木枯らし吹き荒ぶとき
その歳次は、稀に見る不作だった。明日を生きるのにもやっとの思いで、民は子へと、孫へと紡ぐ。中央に聳える黄金の宮殿。しかしそれに何の意味もなかった。煮ても焼いても、金は食えない。
「犬酸漿、私も共に」
声を掛けたのは鳥足升麻だ。あの時自分も同席していたら、もしかしたら未来は少しでも変わっていたかもしれない。彼女は、白錵が金を掘れと言うから、現場まで訪れて作業を見守っている最中であった。金が動くのはいつも宮殿で、現場ではない。それがとてつもなく皮肉めいていて、鳥足升麻の胸を抉る。
心労ですっかりやつれた犬酸漿は、少しながらもどこかで手に入れた蓄えから、民に施しを与えていた。
「おや、鳥足升麻。白錵樣に付いていなくてもいいのかい?」
「……傍には、猿猴楓がおります」
やや侮蔑気味に、鳥足升麻は吐き棄てる。分かっている。猿猴楓は白帝の良いように進言しただけ。決定したのは他でもない、白錵だ。だからこの胸の痛みは、猿猴楓でもなく主でもなく、ただただ自分に向けられる。
猿猴楓は獣者には珍しいほどの寵愛を受け、常に白錵に寄り添うようになった。あなたは眩んだ眼でいったい何を見ているのか。
――その愛を、少しでも民に向けていただきたいのだが。
大道(だいどう)の如く、人々を導く者を求めていた。自分は多くを求め過ぎていたのかもしれない。神はいつでも己の生きたいように生きるのだ。木枯らし吹き荒ぶ道に身を固めて暮らす子らに、微少ながらも食糧を与えて歩いていく。
朱雀の崩御が耳に届いたのは、それから数十回歳次が過ぎた後であった。これで次代へと交代が行われる。それを願うのは不敬であるが、不作を主の傍若無人のせいに思えて、しようがなくなったのだ。考えてはいけない。それでも次代はもっと良い王が立つことを、奥底では祈っている。
しかしその希望は、残酷にも毟り取られることになる。朱雀の仔は現れず、それゆえいつまでも白錵は仔を成そうとはしなかったのだ。宮殿が完成してからは満足が行ったのか、食糧と金の貿易は落ち着きを取り戻していた。それでも次、飢饉が襲って来たら、民は生き延びられるのか不安で押し潰されそうだった。
「僕はもう、長くないだろう」
「はい、そうでしょうね」
犬酸漿は、忙しいと嘯(うそぶ)く猿猴楓をやっとのことで捕まえて、話し合う機会を得た。何かと思って呼ばれて来てみれば、自身の寿命のことだったので猿猴楓は肩透かしを食らう。
――そんなこと、疾(と)うの昔に気付いている。
「安心してください。犬酸漿の意志は、俺が引き継ぎます」
思えばこの一人称を言ったのもいつだっただろうか。最近は――いや、ずっと前から白錵に連れ添っていたので分からない。それを思い出させてくれただけでも収穫はあろう。
「そうか。鳥足升麻にもお願いしたのだがね、君は、民の現状を知っていますか?」
「ええ、飢饉が続くと大変危険だとか。ですが、元々遊星白虎には民が多いのです。人は遅かれ早かれ亡くなります。少しばかり変動が起きても、問題ないのでは?」
「それを、目(ま)の当たりにしたことは?」
犬酸漿は軽い溜息混じりに、訊き返す。質問を質問で返すとは、と呆れたが、先程は自分もそうしていたことに気付いて心中で嘲笑した。何にせよ、神のご意思だ。白錵が善しとするのだから、この星の規律も善しということになっている。
この寂れた老人をどう説得しようかと考えている内に、向こうの方から口吻を開いてくれた。
「子どもすら骨と皮ばかり。豊穣だったはずの土地は細く廃れ、次に生えるまでに時間がかかります。我々や白錵樣は食事を必要としません。それゆえに、民の食に対しては関心がとてつもなく薄い。知っていますか? 食べ物がなくなれば、人は人を食うのです」
「――人が、人を?」
これにはさすがの猿猴楓も身を引いた。そのような野蛮なことが、ここでは許されているのか。いいや、誰も許してはいない。そうしないと生き残れないのだ。考えるだけで脳が痛い。
「いえ、しかし、少数でしょう。人は子を産むのが早いです。十分に補えます」
「君は見ていないから言えるのです。救おうと手を差し伸べても、救えない寂しさを。気付かない内に命尽きてゆく虚しさを知らないから、平気でいられる」
犬酸漿は若者の手を力強く取って、ギラリと光る双眸でしっかりと見据えた。否、睨まれた、と言ったほうが正しいかもしれない。
「どうか外へ出て、この星を直接見てください。それが、ジジイの最期の願いです」
その後老爺は白錵にも同じように忠告したが、その言葉が聞き入れられることはなかった。そしてすぐに、犬酸漿は息を引き取った。
――申し訳、ありません。
猿猴楓は、いまは亡き獣者へ想いを馳せる。次いで派遣されたのは、孫の犬山薄荷であった。冷酷で研ぎ澄まされた刃のような少年は、口数少なく何を想っているのか不明瞭なところが多い。それが炎帝の話し相手など、果たして務まるのだろうか。
猿猴楓は思案しながら、白錵に付き従うしかない。犬山薄荷もさることながら、鳥足升麻にも悪いことをした。いまさら許してくれ、なんて言えるはずがない。
「猿猴楓、お前は良い仔だね」
恍惚そうに、申の獣者の黄髪を撫でる。白錵をここまで落としたのは、自分の責任が大きい。鳥足升麻は、白帝が自ら望んだことだから、と誰を責めるでもなかったが。泣きそうな面(つら)を必死に堪(こら)え、平静を保つことでしか犬酸漿に顔向けできない。宥めたり泣き落としで心が揺らぐ白虎ではないのだ。
せめて自分が傍にいることで、未然に防ぐ行為ができればと願う。気付いているのかいないのか、白帝はただ、黄金に輝く王宮でひとり遊びをするのだった。
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