後編

 俺は風紀委員の方を見た。このままでは、あと一分というところだろう。


「中野はここに居ろ」


 次の瞬間、俺は風紀委員の居る方とは逆の方に走り出した。

 そして最も近い階段を使い、一つ上の階へと駆け上る。なんとか間に合わせようと、強化人間の身体能力を限界まで引き出し、瞬く間に上っていく。


 階段を上りきると、俺は今度は廊下を走った。百メートル八秒の脚力が光る。

 そして俺は一瞬にして一年A組の教室の真上、二年A組の教室の前に到着した。

 残り時間はあと四十秒ほどだ。


 本気で走ったので例のごとく呼吸が苦しい。だが、そうも言っていられない。俺は中に入るため、右腕のナノマシンを起動させ、必殺の広辞苑パンチで教室の戸を殴ってぶち破った。

 完全固定された広辞苑を貫通する程の威力だ。教室の引き戸では一溜まりもない。


 教室の中には誰も居なかった。

 居ようが居まいがあまり関係ないが、一応居ない方が好都合なので少し助かった。

 忙しないのは嫌いだが、俺は駆けて教室に入り、教室の後ろの方へと移動した。


 俺は一呼吸し、構えた。


 そして俺は真下を広辞苑パンチで殴った。床を殴った。瓦割りの様に拳を真下に突き出して、瓦代わりに床を殴った。

 拳は床を貫通した。当然殴られた床には穴が開く。

 拳を床から引き抜いた俺は、その穴から少しずれたところに再び広辞苑パンチを叩きこむ。そしてまた拳を引き抜き、出来た穴から少しずれた所へまた広辞苑パンチ。

 そうやって俺は、出来た穴を結ぶと円になるように、広辞苑パンチを三十発近く放った。


 完成した円は半径四十センチほど。

 俺はその中心に向かって、トドメの広辞苑パンチをぶち込んだ。

 するとどうだ。床は音を立てて崩れ、半径四十センチの円のくり抜きが完成したではないか。

 計算通りの仕上がりに、うっとりとする。さすがは俺だ。くり抜きを覗くと、下に一年A組の教室があるのが見える。さらに、


「え? 何?」

「天井が落ちた!?」


 下からはラブコメ次郎たちの狼狽える声が聞こえる。

 だがこれで終わりじゃない。残り十五秒。ここからが仕上げだ。

 俺は、二年A組にも当然存在する掃除用具入れロッカーを持ち上げた。


「おら、お届け物だ!」


 そして俺はロッカーをくり抜きに投げ入れた。


 ――これが俺の答えだ! 


 ロッカーは重力に任せ落下、床に体当たり、音を立てて中身をぶちまけた。

 俺はくり抜きから下の様子を確認した。


 天井が崩れ、ロッカーが降ってくる。立て続けに起こる異常事態にラブコメ次郎たちは未だに動揺し、右往左往していた。

 しかし、風紀委員の近づく気配を感じたのだろう、動きがぴたりと止まり、二人は小声で話し始めた。強化人間の俺にはバッチリ聞こえる。


「ヤバイ……誰か来たみたい。隠れなきゃ」


「だが、どこに?」


「そうだ、ロッカーに隠れようよ」


 澤北は、元から一年A組にあったロッカーのドアを開けた。

 中野の見立ては正しかった。きっとラブコメ次郎の影響によるものだろう、澤北は本当にロッカーの中に隠れようとした。

 そういえば、何故俺はロッカーの中に隠れるとは限らない、と思わなかったのか不思議だ。だが、今はそんなことはどうでもいい。


「俺もそうするよ」


「え……? それって……?」


 澤北は頬を赤くする。期待してんじゃねえ。

 大体、隠れるなら片方だけで十分だろ、なに二人で隠れようとしてるんだよ。ラブコメはこういう所が非現実的なんだ。


 と、まあ、このまま行けばロッカーに二人は入り、俺たちの敗北が決まってしまうかのようにも見える。しかし、俺は全く焦りを感じていなかった。

 確かに澤北はロッカーに二人で入ることを期待していた。

 ところがどっこい、ラブコメ次郎は天井から降って来たロッカーを立て、その中に入ったのだ。


「二人で一つのロッカーは狭いだろ? ちょうど良いから、俺はこっちに入るよ」


 はい、来ましたラブコメ主人公特有の無欲ムーヴが。

 俺なら絶対同じロッカーに入るけどね。それも向かい合って。

 ほら、澤北のガッカリした顔を見てみなさい。


 だが、俺はこれを待っていたんだ!


 そして、残り三秒、ラブコメ次郎は降ってきたロッカーにまんまと入った。

 澤北も釈然としない様子だったが、元々あった方のロッカーに入ってドアを閉めた。

 その直後、間髪入れずに風紀委員が一年A組に入ってきた。


 ――よし、決まったっ!


 これが俺の導き出した答え!

 一つのロッカーに二人を入れるのがマズいなら、二つのロッカーに一人ずつ入れちまえばいい。だから俺はそのためのロッカーを増やした。

 俺がすることは、ロッカーを投げ入れるというごく簡単な仕事だけだった。


 こいつは、ピンチになればロッカーに隠れようとするラブコメのパターンと、最近のラブコメ主人公にありがちなヘタレで草食な習性を逆手に取った名案だ。俺の計算に、寸分の狂いもなかった。


 事が全て計算通りに上手く運び、俺は喜びにガッツポーズした。

 そして、教室内の無人を確認した風紀委員が教室を出るのとほぼ同時に、水島の放送が入った。


「一年A組の愛野米次郎君、至急職員室まで来てください」


 さて、こうしちゃいられない。ラブコメ次郎が職員室に着いてしまう前に、先回りしておかないと。あいつには、まだ用事があるからな。

 俺は右腕のナノマシンを停止し、まずは中野と合流するため下の階へ急いだ。




 俺は中野と合流した。水島とも合流するため、俺たちは走った。


「しかし、すごい作戦であったな。如何にして穴を開けたのかは知らないが、ラブコメ展開とラブコメ主人公の習性を利用した良い作戦だった。よくぞあの短時間でこの作戦を考え付いてくれた。確かに言われてみれば納得出来るが、自分で思い付くのは中々難しい。大天才の我輩ですら、あの短時間は無理であった」


 中野は走りながら興奮した声で言った。


「そう褒めるなよ」


 褒められて俺は照れ臭くなった。


「お前のラブコメ次郎の紹介の仕方に、嫌に憎しみが籠ってたんでね。こいつは相当なラブコメ野郎だと思ってさ。信じたのさ、あいつのラブコメ力とお前をな」


「……そうか」


 俺たちは互いの顔を見合い笑った。




「なんだ、二人してやけに楽しそうじゃないか?」


 俺と中野が水島に廊下で合流したとき、水島はすでにラブコメ次郎を捕獲していた。


「いや、何でもない。それにしても水島、手際が良いな」


「なに、どうってことねえよ。さ、とっとと、体育館裏にでも連れて行こうぜ」


「い、いったい、どうする気だ?」


 ラブコメ次郎は怯えたように震えている。

 時々捕まれた腕を解こうと、引っ張ったり振り回したりするが、水島の力には敵わず徒労に終わっている。


「なに、殺しやしねえ。男の敵に、ちょいとお灸を据えてやるだけさ」


 そして俺たちはラブコメ次郎を体育館裏に連れ込み、袋叩きにした。

 ラブコメ次郎は病院送りとなり、一か月の入院をすることとなった。




 その後、俺たちはファミレスで祝勝会を上げた。

 会は大いに盛り上がり、皆よく飲みよく食べた。

 あのドケチの水島でさえ、ドリンクバーを除いて三品も注文した。


 俺は今日のことで三人の絆を感じ始めていた。

 きっと二人も同じことを感じているだろう。二人が言わずとも俺はそう信じることが出来た。

 男たちが互いを認め合うのに理屈っぽい言葉や、形式じみた儀式は不要だった。ただ、ちょっとした事件の一つで十分だった。

 今日、俺たちは確かに仲間になったのだ。


「なあ、せっかくだから誓いを立てようぜ」


 しかし水島は違ったようだった。言葉とかを欲していた。

 いやでも確かに言葉要るわ。俺たち通じ合ってなかったもん。水島が違うこと、言葉が無かったら分からなかったわ。


「なあ、こういうのはどうだ? 生まれた時、母は違えども、付き合う時は皆同じタイミング、同じ彼女」


「いや水島、同じ彼女は駄目だろ。あと、同じタイミングも普通に難しい」


「じゃあ、こうだ。生まれた時、母は違えども、付き合う時は別にタイミングは同じじゃなくていいし、彼女は皆別々」


「なるほど、遠縁の誓いというわけであるな」


 俺たちは結局何の誓いも立てなかった。




 翌日、ホームルーム前の教室。


「いやあ、良いことすると気分が良いよなあ!」


「全くだぜ!」


 俺と水島は昨日のことを思い出して笑った。

 これで数多くの美少女たちが自由の身となったわけだ。

 今日の放課後にでもA組に口説きに行くか!


 そういうことを考えていると、優子先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。出席確認が始まる。

 一目見れば誰が休んでるかなんて分かるはずだが、毎度毎度優子先生は点呼を取る。

 そんな中、俺のスマホが鳴った。中野からだった。俺は電話に出た。


「どうした中野?」


「大変だ!」


 中野は酷く慌てたようだった。


「何があった!?」


「うちのクラスの女子が全員休んでいるのだ! おかしいと思って職員室に来ているのだが、今、続々とその理由を報告する電話がかかってきているのだ!」


「なんだ? 何か流行り病とかか?」


「違う! 皆、ラブコメ次郎の看病をするので休むと電話を入れているのだ! あ、今またかかってきた。これで九人目――別の電話にも来た! これで十人!」


 な、なにぃッ! なんてモテモテ野郎だ!


「このままだときっと全員だ。まさかクラスの女子全員が手遅れになっていたとは……」


 そ、そんなことあってはならない。せっかくあいつをタコ殴りにしてやったというのに、これでは意味がない。目の前が真っ暗になった気分だ。

 クラスメイトの美少女たちに朝から看病してもらえるなんて、こんなうらやまけしからん事があって良いのか? 神はこれを道義的に許して良いのか? 


 看病って言うと、きっと尿瓶とかやってもらうんだぜ。

 それだけは絶対にさせてはならない。そんなの、俺がやってもらいたい! 代われるなら今すぐ屋上から飛び降りる!


「駄目だ……全員だ……」


 中野の震える声がスマホから聞こえる。

 くそ、こうしてはいられない。あの憎きラブコメ次郎に尿瓶体験などさせてなるものか。


「よし、中野準備しろ、今から水島も連れて病院に行くぞ! 尿瓶破壊作戦を敢行する!」


 だが、意外にも中野は俺を止める。


「待て、看病は尿瓶だけではない。あーんとか、着替えとか、体拭いたりとか、他にもあるのだぞ!」


 確かに――っ!

 あまりのことに動揺して視野が狭くなっていた。さすがは中野、よく気が付く男だ。

 しかし、だったらどうする? あーんも、着替えも、食い止めるにはラブコメ次郎を殺すしかないのじゃないか?

 だがしかし、さすがに違法な殺人は俺も避けたいところだ。前科持ちでは彼女作りに支障を来す。


 だったら一体どうやって、ラブコメ次郎の看病を美少女にさせずに済むんだ……?


 ――そうかっ!


「よし、分かった。こうなったら俺が看病する! それしかない!」


 俺は教室からすっ飛び、ラブコメ次郎の入院する病院を目指した。

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