第177話 てったい

「ま、まさかあの大豪院くんが倒されるなんて…?」


 呆然と呟くアンドレの言葉に誰一人返事をする者は居なかった。


 大豪院は大の字のまま光の消えた目を見開いたまま微動だにしない。頭からの出血の吹き出しは止まった様だが、そんな事は今にしてみればどうでもいい些末な事に思える。


 元々は魔王を倒す為に命を授かった(らしい)大豪院だが、魔王を倒せる『勇者』となる前に魔王に負けてしまっては、全く以て意味がない。


 魔族側としても、そもそもの油小路らの計画は『大豪院が転生出来ない様に、その魂を永久に封印する事』でもあって、大豪院の方から神々が感知し得ない魔界までわざわざ出向いてくれたのは紛れも無い僥倖だった。


 その上で油小路個人の思惑としては、魔王と大豪院で体力を削り合って貰えれば最高だったのだが、大豪院が意外なほど簡単に死んでしまったので、油小路は次の『当て馬』をユリに定める。

 途方に暮れるマジボラ一行を見切り、ユリと蘭の激闘の場へと液体化させた体で地中を進んでいた。


『ユリの勇者の戦力はまだ未知数ですから私が直接戦うのは避けたい。そしてあのこむすめの戦闘力では勇者には到底及ぶまい。やはりこの場は退くか…?』


 ☆


 蘭とユリの戦いも佳境を迎えていた。当初は蘭の勢い任せの攻撃にたじろいでいたユリであったが、やはり戦闘の経験値の差なのか疲労の色が出てきた蘭に対してユリの反撃が次第にヒットする様になっていた。


「蘭さん、この場は退きます。《転移門ゲート》の用意をしますので屋敷の中まで来てください」


 蘭の頭の中に響く油小路の声。ただ、言われた蘭も「ハイそうですか」と逃げ出せる体勢に無い。


「そんな事を言ったって、勇者このひと動きは速いし一撃は重いしで簡単に逃げられな… ハッ!」


 蘭はとある事を思い出し自らの腰に手を遣る。魔界にやってくる直前、睦美らと茶番に等しい闘いを行った際に使用した閃光手榴弾スタングレネードがまだ1つ残っていたのだ。

 迷う事なくグレネードのピンを抜き、ユリの眼前に投げる蘭。図らずも魔王が出現した時にユリが蘭を撹乱するべく使おうとした作戦を今度は蘭にやり返される事となった。


「うぉっまぶしっ!!」


 光と音に幻惑されて蘭を見失うユリ。その隙に蘭は元いた屋敷へと避難する。


 やや置いて閃光から回復したユリは慌てて蘭を追うが、ユリの眼前には既に油小路の作った《転移門ゲート》が展開しており、今まさに蘭らが門に入って消えていく所だった。


 そこでユリの見た人物は3人で、蘭と油小路の他、ユリの知らない、顔つきは日本人だが『藍色の瞳がとても印象的な』美男子であった。


 ☆


「ヒザ子だけでなく大豪院まで…」


 ユリの活躍で大楽勝かと思われた戦いであったが、蓋を開けてみるとマジボラ側の損害は甚大であった。

 魔王にやられた久子の怪我はまだ回復していない。変態して魔法を使おうとしたつばめを久子が頑なに拒んだ為だ。


「大丈夫ですよ睦美さま… 私まだ、やれますから…」


 弱々しくも荒い息で主張する久子であったが、複数の骨折を抱えたまま立つ事すら叶わない彼女が何かを出来るとは傍目からは到底思えなかった。


『私は本当に役立たずだ… 久子先輩の怪我にビビって動けなかったのに今度は大豪院くんまで… さすがに死んだ人に魔法を使ったらわたしも死んじゃうのかな…?』


 沖田を助けると決めて魔界に来たはずなのに、いざ現場に出ると怖くて体が動かない。『人間を辞める恐怖』も勿論あるが、それ以前につばめの魔法には『痛みか症状のどちらかをつばめ本人が引き受ける』という代償があるのだ。


 全身の骨折の痛みは沖田の時に体験している。あの時はもんどり打って挙げ句気絶してしまった。

 今の久子の状況は沖田の時ほど酷くは無いが、それでも骨折の痛みは何度も味わいたい物ではない。かと言って骨折を引き受けると右手が使い物にならなくなる。


 ただの女子高生が背負う選択ではない。息を荒くして必死に考えるつばめだったが、いつまで経っても頭の中でメリットとデメリットが堂々巡りをして決断できずにいた。


 前方に目を遣ると最早軍隊として機能していない魔族軍の残党をユリがビームで蹴散らしていた。


「ただいまー って、何かヤバい事になってるね?!」

 

 蘭と油小路に逃げられた腹いせを済ませたユリが合流する。当然ユリの目に入ってくるのは傷ついた久子と、目を開いて倒れたまま動かない大豪院であった。


「ヤバいなんてモンじゃないわね。早くも満身創痍よ…」


 睦美の諦め声が魔族も去って静寂を取り戻した場に虚しく響く。

 リーダーの睦美の心が折れかけているのだ。その気持ちは周りにも伝播する。

 

 アグエラが無事な以上、元の日本せかいに帰るのは難しい話では無い。ただこのまま帰っても沖田は取り戻せないし蘭も敵に同行し行方不明のままだ。何の成果も得られていないまま帰る訳にはいかないのだ。


「うぅ…」


 一行とは少し離れた所で聞き覚えのある男のうめき声がする。その声は本来なら声が出るはずもない場所、倒れた大豪院の体から発せられていた。


 死んだと思われていた大豪院の体が、おもむろに起き上がり立ち上がる。だが顔は未だに虚ろに白目を剥いて力無く口を開けたまま。有り体に言うならゾンビの様な出で立ちに見えるが、その足取りはゾンビほどにふらついては居ない。

 

 つばめは一瞬パニックになりかけて悲鳴を上げようとするが、そこで睦美の後ろから御影がひょっこりと現れた。


「おっと、忘れていたよ」


 御影がパチンと指を鳴らすと、大豪院の顔色と表情は以前の様に生気を取り戻した。額に傷こそあるが、先程まで見えていた様に脳に達する大穴では無く、ほんの少し血が出ているくらいのかすり傷が在るだけである。


「魔王が大きく仕掛けてくる予兆があったから、幻術で大豪院くんに大ダメージがあったように偽装したのさ。なんとか助かったねぇ…」


 なんと御影の機転で魔王を欺き、興を冷めさせる事でこの場を切り抜けた、と言う話らしい。


 大豪院は膝を付き、1.5cm立方ほどの白く小さい物体を摘み上げる。それは魔王の吐き出した奥歯の破片であった。

 

「一瞬気を失っていた。この借りは返さなくてはならんな…」


 そう独り言の様に呟くと、大豪院は親指と人差し指に挟んだ歯の欠片を指の力だけで握って砕いた。

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