わたし、九尾になりました!【改訂前ver.】

惟名 瑞希

第1部 妖狐の里編

第1話 本当に冗談めいた夢のような話


 獣医師。


 その言葉からどんな仕事をイメージするだろうか。


 動物のお医者さん?それとも……


 そもそも、俺が獣医師になろうと思ったのは、そんな高尚なきっかけじゃなかった。競馬が好きと言った気持ちで、何か馬に関わる勉強がしたいという気持ちで、獣医学部に進学することを決めたのだ。


 そして今、俺は動物病院で働いていた。


「飯名!田中ペロちゃん、様態ちゃんとチェックしておけよ!」」


「先生、レントゲンの準備出来てます!」


 動物病院は戦場だ。次から次へと、病に苦しむ動物たちが後を絶たない。もちろんそれだけでも大変であることは言わずもがな、中には言いがかりに近いクレームをつけてくるような飼い主もいる。仕事が終わって家に帰るのは、11時過ぎ。家に帰って、寝て、また仕事に向かう。たまの休日には、録り溜めていたアニメを見てゴロゴロする。そんな日々を続けていた。


 飯名航平。30歳。獣医師。

 

 勤務獣医師として働き始めて、早くも5年。俺はこのままで良いのだろうか。一体、俺は何がしたいんだろうか。動物病院を辞めて、違う職に就こうかと考えたことも数知れずあった。


 だけど、今でも、この仕事を続けている。やはり動物が好きという気持ちが一番大きかったのであろう。


 特に飼い主さんから、感謝の気持ちを伝えられたときには、この仕事をやっていてよかったと強く思う。それだけが、今の俺のやりがいであった。


 その日、俺は往診の帰りだった。


 今日はフィラリアの予防注射だった。


 患者は山の上の方に住んでいる、おばあちゃんの家のわんちゃんだ。なかなか、年老いた女性が病院まで、定期的に来るのも大変であろう。そういうことで、うちの病院では、来院が難しい患者のために、定期的に往診を行っていた。


 度重なる徹夜の連続で寝不足気味だった俺はふと、運転中に意識が遠のいた。

 気がついたとき、目の前に広がっていたのは崖であった。


――あ、オワタ


 居眠り運転の結果、目の前は崖、ガードレールはすでに突き破っている。


 落ちていく最中、俺は考えたことは一つだけだった。


 やっと、終わりか…… 30歳短い人生だったなあ……



***********************



 気がつくと、俺は森の中にいた。


――一体どこだ……ここは……


 あのとき起こったことを順番に整理しよう。往診の帰り、俺は車を運転して帰っていた。そして、気がついたら、目の前に崖が飛び込んできた。


 そう、確かに俺は崖から落ちたのだ。だが周りを見渡しても崖は見当たらない。それどころか、さっきまで乗っていたはずの車も見当たらない。


 もしかして、これは最近流行りの異世界転生って奴? しかし、スキルも神様も何も出てきてはいない。ただ単に死後の世界なのか……?


 ふと着ていた白衣のポケットを触ると、フィラリアの予防注射に使ったイベルメクチンと、その他、プラジカンテルの薬瓶、注射針、シリンジが数本見つかった。首にはさっきまで使っていた聴診器が下がっている。しかしそれ以外に持っているものはないようだ。


「夢か……最近疲れてたもんなあ……」


 夢かどうか確かめるべく、自分の頬を思いっきりつねってみる。


「痛ッ……!」


 じんじんとした痛みだけが残り、目が覚めるような感覚は全くなかった。


「夢じゃ……ない……」


 夢じゃないとしたら、いったいなんだここは? 本当に俺は死んでしまったのか……


 見知らぬ森で、1人、俺は事態を飲み込めずにいた。次第に不安な気持ちが大きくなっていく。そしてなにやらさっきから視線を感じている。気味の悪い視線を。


 とりあえず、ここにいては危険だと本能が言っていた。聞こえるのは、風の音と森がざわめく音。そして…… わずかだが水の流れるような音が聞こえた。川が見つかれば、ひとまずは川を下っていけば森を出られるはずだ。こんな不気味な森なんてさっさとおさらばしたい。俺の足は、自然と水の音の聞こえる方へと向かっていった。


 少し歩くと、開けた場所に出た。森の先に広がるのはそびえ立つ崖、そして滝がいくつか遙か高くより降り注いでいたが、水の落ちた先は池のようになっており、その先の流れは見当たらなかった。そして、滝と滝の間には入ったら黄泉の国にでも導かれてしまいそうな洞窟がぽっかりと空いていた。


 洞窟の入り口には、火のついたたいまつがあった。少なくとも近くに人がいることを示していたその灯りは、俺にとっても希望の灯りである。


 時計は15時過ぎを差していた。水の流れが分からなくなった以上、これ以上の探索は危険だ、雨風をしのげるあの洞窟でひとまず待機をするべきだろう。もしかしたら、誰か来るかも知れないし。


 洞窟の中に入ると、中はずいぶんと開けていた。体育館くらいの広さはあるだろうか、そして洞窟の中央。俺の目に、なにやらうごめくものが飛び込んできたのだ。

 

――あ、これはやばいやつだ。


 うごめくものに気付かれないよう、俺は静かに後ずさりをする。


「まあ、まつのじゃ」


 しゃべった!? 目の前にいる何か、少なくともコミュニケーションは取れるようだ。


 うごめくものがなにやら、しっぽのようなものを動かすと、洞窟の中は一気に明るくなった。まるで神社の参道のように直線に並んだ、たいまつに一気に火がついた。そして目の前にいたものの正体が俺の目に飛び込んでくる。


 人?いや狐?


 俺よりは二回りほど大きいだろうか、美しい女性の姿をしていたが、明らかに頭には狐と思わしき耳が生えている。そしてよく見るとしっぽのようなものも見えた。


1、2、3 …… 9!


 俺はしっぽの数を数えた、9本だ。いわゆる九尾って奴かこれは。


 九尾らしき者は、口の周りを血で染めながら、手に持つ肉片を喰らっていた。アレは確かに見覚えがある。肝臓……?


 いや、肝臓じゃないな、うん、あれはきっと、きのこかなんかだろう。ぜったい肝臓じゃないな、うん。こんな美しい女性が肝臓を食べているなんてそんな事決してあるはずがない。


「あの-間違えたので、これで失礼しますね!」


 俺はそう言って、その場を立ち去ろうとしたが、なにやら動けない。やばい。


「まてといっておろうが」


 体中から汗が噴き出る。いやぼく、おいしくないです、おいしくないです。30歳の男なんてクソも美味しくないです。


「わらわが誰か分かるか? 人間よ」


 わかりません!!!!元気に答えようとしたが声が出ない。そしてそいつは俺の心の声が聞こえるかのように続けた。


「わらわは妖狐の一族でな、その中で長を務めている九尾というものじゃ。そち名前はなんと申す」


「飯名です。飯名航平。」


「む、よくわからんがイーナで良かろう」


 何かよくわからんが九尾と会話出来ている。とりあえず襲ってはこなさそうだ。


「あの-ここはどこなんですかね?」


「わらわの洞窟じゃ。もう数百年はここにおる」


 九尾も大変なんだなあ。こんな何もない所に数百年も…… 


 そんな事を思っていると、九尾は俺の心の声を読み取ったようで、ため息をつきながら返答をしてきた。


「そうなのじゃ。つまらないのじゃ。」


 九尾はなかなかフレンドリーであった。どうしてここに来たか。そして、この世界について、九尾からいろいろと教わった。見知らぬ世界に来た不安など、何処かに消えたしまったようで、俺は夢中で九尾と話を続けていた。俺の職業の話に、特に九尾は興味を示してきた。


「ジューイシ?何じゃそれは?」


「動物のお医者さんだよ。病気の動物を治したり、病気にかからないようにするのが仕事なんだ」


「ほう、ならばちょうどいい、一つ頼みがあるのじゃ」


 九尾は続ける。


「最近、困ったことになってのう。謎の病気が世界で流行って、わらわの一族も多く病に倒れるものが出てしまってのう。わらわも、特に最近調子が悪く、上手く力を使いこなせないのじゃ…… ジューイシならばなんとかならんかのう」


 そう言われてしまっては仕方が無い。動物が困っているとき、獣医師が助けにならないで、誰が助けになると言うのだ。俺は九尾の診療を始めることにした。おそらく、誰1人として、九尾の診療なんてしたことがある獣医師はいないだろう。


「あの-とりあえず、その姿だとやりづらいので、狐に戻れませんかねえ……」


 俺がそう提案すると、九尾は狐に戻った。普通の狐よりもはるかに大きい。しかし、こちらの方が慣れている分診療がしやすい。だってねえ、いくら九尾とはいえ、女性の姿をしていたら、人間の診療に慣れていない俺はやりづらいよ……


 心拍を計ろうと聴診器を当てると一つの異常に気がつく。心雑音だ。どっくんではなく、どーどーという音がする。


 一応、問診をする。会話が出来るぶん、普段診ている動物達よりも楽である。


 聞けば、さっき食べていたのはやはり肝臓らしい。しかし、それは近くに住む人間がお供え物としてもってくる家畜のものらしく、人を食べているわけではないようだ。


 そして、数百年は生きていると言っていたが、人間に換算するとまだ10歳にも満たないらしい。幼女やないかい。


 肝臓を食べている、心雑音という点から一つ思い当たるものがあった。おそらく、機能低下による心不全は、幼女と言うことで、可能性としては低いだろう。数百年は生きていることから、先天性疾患もおそらく違う。まあ聴診と問診しか出来ないから精査は出来ないのだが。


「考えられるとしたら寄生虫かな……」


 神様にも寄生虫が感染するだろうか、それは置いておいて、一つの選択肢として考えられるのは寄生虫であった。フィラリアによく病状が似ていたのだ。


「心雑音が出てるから、あまり良い状態ではないな」


「そうなのか、やはりな……」」


 九尾は自らの病状があまり良くないということに、うすうす感づいていたようである。納得したような様子で、少しうつむいた後に、再びこちらへと視線を移した。


「とりあえず、今持ってるイベルメクチンかプラジカンテルって薬を打てば、効果はあるかも知れないけど、寄生虫じゃなかったら効かないし、仮に効いても心臓に詰まる恐れはある」


「どうすれば良いのじゃ」


「正直、今確定診断が出来ない以上、治療のしようがない」


 それが俺の本音だった。リスクがある以上、むやみやたらに薬は使えない。


「そうか……」


 九尾は落胆している様子だ。せめて心エコーでもあれば、もうちょっと手の施しようがあったかも知れない。だが、今の状態で俺にわかることはそれくらいである。


「あいわかった、わらわの命、そちに預けようではないか」


 九尾はこちらの目を真っ直ぐに見つめると、俺にそう言ってきたのだ。預けようったって、こんな状況で、出来る事は限られている。道具もないし、この場で処置するのは不可能だ。そう思っていた俺の心を、九尾は全て読み取ったかの様子で、笑みを浮かべながら話を続けた。


「わらわは憑依することが出来るのじゃ、神通力という奴じゃ。そちに憑依をして、そちにわらわの力を貸そうではないか、その代わり、わらわの治療法を見つけてくれ」


「憑依……? そんな、簡単にできるのか……?」


「まあ力が落ちてしまっている以上、上手く行くかはわからんがな、おそらく大丈夫なはずじゃ」


 確かに、この世界についてよくわからなかった俺にとって、九尾の提案に乗る事はメリットも多くある。しかし……


「頼む、わらわはまだ死ぬわけにはいかないのじゃ……」


 神様にここまで頼まれては仕方が無い。それに今の俺にとっても、この後どうすれば良いかというプランも全くない。ならば、動物助けも兼ねて、ここで恩を売っておくというのも悪くはない。


「わかったよ、俺も一度死んだ身、好きにしてくれ」


「イーナよ、手を差し出すのじゃ」


 差し出した俺の手に九尾が触れる。自分の身体がだんだんと九尾に包まれていくのが分かる。そして、俺の中に何かが入り込んでくるのも分かった。これが憑依って奴か……





 気がつくと、洞窟の中、俺は1人だった。なんだか洞窟が広くなったように感じる。


――目覚めたかイーナよ


 九尾の声がする。


――無事におぬしの中に入り込めたようじゃ、ちょっと失敗してしまったがのう……


 え?


 気がつくと、俺は縮んでいた。そして、髪が肩くらいまで伸びているのも分かった。


 え?


――うむ、わらわに似て、ぷりちーな姿じゃ


 そう、俺は女の子の姿になっていた。


 なんでや……


 こうして、俺と九尾による奇病が蔓延した世界を救う旅が幕を開けた。

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