下卑た笑顔を浮かべながらそう告げる男に対し、ボクはただそうして睨みつけることしかできなかった。


「……ねえ、カイちゃん。この作戦、ホントに大丈夫なの?」

「問題ないさ。僕の読み通りならな」

 サトルが攫われてから凡そ一時間後——僕たちはサヤ姉の車で目的地へと向かっていた。


「でも危険よ……」

「人の心配より自分の仕事を果たすことに集中してくれ。結局はあんたの能力ちからを必要とすることになるんだからな。頼りにしてるぜ。

「……もう。わかったわよ」

「奴らの指定した場所までもうすぐだ。車を停めたら、予定通りあんたは伝えたポイントの辺りで待機しておいてくれ」

「……ええ」

 覚悟を決めたように、サヤ姉が頷く。

「お前たちも頼んだぞ……悪いが今はサトルを救い出すことだけに集中してくれ」

「うん!」

「……わかりましたわ」

「……はい」

 後ろの座席に座る少女たちへ言葉を告げると、彼女たちもまた複雑な心境を一旦横に置きながら、そう答えてくれた。

「……ありがとう」

 ——小さく感謝を告げる。目的地までは、もうすぐだった。


「しかしよお……こいつホントに男なのか?」

「マジで女みてえだな。こうして縛られてるの見るとなんかゾクゾクしてくるんだが……」

 ——男たちのアジトらしき場所に連れ込まれたボクは、建物内の柱に両腕を縛り付けられ、身動きが取れない状態になっていた。

 そしてそんな状態のボクを、見張りの男たちが嘗め回すような眼で見ていた。


「あ~やっべ、ちょっと悪戯してみたくなってきたわ」

 そう言って見張りの一人がボクに手を伸ばそうとする。

 ゲシッ!

「……触るな。ウジ虫」

 足の方は自由が利くため、咄嗟に近づいてきた男を蹴り飛ばす。


「なんだぁ? てめぇ……」

「軽々しくボクに触れるんじゃない」

「てめぇ……立場わかってんのか?」

「そうやって脅せばみんな従うとでも思っているのか?」

「てめぇ!」

 パァン!

 逆上した男がボクの頬を張る。これはなかなかに効く——


「ほら、気に入らないことがあるとすぐこれだ。これだから野蛮人は……」

「てめぇ、さっきから言わせておけば!」

 尚も挑発すると、男が逆上しボクの胸倉を掴む。

 ビリィッ!

 ——そして、そのまま力任せにボクの服を引きちぎった。


「おいマジかよ……こいつ、ホントに女じゃねえか!」

 隠していた胸の膨らみが露わになり、奴らはとうとうその『事実』に気がついたようだった。

「……近寄るな」

「ふん、なんだ。震えてんじゃねえか。粋がってたのは貞操の危機を感じてってやつか?」

「……黙れ」

 ——そう言って男を睨むが、実際ボクに余裕などありはしない。何をされようが屈するつもりなどないが、所詮強がりに過ぎない。本当は怖くて仕方がなかった。


(助けて……兄さん!)

 ——心の中でを呼んだ瞬間だった。 

 バァァァァァン!

「なんだ……?」

 建物の扉が大きく音を立てて開かれる。


「おいてめぇら……『誰の許可』を取ってそいつに触ろうとしてやがる……?」

「お前は……」


「そいつに——『沙鳥留サトル』に指一本触れてみやがれ……てめぇら全員、ブッ飛ばす!!」

「兄さん!!」

 ボクにとっての『ヒーロー』が、颯爽とそこに参上したのだった。

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