第4話 病気の治療は予防から


 背丈もちょうど同じくらいだったので、俺はルカの服を借りることにした。お尻のとこにしっぽを出す用の穴が空いているが、仕方無い。白衣を着れば見えないだろう。


「イーナ様のその服かっこいいね!」


 ルカは俺の白衣を興味深く眺めていた。妖狐の里を見る限り、白衣なんて見ることはなさそうだし、新鮮に見えるのだろう。まさか、白衣姿の獣医師を見て、動物にここまで感動される事があるとは思ってもみなかった。動物たちは、この姿を見ると、痛いことをされると思って警戒状態に入るのが普通であったからだ。


「これは白衣って言って、まあ、俺達の制服みたいなものだよ。これがないとどうしても落ち着かなくて……」


 病院で働いていた時は常にスクラブと呼ばれる服の上から白衣をまとっていた。すっかり白衣に慣れてしまった今となっても、この姿をしているときはテンションが上がるし、やはり獣医師と言えばこの姿みたいな所はある。


「ところで、なんでルカはあんな森の中にいたんだ?」


 俺はすっかり興奮した様子で、はしゃいでいるルカに尋ねた。こんな幼い女の子が1人で、モンスターがうろつく森の中にいたなんて、何か理由があるに違いない。やはり動物が困っていたら助けたくなるもの。それが獣医師の性である。


「あのね!流行病にはヒポクラテスって言う植物から取れる実が効くって聞いたんだ!だからそれを探しに行こうと思って!」


「ヒポクラテスの実か……」


 ヒポクラテスの実。名前からして、なにやらすごく薬効のありそうな植物である。果たしてどんな効果があるのかは分からないが、流行り病に聞くという噂が本当なら、探してみる価値はありそうだ。


――もしや、森の番人たるアルラウネならその場所をしってるかもしれんのう


 またなんかよくわからない奴らが出てきたぞ。アルラウネ?


――アルラウネは森奥深くに住むといわれているが、わらわも詳しい場所はわからぬ


「そうなると、まずはこの里の妖狐たちの様子を見るのが先だな、ルカ案内してくれないか?」


「イーナ様の頼みとあらば、どんとこいだよ!」


 ヒポクラテスの実、そしてアルラウネ。聞き覚えのない言葉が沢山出てきたが、まずは妖狐達がどんな状態であるのか、それを確かめる必要があるだろう。医療の基本は診察。これは俺の恩師がいつも言っていた言葉だった。


 ひょこひょこと先に歩くルカについていく。ルカは里の端にある家へと案内してくれた。


 最初の患者


 妖狐のお爺ちゃん、年齢は……まあ俺には計り知れないんだろう

 主訴:腹痛、下痢


 あれ?


 問診を終えて、家を出た俺はルカに尋ねた。


「この里で流行ってるのって腹痛とか下痢なのか?」


「そうなの!定期的に腹痛や下痢が流行って、すごい勢いで広まるんだ!ちょっと前からまた流行りだして大変なの!」


「サクヤの病気とはまた違うものらしいな」


――そうなのか、む


「しかし、放ってはおけないしな」


 そうは言ったものの、現状俺に出来る手段は問診、聴診、レントゲン(透視)のみだ。これだけではとうてい病気の同定なんて不可能であるのは事実だ。下痢や腹痛と言ったって、細菌、ウイルス、寄生虫、様々な種類の病気がある。


 ただ、妖狐の里を見る限り、この里を苦しませている疾病が下痢や腹痛というのであれば、環境が原因である可能性が高い。ある時期から急に増え出すというのも、それに、広まるスピードが速いというのも、飲み水による水系感染症が原因である可能性が一番に考えられたのである。


 どちらにしても、この現状で出来ることと言えば、まずは環境を整えることから始めるのが最善だろう。それで治ってくれれば、万事解決である。


「とりあえず、やるべき事は沢山あるんだ。診療体制を整えなきゃいけないし、薬の用意だって必要だ。後は、公衆衛生の改善もしないといけない」


――はて?こーしゅーえいせいとは?


 同じ疑問をルカも持ったようだ。俺は説明を続ける。


「病気を治すって言うのはわかりやすい治療なんだけど、病気にならないように予防するって言うのも重要な治療法の一つなんだ。例えば、綺麗な飲み水の確保、後は汚い水の処理、そうだな、後は安全な食べ物の確保って言うのもあるな。見たところ、下痢や腹痛と言った消化器系の症状が中心っぽいから、もしかしたら水や食べ物の改善だけで治るかも知れないよ!」


――ふむ、なにやら、やることが一杯ある事だけはわかったわい


「まずやるべき事をリストアップして、優先順位を付けるのが大事かな」


「イーナ様!ルカに手伝えることがあればやるよ!!里のみんなもきっと協力してくれるはずだよ!」


「そうだな、とりあえずは綺麗な水の確保が一番重要かな、この里で流行っている病気の様子を見ると、いま出来る治療法は脱水症状にならないように、水をきちんと飲ませることだからね。ルカ、水飲み場に案内して欲しい」


「水はね、里の外れの川からとってきてるんだよ!川の水とっても綺麗なんだよ!」


 ルカに案内された川の水は確かに透き通るように綺麗であった。これなら飲んでも問題はなさそうではある。


「水はまあ綺麗か、けどそのままとってくるんじゃ危ないからな、煮沸消毒は必要だよ。」


「しゃふつ? しょうどく?」


 ルカが首をかしげる。


「どんなに綺麗でも、水の中には細菌って言われる生物やウイルスっていわれるもの、あと虫とかもいるからね!目には見えなくても、汚れているって事もあるんだよ!」


 まずは、衛生環境を整えることが必要だな…… 

 やることがもりもりと増えていくぞ……


「そういえば、トイレってどうなってるの?」


「トイレちゃんとあるよ!それでね、集めて肥料として畑とか森にまくの!美味しい野菜が取れるんだよ!」


 これもそのうち改善が必要だな……


 この里の課題は何となく分かった。これは改善点を、後でみんなに伝えてなんとかして貰うしかない。


 あとは……


「なあルカ、アルコールって知ってる?」


「アルコール?」


「お酒のことだよ」


――わらわ、お酒は知っとるぞ、大好物じゃ


「お酒はこの里でも作ってるよ!」


 一つ、視界が開けた。お酒があればエタノールは得られる。


「なんでお酒のこときくの?もしかしてイーナ様もお酒すきなの!」


 確かにお酒は好きだけど……


「お酒を飲むと酔っ払うだろ?あれはアルコールって言う成分のせいなんだ。そしてアルコールを精製するとエタノールっていう薬が得られる。エタノールがあればいろんな細菌とかウイルスとか悪さする奴らを殺すことが出来るんだよ」


――お酒って凄いんじゃの……


 それにエタノールがあれば、いずれジエチルエーテルも作れるだろう。麻酔薬であるジエチルエーテルが手に入れば、十分な体制ではないが、手術も可能になる。


「あとは、塩だ、塩は何かと必要になる」


「山の方にしょっぱい水の湖があって、そこで塩は取れるの!」


 塩の確保もなんとか出来そうだ。


「塩は何に使うの?」


「塩からは塩素って言う成分がとれてね、それも消毒作用があるんだ!あとはそのまま水を飲ませるよりも、ちょっと塩を入れた水を飲ませた方が、病気の時にはいいんだよ。」


 とりあえず、必要最低限のものはなんとか手に入りそうであった。しかし、妖狐はすごい力を持っているけど、まだまだ知識では人間には及ばないんだな……


「まずは、いろいろと整備が必要だな」


「イーナ様すごい!!とりあえず里のみんな集めよう!」


 ルカはきらきらした目で言った。


――それならわらわにまかせるがよい


 こうして、集まった里の妖狐に同じような説明を俺は繰り返した。みんな最初はよくわかっていないような感じではあったが、病気を治すためだというと俺の考えに快く賛同してくれた。


「それでまずはなにをすればいいんですか?」


 妖狐を代表して里長が問いかけてきた。


「それが問題だな。足りないものがおおすぎる」


 何から手を付けるべきか悩んでいると、集まっている妖狐達の方から声が上がった。


「ならばちょうど良いニャ!ボクらは水を綺麗にする植物を知ってるニャ!!」


 えっ? ニャ?


 聞き慣れない語尾に皆一斉に声のした方向を見る。明らかに狐ではないその声に、皆の注目が集まる。


「ぼくはケットシー、猫の妖精なのニャ」


「ケットシー?」


――森に住む猫じゃ


 また何かよくわからない奴らが出てきた。そんな事は意にも介さない様子で、猫は続けた。


「じつは妖狐の皆様に助けてもらえないかニャと思ってきたんだニャ。妖狐の皆様は神通力って言う、不思議な力を使うと聞いたニャ!ボクらアルラウネと一緒に、アルラウネの里っていう綺麗なところで暮らしてるんだけど、最近、よく鬼の群れが襲ってきて、大変なのニャ。だから妖狐の皆様のお力を借りれないかと思って来たのニャ!」


 アルラウネ。先ほど出てきた森の番人とやらだ。


――しかし、ケットシーよ、貴様らは魔法を使えるじゃろ、それでも対抗出来ないというのか?


 サクヤは猫に問いかけた。


「追い払っても追い払っても鬼達はしつこいのニャ!痛い目に合わせなきゃだめなのニャ!」


――まあよい、ケットシーよ、わらわが力を貸してやろう、その代わりに植物は貰うぞ


「もちろんなのニャ!ケットシーとアルラウネと妖狐はみんな友達なのニャ!」


 なんか、俺の入る隙がないままに話が決まってるんですけど……

 この猫なんかお調子者だし……


「いやちょっと待って……鬼の群れって……」


「大丈夫だよ!イーナ様滅茶苦茶強いもん!!鬼なんて敵じゃないよ!!」


 そうだ、そうだ!

 イーナ様、サクヤ様お願いします!


 ルカの言葉にのせらせるかのように、妖狐達も乗り気になってしまった。


「ええ……」


――良いではないか、イーナよ、ヒポクラテスの実とやらも手に入るかもしれん


 こうして、半ば強制的に鬼退治の旅に向かうこととなった……

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