第一章 遊星朱雀

捕縛

 姿を現したのは、ひとりの少年――いや、青年だろうか――だった。幼く見えるその容姿に、哢(ろう)は張った肩を落とす。この場にいるということは、朱雀……、いや、羽毛の色が違う。フードの下から見える、パーマをあてたような肩口までの髪は薄い緑で、哢のそれと少し似ていた。向こうはどちらかといえばミントグリーンに近い。白く輝く円い瞳には、草食動物に似た横に長い瞳孔が称えられている。その害のなさそうな眼光を鋭くしたかと見えた瞬間、左右それぞれの腰に提げられていた鞭のひとつが、哢に飛んできた。

「――っ!?」

 驚愕の声を上げたはずだったが、今度は後ろから広い掌で口を抑えつけられる。辛うじて鼻腔は塞がってないが、動き辛さからか息苦しかった。それにいつの間にか、口元とは反対の腕で動きを封じられている。鞭と相まって、完全に動くことができない。

「む! むむ……!?」

「蛇結茨(じゃけついばら)の言った通りだったね」

 鞭を張り詰めた青年は、柔和な外見からは想像もつかないほど冷淡に吐き棄てる。同じ獣者に対してではない。その間に封じ込められた間者を警戒しているのだ。羊蹄(ぎしぎし)には牙がないため撃退するには決定打に欠けるが、頭巾の中には頑丈な角が隠れている。耳の上で巻かれた、強固な牡羊の角だ。

「俺様の腹を舐めるなよ」

 粘るように、哢の後ろに回った人物が口を開いた。後背の男は長身で、紅玉の瞳が鋭くこちらを射抜く。哢はその、敵と思われる男の腕に抱(いだ)かれて、身を固くするしかなかった。

「それで、貴様の目的は何だ?」

 脂汗が全身から噴き出してくる。やましいことなどない、恐らく。しかし彼らにとっては自分の行動は、もしかしたら、何かの大事に触れてしまったのではないだろうか。それに今朝は朱雀が誕生したやもしれない日。もしかしたら、まさか、朱雀の命が狙われているのでは――?

「蛇結茨、口を塞いでいては答えられるものも応えられないよ」

「答えなど聞かなくても分かる。こいつは刺客だ。火威(かい)樣の命を狙う不届き者だ」

「だったら何で訊いたのさ。……でも、まぁ、その意見には賛成だね」

「むー! むむー!!」

 哢は必死に身体を捩(よじ)ろうとするが、やはり動かない。このままでは無実の罪で罰せられてしまう。心臓が早鐘を打ち、命を散らす時を待っている。

「でもさ、この怯えた少年がボクらに適うとは思えない。指示した奴が裏にいるんじゃないかな。それだけでも訊き出せる?」

「……それは、そうだな」

 そうしてやっと口元だけ解放された。哢は荒い呼吸を数回繰り返して、間髪入れず弁明を開始する。

「あ、あの……っ、違うんです! その、何かをしてしまったならすみません! 俺は……別に何かの邪魔をしようと思ったわけじゃ――ヒッ!」

「変なことくっちゃべってないで、簡潔に報告しな。我らが朱雀に何の用だ?」

 息を呑んだのは、眉間に棘(とげ)を突き付けられたからだ。蛇結茨と呼ばれた男性の左手中指、その付け根のリングから鋭く細い鋼が飛び出している。それは次の彼のセリフと共に鼻筋、左頬を伝って、首筋へと降りてきた。うまく息ができない。

「言い訳しようとするなら、分かっているな?」

 それでも喋らなければならない。口内はカラカラに乾き、舌が張り付いて痛かった。

「わ、私は、朱雀の民であり、哢と申します。父に歴史学者を持ちますため、本日は熱を読んでおりました。ここへ参ったのは、その、喬木(きょうぼく)の幹に付けました検温器を改めるためでございます」

「熱読みの民……? それは本当だろうな?」

「は、はい!」

 針が食い込んできたので、哢は急いで答える。この期に及んで嘘を吐けるはずがない。頼みの綱は、先程ちらと聞いた、『我らが朱雀』という言葉。もし彼らが同じく朱雀を敬愛する民であれば、恐らくは見逃してくれるのではないだろうか。

 必死で仲間であると訴える。もし彼らに反逆の意志があろうと、その後のことは哢の知るところではない。

「……ならば伝えろ。我らが朱雀が誕生なされたと。我らは炎帝の獣者である。直に一声鳴くであろう」

 言って、手前の青年は鞭を少し緩めた。哢は二つ返事で答え、次いで緩められた腕から身体を振りほどき、急いで来た道を引き返す。もはや気温を示す数字は覚えていない。確証を得た以上、必要ないからだ。

 誕生の熱は、哢にしっかり絡みつき、身体を重くする。それでも走らねばならない。

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