第86話 りょうしん

 野々村ののむら 千代美ちよみは行き場を無くして、校内を当てなく彷徨っていた。


「部長に嫌われちゃったから部室にも顔を出しづらいし、部活一辺倒だったからクラスに仲のいい子も居ない。かといって親衛隊あの子らとつるんでも何だか楽しくない。沖田くんはサッカー部だろうけど、1人で勝手に見に行ったり接触したら今度は私が親衛隊の標的にされる…」


 周りには誰も居ない。しかし、心情を誰かに聞いて欲しいのか野々村ははっきりと心の声を外に出していた。


『標的… そう言えば芹沢つばめはどうなったかな? あんなミエミエの罠に引っかかる様な馬鹿な女子は居ないだろうから、そのまま部活なり帰宅なりしてると思うけど…』


 始めは軽い気持ちだった。ちょっとガラの悪そうな男子生徒につばめの肩でも小突いて、一言二言脅して貰えればそれで良かったのだ。


 だがしかし、野々村は野獣の檻の中につばめを突き落とすような真似をしてしまった。

 もちろん好んでそうなる様に仕向けた訳ではない。野々村にしてみれば『つばめを差し出さねば自分が男達に陵辱されていた』のであるから、自分が助かる為には仕方の無い措置だった。と主張したい所だ。


 仕方の無い事態であったし、野々村はつばめを好いてはいなかった。


『でも男達に囲まれて酷い目に遭ってほしい、とまでは思わない…』


 良心の呵責はある。元々野々村が報道を目指したのは、言論による社会正義の誘導が目的である。誰もが誠実で人に優しく正義を目指せば、その世界は理想郷になるはずだと固く信じていた。


 実際中学時代の野々村は、そのペンの力で教師のパワハラや某運動部の部費使い込み事件等を暴いて、地方紙ではあるがニュースとして取り上げられ、後に県教育委員会から表彰されてもいたのだ。


 その成功体験が良かったのか悪かったのかは分からないが、野々村はより大きな事件やセンセーショナルな事件を求め出し、記事の文章力の上達と共にその表現も強調から誇大、さらには虚偽や捏造にまで悪い方へと進化していった。


 瓢箪岳高校の新聞部に入った後でも、信条の近い部長の九条と共にとても順調に活動を続けていた。今日までは……。


「…今から私が行っても芹沢さんは救えないかも知れない。でも… でもせめて警察に通報するくらいは出来るはず…!」


 現場に向かえば野々村自身が男子生徒から乱暴を受けるかも知れない。被害を受けたつばめから地獄の様な悪罵を浴びせられるかも知れない。

 それでも野々村は己の良心に従って走り出していた。



「な… 何なんですか? わたしに何か用ですか?!」


 半グレ男子生徒らの包囲網の縮まる中、つばめは必死に声を出す。わざと大きな声を上げていないと、心が恐怖で潰れそうになる。


「俺らがお前に特に用事があるわけじゃないんだけどさ、メガネで背の高い暗そうな女がお前に『何しても良い』って言ってたからさ」

「せっかくだからボクちゃん達の童貞でも捧げておもてなしして上げようかなぁ、って思ったんだよ」

「な、なぁ、お前処女か? 処女か?」


 ここに来てようやくつばめは彼らの真意を悟る。殴られるだけならば最悪無対抗のまま受けるだけ受けて、後で自分の魔法で治す道もあったかも知れないが、貞操の問題となると話は別だ。


『そんな… こんなのイヤだよ… 初めては沖田くんとって決めてるのに… 誰か… 先輩たち、沖田くん、アンドレ先生、佐藤先生、助けてよぉ…』


 体の震えが止まらない。恐怖と絶望の中でつばめは必死に己の体を抱きしめる。


「お、良いリアクション。怖がらなくてもいいよ、出来るだけ痛くしないから」

「そうそう、俺らのテクニックで昇天しまくって離れられなくしてやっからさ」

「おい、それモロに童貞のセリフだっつの」

「うっせーよ、そうなるかも分かんねーだろ」


 男達の下卑た声での冗談のやり取りがつばめの心に刺さる。彼らは逃げられない獲物つばめを前に、いたぶる様に遊んでいるのだ。


 瞳孔が開く、呼吸が荒くなる、思考が定まらない、体の震えが止まらない。何よりこの場から動く事が出来ない……。


「という訳でさ、あっちの小屋でお前を中心にお楽しみ会といこうよ。なぁに抵抗しなければすぐ終わるって」


 薄ら笑いを浮かべた男達のリーダー格が、固まっているつばめの手首を掴んで物置き小屋に誘導しようとする。


 つばめは手首を掴まれた瞬間に、反射的に声を出していた。


「め、変態メタモルフォーゼ!!」


 ☆


 新聞部の部室は部室長屋ではなく、生徒会室に隣接する部屋にあった。文化部の代表としての扱いであるが、最近のゴシップ紙と化して部員数もギリギリな新聞部にはいささか優遇されすぎている感がある。


 この新聞部につばめを嵌めた記者がいる。その様な思い込みで睦美、久子、御影は新聞部に殴り込もうとしていた。

 中に誰が居ようがお構い無し、まずぶん殴ってから話を聞いてやる。そんなオーラが全員から漂っていた。


「じゃあ行きますよぉ…?」


 久子がドアに手をかける。ドアがガラッと横に引かれる寸前、睦美が「待って!」と手を上げた。


「今つばめが変態した反応があったわ! 新聞部は後回し。先にこっちよ!」


 久子と御影は無言で頷き、睦美の指差す方向に3人は再び走り出した。

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