マウンテン

月丘ちひろ

マウンテン

「名古屋市には踏破困難な「山」がある」


 これを読んだ方は首を傾げるだろう。名古屋市には目立つような山はないのだから。だけど、現地の人なら共感してくれるに違いない。


 これは私が『山の頂』に挑んだ話である。


 そもそものきっかけは、年明けに仕事の元同僚と再会したことだった。

 彼とは東京の同じ現場で一年以上同じ案件を担当した仲だが、色々な事情から彼が名古屋に帰ることになってしまった。それがどういう縁か、私が名古屋で出張業務をすることになり、現地で働く彼と飲みにいくことになったのだ。彼とは取り留めもない雑談をした。そして男二人の甘いお酒が空になった頃、私は名古屋には何があるのかを尋ねた。


 冒頭の話題が出たのはそのときだった。

 もちろん私は首を傾げた。

 名古屋市に目立つ山はないからだ。

 だから私は再び尋ねた。


「なんて山?」


 彼は赤らんだ顔をニヤつかせた。


「マウンテン」

「……は?」

「だから、マウンテンだよ」


 そう言って、彼は伝票を持って席を立った。

 どうやら奢ってくれる雰囲気だったので、私は彼が気分を害さないようにマウンテンについて詮索しなかった。というよりも彼が酔いに任せて適当なことを言っていると思っていた。ところが、宿泊先のホテルにてスマホで調べてみたら、名古屋市に『マウンテン』があったのだ。


 そういうわけで翌日、休日だった私はビジネスホテルを出て、名古屋駅に向かった。『マウンテン』の最寄り駅へのアクセスは桜通線で丸の内駅に降り、そこから鶴舞線に乗り越えて八事で降り、名城線で八事日赤駅に降りる。電車の乗り換えは都内の生活で慣れていたが、愛知県内の駅内は都内と比べると数段寒く、電車を降りる度に震えて八事日赤駅に向かった。


 そして八事日赤駅を降りた後が面倒だった。周辺は高低差があり、スマホのナビを頼りに近道しようとすると、住宅街迷路や高低差の行き止まりに阻まれ、遠回りをして大通りに出ることになった。そしてその大通りで小さく佇む山を見つけたのだった。


 それは小さな小屋と背後にそびえ立つ山が印象的な『マウンテン』と書かれた看板だった。そして看板の先には看板の絵にそっくりな小屋が建っていた。


 私はスマホのマップを確認し、この小屋が目的地である『マウンテン』という喫茶店であることを確認し私は店の扉を開けた。


 ネットの事前調査では行列ができるという口コミだったが、この日の店内はガランとしていた。厨房では数名の女性が作業しており、そのうちの一人が私に気づき、私を席へ案内した。


 店内は落ち着いた色合いをしており、椅子に腰を下ろすと、体からパンパンに張った足から疲れが抜けていくようだった。


 店員が差し出した水で一服した私は、メニューを開いた。そこには今まで見たことのない種類のパスタが羅列されており、そのどれもが食欲をそそりそうな名前をしていた……メニュー左下にちらちらと見える不可思議な名前のパスタを除いては。そしてその不可思議なパスタこそが、この『マウンテン』を踏破困難な山たらしめていることが一目でわかった。


 だから私は店員にそれを注文した。


『甘口抹茶小倉スパ』


 店員は満面の笑みを浮かべ、手慣れた調子でオーダーの確認し、厨房に戻った。それからしばらくして、件のパスタがオレの席に置かれた。


 抹茶色のパスタの山頂には小倉餡の固まりが一玉乗り、その餡を雲のような生クリームが覆い、その上には太陽のようなフルーツがその上にトッピングされている。ネットの事前調査をした際、チラリとこの絵面を見たが、そのときに抱いた印象よりも二回りは大きく見えた。


 私はごくりと息をのみ、「上等だ。こちとら甘党なんだよ」と犬のように吠え、フォークを握った。


 初手は山の底辺であるパスタを口に入れた。モチモチした触感と、うっすら感じる抹茶の甘みはくず餅を連想させる。続いては生クリームと小倉餡を崩して、パスタを一緒に口にした。すると見た目からは想像できないスイートな味がしたのだ。同時に生クリームと小倉餡を組み合わせれば、一つのスイーツとして感触できるのではないかかと思った。そして私は空になった皿を写真にとって友人に自慢してやろうなどと思いながら、パスタの山を崩していった。


 だが私は気づいていなかった。この抹茶色のパスタの実際の量は見た目よりもさらに多かったことに。とどのつまり、私は誤った目分量で生クリームと小倉餡を切り崩していたことになる。


 その結果、パスタの三分の二を消費した頃に、生クリームと小倉餡はすべて渡しの体内に修まることになった。それでもこのまま勢いに身を任せればなんとなかなると思い、私はパスタを啜った……が、生クリームの甘みに慣れた私の舌には、パスタに絡んだ抹茶はあまりにも薄味で、普通のパスタであれば絶妙とも思えるモチモチの触感が、無味のグミにしか思えなくなっていた。


 だけど、私は気力を振り絞ってパスタを口の中に押し込んだ。完食というゴールがすぐそこにあったからだ。完食して、オレはやったぜ。と自慢してやろうと思ったからだ。


 そして数十分後、目に涙を貯めながら私は皿の上から抹茶色のパスタの山を消して見せた。そしてオレは吐き気を催しながらも、空の皿を写真に納め、店員に会計をお願いした。


 そのとき、店員は満面の笑みで私にカードを差し出した。


「これをどうぞ」


 なんだ? 登頂到達した記念の無料券か?

 店員からカードを受け取り、確認した。

 それは登山一合目に、スタンプが押されたカードだったら。

 店員は次回もよろしくお願いしますと言わんばかりの笑顔で会計をすませ、店を出て行く私を見送った。

 店の外に出た私はスタンプカードを撮影し、ラインで友人に送信した。


『登頂までいけるわけないだろうバカ野郎!』


 こうして、私の無謀な登山は終わりを告げたのだった。


 喫茶店『マウンテン』

 ……あなたも名古屋市で『登山』を始めませんか?


 

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マウンテン 月丘ちひろ @tukiokatihiro3

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