星長への問い掛け

「それで、先程のお言葉か……」

 やっと落ち着いたと見える駒草は、納得したように独り言ちた。神に手綱が存在するはずもなく、ただ自由気ままに振舞うのみ。民を想う王もあれば、自分を想う王もいる。それは人でも然りだ。

「私もお傍に参ることができれば、もう少し事態も変わりましょうが……。白錵樣は猿猴楓しかお心を許しておりません」

 鳥足升麻は、遊星白虎の星長から借りた客間へと火威とその獣者を通していた。あの宮殿の客間はやはり金が設えてあって気が休まるものではない。簡素で暖かく、木の感触があったほうが休息も取れるだろうと配慮した結果であった。金茶の壁が隙間なく組まれ、木枯らしが通らないようになっている。

 そこで彼女は改めて謝罪と、白錵の顛末を語った。犬山薄荷は命令の通りに火威に付き添ってはいたが、寡黙なゆえ会話はほとんどない。実際どのくらい生きているかは分からないが、火威よりいくらか歳上に見える。口には犬用の枷(マズル)が嵌められて甚振(いたぶ)られているように取られることがあるが、実際はそうではなかった。祖父から受け継いだ青紫の髪と、黒い双眸が聡明さを思わせる。もうひとつ継承したのは、彼の獲物の鋸(のこぎり)だった。

「しようがないこと。どなたも悪くはないのでしょう」

 汲んでやるのは柔和な羊蹄。神には誰も逆らえない。それは天候を誰も操れないのと同じで、嵐が過ぎ去るのを祈ることしかできない。

「それよりも、いまは允可についてでしょう。白錵樣よりは允可をいただいたので、このままこの場を去ることもできます。火威樣は、どうお考えでしょうか?」

「えっ」

 急に話を振られて、戸惑いを隠せなかった。聞いていないわけではない。内容がいまいちよく分からず、逡巡していたときだった。それでも決める権利は火威にある。それは、身体が一番良く分かっていた。

 考え込んでしまった幼児の集中を切ったのは、ひとりの青年だった。彼は遊星白虎の若き星長であり、名を金鈴(きんれい)という。

「――あの、お邪魔でしたら大変申し訳ありません。その、朱雀御大樣、白錵樣の獣者樣、お食事などは、どうされますでしょうか……?」

 先程初めて会ったときもそうだったが、金鈴は申し訳なさそうに慮(おもんぱか)ってくる。敬虔だとは思っているが、それでもこの問いに関してはいくらか建前が入っているようだ。返事をしたのは、やはり鳥足升麻だった。彼女はこの土地のことを昔から良く分かっている。

「金鈴殿、我々は飲食を必要としません。お気になさらずに」

「ああ、そうでしたか……。それは確かに、そう存じ上げておりましたが、朱雀樣もおりますし、万が一と考えまして」

「そうだな。いつも感謝申し上げる。糧は、明日のために使いなさい」

「はい、ありがとうございます」

 金鈴がそそくさと踵を返そうとしたときに、呼び止める声があった。火威だ。珍しく声を上げた幼い朱雀に、金鈴は肩を縮こまらせる。

「あの、金鈴、さん?」

「は、わたくしめで、ございましょうか……?」

 落ち窪んだ大きな眼を泳がせながら、金鈴は半ば反射的に応えを返した。

「その、ごめんなさい。どうしても確かめておきたくて……」火威はひとつ息を吸うと、言葉を続ける。「糧とは、そんなに大事なものなのですか?」

 その無知な言葉に、白虎の民はぞくりとする。この神も、宮殿の奥で引っ込んでいる女神と同類なのかと。同じ道を辿るのは別の星ながらも、金鈴は落胆で肩を落とした。

「……はい。糧は、民が生きてゆくのに、必ず必要なものです。遊星白虎は、豊かではありますが、時々飢饉――食べ物が食べられない状態が、起きます。その際は、多くの民が、失われるのです」

 それでも冷静さを保ちつつ、噛み砕いて伝えることにする。見目は幼いが、その実自分より多くのことを知っていることだってあった。しかし朱雀は本日産まれた身と聞いて、少しでも伝わるようにとの配慮だ。

「その大切な糧は……、ほとんどないのですか?」

「蓄えは、ほとんどありません。木枯らしは定期的に、決まったように現れて、すべてを出し尽くして去っていきます。しかしそのやってくる期間も短くなり、次いつ――もしかしたら明日にでも、全部を攫っていってしまうのではと、民は嘆いております」

 それは、親が子に大切なものを教えることに似ていた。これだけは覚えておいてほしいと、いつ自分の命が消えてもいいように伝えておかねばならないとした事柄。願いはいつか、自らの神に届くと祈って。

「教えてくれてありがとう。それと……金鈴さんはいまでも、白虎を愛していますか?」

「――!」

 純粋な問いは星長の胸を突く。親が早くに亡くなったので流れ的に役職を継いだが、そうなってしまったのも白帝が貿易の量を違えたせいだ。いわば、間接的ではあるが、親の仇といってもいい。しかしながら、神への敬意には抗えなかった。魂に刻まれた白虎への愛が、脈打って止め処なく溢れてくる。この問いが『白錵』でなくて『白虎』であったことに、心からの感謝を覚えた。

 金鈴は少し肩を震わせたが、やがて自覚したことに諦めて力を落とす。

「はい、白帝樣への敬愛は、いまでも健在でございます」

 それだけは、言い淀むことなく報告できる。対等な神である朱雀に対しても、金鈴にとっては白虎のほうが上であった。

「……分かりました。それでは、これからについて、また白錵さんとお話させていただきます。良く話してくれました」

「いえ、こちらこそ、このような卑しい身共にお声をかけていただきまして、光栄でございます。それでは、失礼させていただきます。簡素ではありますが、どうぞごゆるりとお寛(くつろ)ぎくださいませ」

 火威はひとつ頷くと、今度こそ金鈴を見送った。その足音が、蛇結茨でさえも聞けなくなってから、朱雀の獣者は口を開く。

「火威樣、謁見の件、誠にご希望でしょうか?」

「うん。少しずつ思い出してきたよ。思っているようにお話すれば、きっと分かってくれる」

 言葉の端々には、仔どもとは思えぬ意志が宿っている。それを感じ取り、駒草は向こうの獣者に希(こいねが)った。

「畏まりました。それでは鳥足升麻、犬山薄荷。たびたび急ではありますが、星が一周したのち改めて白錵樣に謁見を申し込むことはできますでしょうか?」

「私が掛け合ってきましょう。犬山薄荷は火威樣のお傍に」

「相分かった」

 言うが早いか、鳥足升麻は自慢の長靴を鳴らして門を出て行った。本日はさすがに火威にも白錵にも無理があると思ったのか、細かい気配りで明日の話し合いとなったと見える。それでも神にとってはすぐの時間であるので、否応なく張り詰めた空気が流れた。緊張が走る室内に声を落とすのは朱雀だ。

「明日のお話ができないなら、また今度でもいいけれど……。早いほうが助かるね。犬山薄荷、そちらにも少し訊いてもいいですか?」

 民の熱気に中(あて)てられたのか、朱雀は少しずつ王者の風格を成していった。それでもまだ未完成な部分も多いので、ひとつひとつ確かめなければならない。

「何でございましょう、炎帝樣」

「いままで白錵さんに赤ちゃんができなかったのは、どうしようもないです。そう、自分で決めたのでしょう。その間、白虎を支えてくれてありがとう」

「有り難きお言葉、傷み入ります」

「獣者たちを置いておくため、神力を使っているのではないでしょうか。体調が悪かったりは、ありませんか?」

「それは……」

 その火威の言葉は、真実に近かった。確かに白錵は神力を多く注ぎ、我々を留め置いている。それでも至らぬところは多々あって、いまや正確に獲物を振るう力があるのかさえ怪しかった。守る力さえも失われては、本末転倒である。

 体調、と称するよりかは、行動力が衰えた、というほうが合っているだろう。動くための活力が削がれ、気怠い日々もある。ただしそれをそのまま伝えていいものか。善しとしたのは自らの主だ。侮辱に当たる言動ではないかと躊躇している間に、その心根を火威に見透かされてしまう。

「うん。分かりました。話し相手になってくれてありがとう、犬山薄荷」

 火威は微笑を湛えて、歳若き戌に安心を与えてやった。かつて祖父がしていたような、施しを行うときと同じ眼をしている。

 遊星白虎に夜の帳が降り、やがてすぐに恒星が瞬き出す。幾重にも命を散らしながら、我々を照らす運命を担っているのだ。

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