第159話 ずれ

 沖田彰馬しょうまは細身で長身、端正な顔立ちで運動神経にも秀でているため、女子からの人気は高校入学以前から相当高かった。

 それでもその時分の男子にありがちな、友人との遊びやスポーツへの興味が女子との恋愛よりも勝っていた面もあり、特定の女子との交際には未だ至った事が無かった。


 無論沖田とて思春期の男子高校生、若い女子に興味が無い訳はない。

 とは言うものの、その頃の多くの男子の興味は主に「女子の体」であって、女子との「恋愛ごっこ」にはさほど情熱を燃やされない傾向がある。


 さて、いきなり蘭の胸に顔を埋める事になった沖田、一瞬何が起こったのか理解できずに意識が飛んだように固まってしまう。

 そして数秒、蘭の胸の柔らかな感触と仄かに甘い体臭の心地よさの非現実ぶりから、逆に沖田は意識を取り戻す。


 自分の状況を理解して混乱する沖田は慌てて蘭から離れようと蘭の腰を掴むが、更に力を込めた蘭からは逃げられずに身動きが取れなくなってしまう。

 そしてより蘭との密着度の上昇によって沖田の鼻と口が塞がれてしまい、心理的にではなく物理的に息が出来なくなっていた。


 そして蘭も蘭で混乱していた。


『沖田くんの捨てられた子犬みたいな心細そうな顔に思わず抱きしめてしまったけど、この後どうすればいいんだろう? よりにもよって男の子、それも沖田くんの顔を胸で挟む様に抱きしめるなんて… 2日間着替えもお風呂も出来てないから、臭かったらどうしよう…?』


 この辺りのタイミングで沖田が動き出したのだが、蘭は力を込めて沖田の拘束を強めた。

 恥ずかしさと働かない頭の両輪から生み出された苦し紛れの解決策ではあったが、呼吸を断たれた沖田の抵抗は必死なものだった。


 相手の胸に顔があるせいで、抵抗しようと手を動かすと、それは自然と相手の腹や腰の辺りを手探る事になる。

 そして沖田が自由 (な呼吸)を求めて動かした指が、蘭の穿いているウマナミ改の『腰部装甲パーツA層』、つまりパンツに引っ掛かり数センチ下へとずらしてしまう。


 これに驚いたのは蘭である。女性の象徴たる乳房に顔を埋めさせておいたのだから、沖田が蘭に対して劣情を抱いてしまったのだと誤解してしまったのだ。


『ちょ、ちょ、ちょっと沖田くん、それは駄目だよ! 私達まだ高校生できちんとお付き合いもしてないのにそんな…』


 男子高校生を胸に抱える形で頭を抱きしめて、ずり下がったパンツから臀部を半分曝け出しながら慌てふためく魔族に扮した悪の女幹部、とてもシュールな光景であるが、当事者2名は至って本気でこの状況を収めたいと思っていた。


 沖田は息継ぎのために蘭から早く離れたい。蘭は半裸から更に露出を上げた7割裸 (?)の姿を沖田に見られるのは恥ずかしいから、装備を立て直す間、今少し目を塞いで居てほしい。

 両者の思いは真っ向から対立していた。


『この女、なんて馬鹿力だ… 全く引き剥がせそうにない。くっ、もう呼吸が…』


『お願い沖田くん、気持ちは嬉しいけどまだダメだよ… 私、今絶対臭いもん、せめてお風呂に入りたい。あとは… あとは油小路さんの言ってた避妊具! あの時はセクハラかと思ってたけど、やっぱり必要だったのね!』


 蘭の想いは燃え広がっているが、沖田の命の炎は今にも消えてしまいそうである。

 再び沖田の意識が薄れ始めて来た時に部屋の扉が開かれ、大荷物を抱えた何者かが入ってきた。油小路の従者魔族の1人、アモンである。


「戻ったぞ…」


「きゃぁぁぁぁっっ!!!」


 アモンの乱入にそれこそ心臓が飛び出るほど驚いた蘭は、反射的に今まで抱きしめていた沖田を力の限り突き飛ばしてしまう。


 蘭に突き飛ばされた、もとい投げられた沖田は部屋の反対側の壁に激突し、ベッドの脇に落ちる際「グェっ」とカエルの様な声を発して気絶してしまった。


「たった1日で発情してんのか、下等生物が…」


 軽蔑した目で吐き捨てる様に悪態をつくアモン。蘭は乱れた腰布を直しながらアモンに向き直る。


「あの、こ、これは違うんですよ! 私達は決してその様な関係ではなくてですね… って1日…?」


 アモンとの会話に違和感を覚える蘭。蘭がここに来てから2日間は経過していたはずだが……。


「ああ、この魔界とお前らの世界では時間の流れる速さが違うからな、ここはお前らの世界の約2倍の速さで時が過ぎるんだ」


 荷物を下ろしながら、アモンが蘭に不承不承説明を入れる。

 不思議な現象であるが、蘭には確かに幾つかの心当たりがあった。


 沖田が油小路に攫われてから皆でミーティングをし、蘭が部室を飛び出し魔界に辿り着くまでに擁した時間は恐らく小一時間程度であったろう。

 しかし、この魔界で沖田と再会した時、沖田はすでに数時間の拷問を受けたと言っていた。


 あの時は「多大なストレスに晒された頭脳が時間感覚を狂わせた」ものと勝手に解釈していたが、アモンの言うように時間の流れに差があるのならば納得のできる話でもあるし、アモンが補給物資の調達に倍の時間が掛かったのも得心がいく。


『という事はまだ向こうの世界では1日しかたってないのか… 向こうからの救援はこちらの半分の時間しか使えないから後手に回りやすい。やはり自力でなんとか沖田くんを助けないと駄目なんだわ…』


 アモンの持ち込んだ補給物資をチェックしながら、その中に下着類に紛れて本当に避妊具があったのを発見する蘭。

 先程までの自分たちを思い出し、仮面の奥の素顔が真っ赤に染め上がる。


『長引けば長引くほど沖田くんの心が保たないし、多分私の理性も保たなくなってくる気がするよ…』


 そこまで思って蘭はようやく先程壁にぶん投げた沖田を思い出し、大慌てで介抱に向かっていった。

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