7.羽ばたく
先程二人が出た裏口から、若い夫婦が出てきます。その手には大きな包丁が握られており、いかにも人を刺すために持っているようでした。そして、いかにも扱いに慣れていないようでした。
夫婦――少女の両親は最初、怒りに満ちた表情で男の人を見ていましたが、すぐにその斜め下の存在に気づきました。
「お前が手引きしたのか……! だから牢が!」
少女はその言葉に返事をしません。普段通りの静かな瞳で、怒りの表情を見つめただけです。父も母も、その顔を見て、一瞬怯えを見せました。父がすぐに咳ばらいをします。
「とにかく、お前は我々のものだ。戻ってこい」
男の人が少女の両親から少女に視線を移します。唇を硬く引き結んでいます。
少女はこくりと、頷きました。
そして短い脚で走りながら、両親の元へ戻っていきます。父の表情が男の人を嘲笑うそれに変わりました。
「代わりに」
少女は父を見上げ、口を開きます。
「あのおじさんを、見逃してもらえないかしら」
冷静な声で出された案に、両親は固まりました。まるで少女の声を初めて聞いたかのようです。それはさすがにないでしょうが、もしかしたら少女の意志を目の当たりにするのは、初めてだったのかもしれません。
父はみすぼらしい少女を見つめます。絡まった髪の毛に、生気のない瞳、薄汚れた体、そして最愛の娘にそっくりな顔を。
「どの口が!」
父は少女の腹を蹴りました。容赦ない力だったので、少女は飛ばされ、地面に転がりました。
「お前は元々我々の所有物だ! 物が人間に何かを頼む権利などない!」
父は飛んでいった少女に近づいていきます。母は冷めた目でその様を眺めているだけです。
「大体お前はただの部品であるにもかかわらず、のこのこ生き延びて! あの子の代わりになるべきだったお前が! なぜ代わりに殺されなかった!」
少女は地面に倒れたまま動きません。その小さな手が、静かに砂利をひっかきました。
父が少女の前に立ちます。その足が、再び少女を蹴ろうと持ち上がります。その時、父の肩に手がかかりました。手が後ろに引かれ、父は無理やり振り向かされます。振り向くと同時に、父の顔面に拳がめり込みました。
「がっ」
父の口からみっともない声が漏れます。父を殴った男の人は、その流れで父の手から大きな包丁を奪います。そして何のためらいもなく心臓を突き刺しました。
「ひぃ!」
近くで震えていた母から怯えた声が漏れました。男の人は父の体を蹴りながら包丁を抜き、母の方へ視線を向けました。母は目を見開き、固まります。しかし父の体が地面にどうと倒れる音で、我に返りました。
「来ないで!」
金切り声を上げ、男の人から逃げます。覚束ない足取りのせいで、母はすぐにこけました。男の人は母にゆっくりと近づいていきます。
「やめて!」
母は尻餅をついたまま、器用に手足を使って後ろに下がります。その様はまるで虫が這うようでした。
「うるせぇなぁ」
母の背が高い高い塀につきます。
「誰か……!」
男の人は母に跨り、その口を塞ぎました。母の瞳は男の人に釘付けになり、恐怖で抵抗すらできないようです。
「きったねぇ顔だな」
男の人はそう吐き捨て、包丁を振り上げました。
「んー!」
母は男の人の手の隙間から、最後の叫びを振り絞ります。クローン隠しのためか、傲慢故か、郊外に建てられた豪邸に、助けが来る気配はありません。
「あばよ」
男の人の手は、母の心臓をひと突き……にするはずでした。
小さな、小さな、手が、それを阻みます。
少女が、男の人の手を止めたのです。白く細い両手が、男の人の大きな手を上から包み込んでいます。大した力はないはずですが、男の人は手を動かしません。
「お前……」
「さすが、私たちの子ね!」
母の声がしました。男の人が驚きで手を緩めた隙に口を自由にしたようです。
「育ての親を見捨てられるわけないものね! 毎日ご飯をあげて、服を着せて、いい暮らし、させてあげたものね!」
母は必死で言葉を連ねます。しかし少女は母を見ませんでした。男の人をじっと見ています。
「わたしたちは似てると思うの」
少女の手に、力が入ります。それは男の人の手を、下げる方向にかかります。
「なんとなく、そう感じる」
男の人は少女を見つめ、逡巡しましたが、すぐに片方の口角を上げました。その表情を見て、少女の視線は男の人の手に移りました。
男の人は少女の力に逆らわず、手を下げていきます。
「な、なにしているの? それだと私に……!」
母の言葉は誰にも届きません。クローンにも、殺人鬼にも届きません。
静かに、ゆっくり、包丁は下がります。
「やめ、やめなさい! ちょっと! お前! 作ってやったのは私たちでしょう!」
二人の力で、下がっていきます。
「やめ! やめ、やめ! やめてぇ!」
包丁が刺さる直前、母は最期の金切り声を上げました。一番大きな声でした。
「つまんねぇの」
男の人は小さく呟きました。
「でも、いいのよ」
少女は男の人の手を見たまま、言いました。
そして二人の包丁は、気絶した母の心臓に、ゆっくり突き刺さりました。
「これでもう、二人ぼっちだから」
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