熱読みの民

 哢(ろう)は、熱を読んでいる。気温が変わったのは、つい先ほどのことだった。焦がした大地のような匂いがする。

「親父!」

 歳は十五、六ほど。少年は急いで父親を呼び寄せると熱度について語った。

「気温が……? どのくらいだ?」

「昨日より五度ほど上昇」

 哢の父は怪訝そうに顎の無精髭を撫でる。名を嘴(はし)と言った。嘴と哢の父子(おやこ)は、熱を読み世界の行く末を見定める知識を持っている。誰にでも授けられる技術ではないが、学ぼうと思えば体得は可能だ。そもそもが隠された手の内であることを除けば、だが。

 本日の話に戻るなら、奇妙なほど突然温度の上昇が見られた。何の予兆もなく。

「まさか、今頃になって朱雀が誕生したとか」

 誰もが待ち望んでいたが、すっかり忘れられた存在。確かに朱雀が立てば星は安定する。先王は少し自己的なところがあり、初めは良かったが徐々に星が荒れ始めた、らしい。哢はその頃から街外れのこの建物に父と暮らしていたため、あまり記憶がない。今となっては確認する術はなかった。

 先王が斃れてから星(ほし)長(おさ)が立ち、ある程度星は持ち直した。余るほど豊かでもないが、生きてゆくことはできる。ただし気温については別で、朱雀が産まれなければこれは安定しない。常に汗ばむような煌めきの星だったが、ここ数年は四季――とは名ばかりだが、順番こそ違えど確かに四季であった――が巡ってくるようになった。拍子が良ければ常葉の茂る植物が、葉を落とし花を付け実を結ぶこともあった。気候が崩れると人々は外に出るのを嫌がる。そもそも肌に合わないのだ。皆は暑い季節を好む。故に体調を崩し、そのまま、ということも多くなる。

 先日までは寒かった。それが急激に気温が変化した。数日間は様子を見なければ確証は得られないが、もしこの熱度のまま固定されれば、正当な主である朱雀が誕生したこととなるだろう。

 ――だけど、なぁ。

 いままで何度か希望を抱き、その度に裏切られてきた彼らにとって、決断を下すには慎重にならざるを得なかった。朝刊にだってまだ載っていない話である。

 情報は朝に届く新聞のみ。それも本来、十分とは言えない。街では何が流行っているとか何が旨いとか、そういった情報は手に入らない。朱雀の代わりに立っている星の長が、統治を適度にこなしているだけの内容だ。哢には味気なかった。

 それと同時に朱雀の存在だって忘れ去られているようなものだ。哢たちがここで熱気を読んでいても、皆は朱雀自体を望んではいない。願わくは、気候が安定しなくとも、このまま平穏であり続けたいのだろう。祈りの声も次第に途絶え、朱雀の現状を把握しようと行き来する者はすっかりいなくなっていた。

 先代の王が悲惨だったから。それに厄介な呪詛を吐いて永遠の眠りに就いた。それはまだ、哢の記憶に新しい。なにせ新しい朱雀の情報は、それきり聞かないからだ。

「思い過ごしかもね」

 哢は嘴にそう告げると、廂(ひさし)から飛び降りる。家は赤土が塗り固められた、四角く小さなものであった。壁を切り取った扉の横から梯子を掛け、廂へと登れるようになっている。上がるときには使うが、下るときは時間が掛かって仕様がない。

「ん? しかしだな、哢――」

 嘴は言いかけたが、哢は興味なさげに部屋へと引っ込んでしまった。嘴は歴史学者であり、長年朱雀を追ってきた。白髪交じりの緑髪(りょくはつ)で歳を感じさせる。丸眼鏡の奥の小豆色の小さい瞳は、困惑したように息子を見送っていた。歴史に興味がないことくらい気付いている。まだ年齢を重ねていないだけあって、流行りのほうに心惹かれているようだ。

「あいつも歳を取れば、歴史の良さが分かるのかねぇ」

 頭を掻きながら息子の将来を思いやる。男は一定数、年月を経れば歴史に食指を動かされる者がいる。しかしあくまでも定説で、確定事項ではない。ましてや歴史家の息子といえども、同じ道を辿るとは限らない。自分は逆に、親の反対を押し切って歴史学者への道を歩み始めたのだが。秘匿された熱読みの技術だって、一生懸命師匠に頼み込んで、やっとのことで教えてもらったのだ。その技術を惜しげもなく倅(せがれ)に注ぎ込んだのだが、やはり受け取ってはもらえないようだ。願わくは悪用や軽視だけされないことを祈る。

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