第142話 ゆうかい

「…え? あ、油小路さん? 何で空から…?」


 蘭はシン悪川興業の幹部として、油小路が異界の魔王軍のエージェントである事を知っているし、普通の人間ではありえ無い事も知っている。

 だからと言って、空から降ってきた寒天が突然人の形を取り始めても冷静で居られる、と言う意味では無い。


「…やぁこんにちは蘭さん。本日も御召し物共々美しくあられますな。素晴らしい」


 油小路の型取りされた様な不気味な笑顔にむしろ恐怖を覚える蘭。ましてや今油小路に褒められた蘭の装いは魔法少女ノワールオーキッドの物であり、シン悪川興業 (魔王軍)として見れば紛れも無く敵の装束である。


「あ、あの… これはですね… その…」


 パニックを起こしてしまった蘭としては、とにかくこの場を逃げ出したくて仕方無かった。

 自分とこの変な怪物とが知り合いである事を沖田に知られたくない。

 油小路に自分は味方のフリをしているだけのスパイだとバレたくない。

 自分と沖田の関係を油小路に勘繰られて沖田に迷惑を掛けたくない。

 …しかしこの場から逃げ出しても油小路に無力な沖田を差し出すだけであり、何の解決にもならない。


 考えれば考えるほど蘭の頭は混乱し、まともな思考が働かなくなっていた。


「とりあえず複雑な事情があるみたいですが、そこの沖田おとこのこを確保してくれていたのはお手柄ですよ」


 蘭は改めて自分の耳を疑った。今の油小路のセリフから察するに、油小路は始めから沖田に用事があって降下して来たように聞こえたからだ。


『沖田くんと油小路さんに何の関係が…?』


「な、なぁ、このオッサンは何を言ってるんだ? このオッサンも魔法少女の関係者なのか…?」


 蘭と同様に全く話が飲み込めていない沖田も、謎のオッサンこと油小路に対して不審な眼を向け、警戒した態度を取る。


「貴女にはまだ話していませんでしたけど、我々の任務とは『大豪院だいごういん 覇皇帝かいざあの抹殺』でしてね。そしてこちらの彼はその大豪院を釣る良い餌になってくれる…」


 油小路の目が細く輝く。ともすれば沖田を捕まえてそのまま食べてしまうのではないかと錯覚する程に、油小路の視線は妖しく沖田を捉えていた。


「あ、あの! 彼はただの一般人です。大豪院くんとは何の関係も…」


 何とかして沖田を守るべく彼を庇おうとする蘭。しかし油小路は蘭の方を見向きもしない。


「貴女の意見は聞いていません」


 そう言うが早いか、油小路の両手から紐状の水が噴き出して沖田を縛り上げる。魔力によって操作されている水なのは当然であろうが、ロープの如き弾性に沖田は手も足も出ずに拘束されてしまう。


「くっ! 何だこr…」


 体だけにとどまらず、最終的に水の猿轡さるぐつわまで噛まされて喋る事すら封じられる沖田。

 油小路の文字通り『流れる様な』技の冴えに身動き一つ取れない蘭。混乱が酷すぎて、この場でどうするのがベストな動きなのかが、自分でも理解出来ていないのだ。


『今ここで油小路に挑んだら、その結果家族全員路頭に迷う事になるかも知れない… でも放っておいたら沖田くんが何されるか分からない…!』


「ま、待って下さい油小路さん…」


 蘭は極力落ち着いて油小路に語り掛ける。最低でも沖田に対する暴力を止めねばならない。その為にもどうにかして油小路を懐柔する必要があるのだが、蘭には交渉する材料らしき物の持ち合わせが全く無かった。


「いいえ、待ちません。沖田かれは魔界に連れて行きます。大豪院… いやピンクの魔法少女にそう伝えて下さい。『彼を返して欲しければ、魔界まで来るがいい、大豪院と共に』とね」


 温厚に見えて蘭との一切の交渉を拒絶した油小路は言いたい事を言い終えると、何も無い空間を爪で引っ掻く様な素振りを見せる。するとその空間に裂け目が現れたちまち人が通れる大きさまで広がった。

 沖田も拘束されながらも抵抗を続けていたが、力及ばず油小路と共に裂け目に飲み込まれて消失してしまった。


「何も… 出来なかった… 沖田くん…」


 油小路らの消失と同時に空間の裂け目も消えた。蘭は今起きた事柄の把握すら出来ずに、その場に呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。


 ☆


「ねぇせんぱーい、いい加減教えて下さいよ。ランランってどういう立ち位置なんです? 敵なんですか? 味方なんですか?」


 綿子の無邪気な質問攻めに辟易としながら歩いている睦美と久子。

 市民公園での戦いが終わり、ショッピングモール方面の成り行きを確認する為に移動している真っ最中であった。


 睦美の不注意からウマナミ改の正体が蘭だと綿子にバレてしまった件だが、上手い説明が思いつかないまま公園からずっと綿子がぶら下がってきている。


 睦美と蘭は、蘭がシン悪川興業の情報を漏らす代わりに、敵の幹部であり改造人間である事をつばめに秘密にする、と言う協定を結んでいる。

 この情報を『口から先に生まれてきた』人物である綿子に知られると、秒で蘭の秘密がつばめに伝わる事になるだろう。


 綿子に知られずに事を済ますにはどうするべきか…? 

 睦美は考えた。そして熟考して最適解を生み出した。


「んじゃあ全部教えてやるよ。けど良いかい? もしつばめに少しでもバラしたら『キュッ』だからね…?」


 睦美は笑顔で一瞬だけ綿子の呼吸を『固定』して見せた。


 ☆


 そんなやり取りを経て綿子が大体の事情を知った頃、睦美らは沖田が拉致される瞬間の現場に居合わせる事になる。

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