第13章

第162話 いせかい

 夜の闇に包まれた森の奥、道なき道を5人の少女が何者かに追われる様に走っている。

 周囲には多数の男達の怒号と、数十と思われる松明たいまつの明かりが蠢いていた。


「もぉだめぇ… もぉ走れないよ…」


「しっかりしなさいよ! ここまで生き延びてこられたんだから最後まで希望を捨てちゃ駄目!」


「前の方にも敵がたくさんいるわ。どうやら完全に囲まれたみたい…」


「あと少しで脱出できそうだったけど万事休すかぁ… 『アイツ』が居てくれれば…」


「くそっ、黙って殺されるもんか! こうなったら少しでも道連れにしてやる…」


 赤い髪の活発そうな少女が足元に落ちていた太い木の枝を拾い上げる。女子の腕力では振り回すのに不自由がありそうな重さらしく、少女は丸一日以上満足に食事を摂れていない事も相俟ってフラフラと即席の棍棒を肩に担ぐ。


「そんなもん振り回したって奴らに勝てる訳ないよアミ…」


「うっさいわよオワ。どうせ殺されるならせめて一太刀でも…」


 長い黒髪のオワと呼ばれた少女は、暴走しようとする仲間に抑える様に促すも、相手は聞く耳を持たなかった。

 アミと呼ばれた少女も現実が見えていない訳ではない。自分らの非力さを痛感しながらも、それを如何いかんともし難い状況に絶望し涙を流す事しか出来ないのだ。


「アグエラ様が捕まって、私達で助けるどころか逆に撃退されて包囲されて…」


「んぁーっ! 大豪院覇皇帝かいざあさえ仲間に出来てれば、こんな事にはならなかったのにーっ!」


 心細そうに桃色の髪の小柄な少女が呟き、それに触発される様に縦ロール金髪少女が発狂したかの様に唐突に声を上げる。


「ちょっと、静かにしなよウネ。見つかっちゃうだろ!」


 青い色の短髪で元気そうな少女がウネを掣肘する。


「女の声が聞こえたぞーっ! この近くだ!」


 彼女達を追っていると思われる集団が近付いてきた。しかもどうやらウネの上げた大きな声を聞き付けたらしく、包囲網は徐々にそして確実に狭まっていった。


「デムス様、アグエラ様、大豪院様、誰でも良いので助けて下さい。死にたくないよぉ…」


 桃色の髪の少女が何かに祈る様なポーズを取り、思い付く限りの対象に請願する。


 そう、彼女達はかつて大豪院を自陣営に勧誘しようと異世界からやって来ていた、魔王デムス配下の夢将アグエラが擁する淫魔部隊の面々である。


 ここまでの彼女達の話を総括すると、勇者に攻め込まれて劣勢であった魔王デムスを救援すべく、油小路の前から逃げるようにこの世界に転移してきたアグエラ達。しかし時既に遅く魔王デムスは討たれ、どういった経緯かアグエラも虜囚の身となってしまった様だ。


 かろうじて逃げ出した淫魔部隊の5名であったが、勇者軍の落ち武者狩り、もとい落ち魔族狩りに捕捉され、今まさに蟻も漏らさぬ包囲網が完成されようとしていた。


 彼女達は男性を誘惑する事に特化した部隊であり、直接的な戦闘力は高くない。丸腰の村人相手ならともかく、高い水準で訓練されきちんとした装備を身に着けた軍隊相手に対抗できる力は持ち合わせていないのだ。


 通常時ならば男性兵士を篭絡して味方に付ける事も可能であろうが、魔族狩りに昂じて殺気立っている相手には彼女達の得意な魅了は効かない。


「もう観念しなよエト。こうなったら捕まって殺されたり奴隷にされるくらいならいっそ自分達で…」


 オワが自身の爪を長く伸ばす。小剣の如く固く伸びたそれは戦いに使うには心許ないものであったが、自分達で自決する分には確かな仕事をしてくれそうに見えた。


「…やっぱりそれしか無いのかな? あたし達どうしても殺されなきゃならないのかな…?」


「イル… よし、ここはオワわたしが囮になって追手を引き受けるから、あんた達だけでも逃げなさい…」


 青髪短髪の娘の名はイルらしい。普段は元気キャラのイルが絶望の淵に居ることにオワは耐えられなかった。

 自分を囮に少しでも追手の足止めが出来るのならば、オワは仲間のために命を投げ出す事も厭わなかった。


「私だって魔王軍の特殊部隊の意地があるわ。勇者本人ならまだしも、その辺の一般兵に後れを取る事は無い…」


「見ぃつけたぁ…」


 暗い森の中に淫魔部隊とは別の若い女の声がした。淫魔部隊の面々が緊張して見遣った先には、豪奢な金属鎧に身を固めた長い黒髪の少女が1人、楽しそうな表情で佇んでいた。


「ゆ、勇者…」


「はぁい。みんなのアイドルユリちゃんでぇす。悪い魔族を懲らしめに来ちゃった」


 芝居がかった明るい口調の裏で勇者は背中に穿いた聖剣を抜き放つ。剣の刀身から放たれる光が周囲を照らし出し、恐怖に怯えた淫魔部隊の少女達の顔を浮き上がらせる。

 それは余裕の笑みを浮かべた『屠殺者』たる勇者とは対照的に、これから命を奪われる事が確定している家畜の恐怖と諦念を物語っていた。


「わ、私達は何も悪い事をしてないわ… だからお願い、命だけは助けて。見逃して…」


 先程までの威勢はどこへやら、すっかり意気消沈したオワが勇者に跪き助命嘆願を行い、淫魔部隊の他のメンバーもそれに倣う。

 王国の一般兵ならまだしも、単独で魔王デムスを討伐せしめた勇者相手に抗える力はおろか、数分の時間を稼ぐ能力すら彼女達には無い。相手の慈悲に縋るしか道の無い本当に最後の手段であった。


「ううーん、でも君たちここの元の住民達を皆殺して食べちゃったんでしょ? ここで見逃してもまた人を襲って食べちゃうんじゃないの? ならもう討伐対象でしょ…」


 勇者の声には慈悲の暖かさがまるで篭っていなかった。初めから交渉の余地は無かったのである。


 勇者の冷たい視線に最早これまでと覚悟を決める淫魔部隊、その時勇者の眼前に淡い光の輪が生じ、徐々に拡がっていった。

 やがて2m程の大きさに拡がった輪の中から現れた人物に見覚えのあった淫魔部隊は、初めて魔王以上の『神』とも呼べる上位存在を確信する。


 光の輪の中から現れたのは大豪院覇皇帝を含むマジボラの一行であった。

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