お肉屋さん
Meg
肉屋の店長と少女
広くはない、かといって狭くはない焼肉屋の店内。照明は落され、薄暗い。客の姿はなかった。
テーブルには、肉の乗った皿が置かれていた。熱を帯び、ジュワジュワうまそうな音をたてている。銀のステーキナイフだの、フォークだのも一緒だ。
肉を横目に、店長の笹塚は、ワイングラスに口をつけた。グレーがかったシルバーのノートパソコンを開く。画面は闇のように真っ暗だ。
笹塚は、あちこちに茶色っぽいシミのついた、コックシャツを着ていた。中年というには若々しく、若年というには雰囲気が落ち着きすぎている。
店長として、数人のアルバイトと店を切り盛りしていた。世間の評価では、この店の看板メニュー、『イノシシ肉』が大変好評だ。特殊な捌き方と味付けをしているので、当然か。従業員はみな明るく、笹塚自身も穏やかに見られるよう気をつけていたので、接客についての評判もよい。
ただ、昨今は新型ウィルスのせいで、休業を余儀なくされている。仕方なく、何年かぶりに長めの休みを作り、自身のためにワインを注ぎ、肉を焼いた。ほぼ毎日人のために肉を捌いてきた身としては、休暇はそれなりの癒しではありつつも、少々退屈だ。
ワインを一口のみ、ノートパソコンのタッチパットを操作した。『何か』との接続が完了する。
「これでよしっと」
フッと画面が変わった。
暗い暗い闇に、白い肌が浮き上がった。十代後半くらいの少女の、肩から上の映像。ほんのり笑みを浮かべ、眠っている。長めの暗色の髪はボサボサと整えられておらず、服は着ていない。
少女のまぶたがゆっくり開かれた。
「……あ、れ……、店長?」
寝起きの気怠げな目で、こちらを認識したようだ。
画面を覗きこむ。
「やあ久しぶり、えっと……」
名前が出てこない。何せ彼女とは数年間会っていない。
「そうだ。美玲ちゃん」
少女、美玲は怪訝そうにした。
「久しぶり? 店長とはほぼ毎日顔合わせてるじゃないですか。私、店長の焼肉屋でバイトしてるんだから」
「そうだったね」
笹塚は微笑んだ。
正直、半信半疑だった。『彼女』と通信できるなんて。某社のデマだとばかり。
なんとすばらしいことだろう。癒しと退屈が混じり合った休日に、大変面白い余興を手にできた。
美玲は口に手を当て、猫のように大あくびをした。
「ふわぁ、何かすごい寝てた気がする。ていうかこれ何ですか?」
美玲は画面をぼんやりと眺めている。
「これはzoomというアプリだよ。テレビ電話みたいなもん」
「へー、最近はこんなのあるんだ」
あまり関心はなさそうだ。眠気のほうが強いのか。
「こっちでは厄介なウィルスが流行っちゃっててねぇ、なかなか外に出られない。で、この手のアプリが出回ってる」
「ウィルス? かかったらゾンビになるとかですか? そんなことありましたっけ?」
「はは、ゾンビにはならないよ。けど、とにかく大変なの」
「ふーん」
新型ウィルスのことを話しても無意味か。彼女には関係のないのだから。
「お客さんも来なくなっちゃって、商売上がったりさ。お肉も手に入らないし」
「へえ、豚さんや牛さんもゾンビ化するんですか?」
美玲は冗談のつもりでそう言ったのだ。
なのに笑みを浮かべていた笹塚が、急に真剣な目つきになった。穏やかな雰囲気まで変質した。それはあたかも、最高級の肉を前にし、この世に二つとない究極の肉料理を調理する料理人、いや、職人の目だ。
「豚や牛じゃない。もっとおいしい肉だ」
迫るような、低い声。
「はあ、肉?」
肉。肉。なんだっけ? 大事なことだったような……。
ピリッと、記憶が閃光のように蘇った。
「あ……」
思い出した。いまわしい記憶。恐ろしい記憶。憎らしい記憶。鉄くさい、赤い記憶。
眠気は吹き飛んだ。
「ねえ、お友達もそっちにいるの?」
笹塚はコロっと元の笑顔になった。
おぞましさに、歯の根が合わない。頭を手で覆った。
「そうだ。私、ある日バイト先の焼肉屋に友達を呼んで、そしたら、そしたら店長が私たちを……。あ、ああ……」
ああああっと叫んだ。ボサボサの髪をクシャクシャとかき回す。
そうだ。あの日、あの時……。
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