第6話 夢幻

僕が彼女の事を水鏡さんだと理解するまでに要した時間はそう掛からなかったが、彼女の口から水鏡だと告げられた時は驚いた。


だが、彼女が鞄から眼鏡を出して掛けると印象が一気に変わった。


今朝、職場で見た彼女は化粧っ気もなく地味にみえていたが、今の彼女は化粧をし眼鏡を変えているせいもあるのか、どこか華やかだった。


そして、僕たちは雨が降る中で話すのはなんだからと、近くのファミレスで食事をしながら話すことになった。


「ま、まさか水鏡さんがこんなところで……いや、

路上ライブをしてるなんて思いもしなかったよ。」

そう言ういと、彼女は恥ずかしそうに頬を掻きながら自分の思いを告げる。


「私は歌手になるのが夢なんです……。」


「歌手に……。」

僕がかつて夢見た夢を彼女は恥ずかしそうにしながらも、その瞳は真剣そのものだった。


その輝く瞳に若さと自分が失ってしまった夢を思い出してしまい、羨ましく思ってしまう。


だが、彼女は現実と言うものをまだ知らない。

彼女のように才能があってもチャンスや周囲の理解が得られずに諦めてしまった人間を沢山見てきた。

……僕を含めて。


雨はいつも嫌な過去を思い出させる。

夢も、希望も、恋人も……今までがなかったかのように雨は全てを洗い流してしまった。

だから、雨は嫌いだ……。


雨と彼女の夢が嫌な過去を思い出させたせいで、僕は気落ちしていると、水鏡さんは肩を落としながらぽつりと呟く。


「歌詞を作るのは苦手なんですけどね……。」

確かに、彼女の歌っていた曲はカバーばかりで自作の曲は一つもなかった。


彼女ほどの才能があれば、人の歌に感情を乗せることは容易い。自分がその曲から受けた感情を声に出してただ歌えばいいだけなのだ。


だが、それは借り物でしかない。

彼女が感じたもの、思い、らしさを引き出せるものではないのだ。


「だからお姉ちゃんにも夢は諦めなさいってよく言われるの。」


「お姉ちゃん?」


「そう、舞姉ちゃんに……。」

肩を落としながら雪吹さんの名前を出す。


「……君と雪吹さんとの関係って一体?」

その発言の意味がわからずに、僕は水鏡さんと雪吹さんの関係を尋ねる。


すると彼女は暗い表情に変わり、自分の過去を話し出す。


「実の姉なんです。両親が離婚したから姓は別々ですけど、元々姉妹仲は良かったので今でもよく会ったりしてたんです。」

衝撃の事実を告げられて、俺は驚いてしまう。

水鏡さんも雪吹さんも美人だし、よく見れば目元の辺りが似ている。


だが、雪吹さんは水鏡さんの事を『幼馴染の妹』と言った。2人の話の違いに違和感を覚える。

雪吹さんにも事情があるのだろう……。


「そうなんだ。ごめん……。」

彼女と雪吹さんの関係を知り、居た堪れなくなった僕はついつい謝ってしまう。


「いえ、昔のことなので……。それに片桐さんに隠すつもりはなかったんですよ?ただ初日だったわけですし、コネ入社のようなものなので……。」

彼女のにこやか笑う顔を見て僕はホッとした。


「ただ、お姉ちゃんには今日のことは秘密にしておいてください。お願いします!!」


「な、何故?」

テーブルにつきそうなほど下げられた彼女の頭を見て、俺は戸惑いながら理由を尋ねる。


すると、彼女は頭を上げて理由を話し始める。


「先程もいいましたが、お姉ちゃんは私が歌手になるのを反対しているんです……。」

その話を聞いて僕は言葉につまる。


若かりし頃に追っていた夢とこの年になって見た現実……双方の意見を照らし合わせると、僕は彼女に対して何も言えなくなってしまったのだ。


「夢を見るのはいいけど、ちゃんと働いてからじゃないと現実は見えないよって言われまして。」


「どういうこと?」

雪吹さんがどういう意図でそれを言ったのかわからずに意味を尋ねると、水鏡さんは首を横に振る。


「わかりません。ただ音楽の事だけで生活できるほど世の中甘くないよっていいたかったんだと思います。」

それを聞いて僕は痛いところを突かれた思いをする。


当時は音楽とバイトに明け暮れ、現実を見てこなかった愚かな自分に嫌気が差す。


「お姉ちゃんの言う事はもっともだと思います。だから今の職場で働く事になったんですけど、どこか違うんです……。」


「何が違うんだい?」


「私の居場所はここじゃない。もっとほかにあるでしょって、自分の中の誰かが言うんです……。」

つまらなそうに話す彼女の気持ちが痛いほどよく分かる。


今の自分もそう感じるところが大いにあるからだ。

だからと言って肯定はしない。

それは経験則や雪吹さんへの恩があるから下手に彼女に味方をできない。


夢は幻なんだと言う事は簡単なのだ。


だけど、だからと言って彼女の言っている事を否定するかと言うとそれもまた違う。


だから僕は違う質問をする。


「君はどうしてそこまで音楽にこだわるんだ?」


「それは……。」

僕の問いに彼女は言葉を詰まらせる。


明確な目標がなければただの現実逃避でしかない。

当然僕も雪吹さんの意見に賛同する。


だが、彼女の目は真剣なものに変わり、答えの続きを話し始める。


「小さい頃にお姉ちゃんが喜んでくれたからです。音愛なら歌手になれるよって……。」


……そんな理由で。

僕はついつい鼻で笑いそうになる。

性格が歪んでいる事は承知の上だ。


「それに、歌には力があります。楽しい時、悲しい時、辛い時、怒った時に共感できる力が……。」


……そんな事はない。


俺はそう言いかけたが、口を紡ぐ。

彼女の目は真剣で、拒絶してしまうとぶつかってしまうからだ。


それに、まだ青さの残る彼女の言葉にかつての自分を見た気がして、反対すら出来なかった。


その代わりに出た言葉が僕の心を揺さぶってしまった。


「……どうしてそうおもうんだ?」


「今日、私が最後に歌った曲を覚えていますか?」

彼女が歌った最後の曲。分からないはずがない。


それは僕が最後にようつべにあげた曲だった。


「その曲に……私は救われたんです。私が辛い時にこの人の作った曲が今の私を作っている。だから私もこんな歌を作りたいし、歌っていきたいんです。」

その言葉に僕は衝撃を受ける。


自分が否定し続けてきた過去を肯定してくれる人が目の前にいる。


その事が恥ずかしくも嬉しくて涙が落ちそうになるのを必死で堪えた。


「どうしたんですか?」

僕の涙を堪える姿を見て、彼女は首をひねる。


「いや、なんでもない……。頑張ってみたらいい。」

と涙をごまかしながら言うと、彼女は嬉しそうに「はい!!」と答える。


「ただし、仕事はちゃんとする事!!あと……。」

中途半端な物言いに彼女は「あと?」と首を傾げる。


……危なかった。

君は美人なんだから……。と、口から溢れそうになる言葉を飲み込む。


「夜遅くまで一人で演奏するのは禁止!!危ないから……。」

と言うと、水鏡さんは「はい!!」と返事をして、くすりと笑う。


「なんだよ……。」


「いえ、なんかお姉ちゃんみたいだなって思って。いや、男の人だからお兄ちゃん。ね、お兄ちゃん。」

僕は照れ隠しに悪態をつくと、彼女は嬉しそうに笑いながらお兄ちゃん扱いをしてくる。


「言ってろ……。」

僕はその言葉を聞くと、急に恥ずかしくなり顔を彼女から背ける。


その姿を見て彼女はけらけらと笑っていた。


……この時、僕は彼女に好意を持ち始めたのかもしれない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る