極彩色の偏見

雨月夜

灰色の予感








オレの見ている世界は、いつでも灰色だ。














朝、目を覚ます。






朝と言うのはとても爽やかなもので、始まりを告げる明るさがあるらしい。


オレは一度としてそんな「朝」とやらにお目にかかった事はなかったが、昔よく母親がそう言っていた。




ワンルームマンションの大きな窓から朝日が入ってくるのが鬱陶しくて、二度寝しようと薄っぺらい布団を被り直す。


被ってみて初めて、もう眠気が何処かに消えている事に気が付いて、舌打ち紛れに起き上った。








白い天井、白い壁。


フローリングの床。






家具は、カーテンに至るまで全て灰色で、物は殆ど無い。


ベッドと、机と、申し訳程度の電気ケトルが床に無造作に置かれている。




以前遊びに来た昔の同級生が「殺風景な部屋だな。」と評した、オレの世界。


オレにとっては、世界中の全てがこの小さな部屋と大差なかった。










建設中の隣マンションの工事音を聞きながら、怠い体を引きずって食パンを齧る。




朝食は、いつも食パンだけ。


ジャムやバターを付けるのも、焼くのさえも面倒で、いつも袋から出してそのまま食べる。




いつか誰かが朝食の大切さとやらを説いていたが、いまだにそれを感じたことはない。




それでも、何となく食べる。


だって、食べることが「正解」らしいから。










咀嚼音と、ドリルの音。




テレビという煩わしいだけのものは存在しない。


だからいつも、無音だ。












生きたいとか死にたいとか。


そんな面倒なことを考えたことはない。




多くの人が、人生の何に喜び、何に泣き。


何に笑って、何に怒るのか。


昔からサッパリ理解出来なかった。




欲望とか、夢とか。愛とか希望とか。


正直、どうでもいい。








1組の男女が繁殖行為をして、産まれて。


育って息して死んでいく。




それ以上の意味があるとは、どうにも思えない。


人間と、動物と。


大した差はないだろう。












でも、産まれた以上は生きなくてはいけないらしくて。




面倒だなと思いながらも、死にたいという欲求さえ生じなくて。






だから、とりあえず、生きている。




生命を維持する為の行為をして。


人間としての「正解」とやらをなぞって。






すると、特に問題は発生しないのだ。


それどころか、むしろとても「人間らしく」生きられる。










妙に億劫な気持ちになりながら、食パンの最後の1口を、無理矢理口に押し込んだ。






























身支度を整えて、アルバイト先のファストフード店に向かう。


徒歩15分程でたどり着く店に、いつも25分前に家を出るのが日課だった。






店で着替えるのが面倒なので、毎回家で制服を着て、その上に上着を羽織っていく。


だから、ギリギリまで家に居たって、大した問題はない。




でも、早めに行って、忙しそうなら早めに入ったり、他のバイトや上司と雑談したりするだけで、評価は上がる。


普段から好意を持って貰っておいた方が楽だ。




だからいつも、早めに家を出る。


どうせ、家に居たってする事はない。












朝の風が、ブリーチし過ぎて傷んだ銀髪を撫でていく。






何か変わるんじゃないか、と淡い期待をして染めた派手髪は、特に世界を変えなかった。


ピアスを5つ開けても、カラコンをしても。


何も変わらない。




それでも何か、ぽっかりと開いた虚ろを埋める様に、外見を弄るのだけは止められなかった。








自分が、特別顔が良いという訳ではない自覚はある。


でも、派手な外見と、細身の長身が、同じ種類の女にウケるらしく、女に困ったことはない。






適度にイイ子のフリをして、適度に生理的欲求を満たしながら生きる。


その為だけの、アルバイトだ。














その点で、制服と言う存在は、有難かった。






TPOやら清潔感やらの、どこの誰の主観ともしれぬ何かを考えなくても良い。


暗黙のルールを探る必要もない。




最初に渡された制服規定をキッチリと守っておけば、それでOK。


逆に「真面目過ぎ(笑)」と言われる位に規定を守っておけば、間違いはない。






派手な外見と、それに似合わぬ気真面目さ。




「ギャップ」というのは強烈な印象を与えるらしく、大変生きやすい環境が簡単に手に入る。


不良少年が捨て猫に傘をあげるだけで「イイ人」に見えるのと、同じ理屈だ。






今までいくつもアルバイトをしてきたが、そういった理由でいつも「制服」という正解を明確に提示してくれる店ばかりを選んできた。










人並みに見える日常を過ごして。


人並みに見える格好をして。




そうすれば、周囲は「人並み」に扱ってくれる。






起伏のないゲームみたいだ。




これからもただ、エンドレスに「日常」とやらが続いていくのかと思うと、少しだけ眩暈がした。
























バイト先。


昼ご飯時の、ピーク。




頭に付けたヘッドセットから、ドライブスルーに車が到着したピッピッという音が聞こえて、反射的に通話ボタンを押した。






「っらしゃいませ、こんにちはー。ご注文お決まりでしたらどうぞー。」






決まりきった台詞を惰性で口にしながら、オーダーを入力するタッチパネルを操作する。






注文を聞きながら、すぐ傍のドリンクを作る機械で飲み物を作りながら。


時折、モタモタしている後輩をフォローしながら。


とにかく、素早く正確に。






全部が、流れ作業だ。






チカチカ光るタッチパネルの画面と、抽出口から出てくる毒々しい色のドリンクと。


そんな鮮烈なはずの色さえ、やはり灰色で。


どこか、現実感がない。




機械を扱っているのか、機械に操られているのかさえ、よく判らなくなる。


もしかしたら、もう、自分は機械のパーツに過ぎないのかもしれない。














突然、ヘッドセットの向こうで、主婦らしき女が理不尽なクレームを喚き始める。






たまに、こういうこともある。ファストフード店の客層は、ピンキリが激しい。


だから、避ける事は出来ない。






そのキンキン声に内心でため息をつきながら、穏やかに


「大変申し訳ございません。すぐに係の者が参りますので、その場でしばらくお待ちください。」


と一息で言う。




全くもって思ってもない事だ。


しかし、マニュアルにそう言えと書いてあるのだから、致し方ない。






そして、申し訳なさそうな顔を作りながら店長に目配せをする。




ポイントは、申し訳なさそうな顔を、ちゃんと作っておくこと。


内心はどうであれ。








すると店長は「気にするな。」と人のよさそうな顔をして、外に向かう。




そんな自分の一連の動きに、少しだけ自嘲して、通話を切った。






















「お、灰崎!お疲れさん。」






バイト終わり。


バックヤードに戻ると、店長が長机でコーヒーを飲んでいた。






長机が1つと椅子が4つ。


作業用のパソコン机と、店内の監視カメラの映像チェックが出来るデスク。


あと、申し訳程度のロッカーと冷蔵庫。




それで一杯一杯の狭いバックヤードに、コーヒーの匂いが充満していた。










中年の、人のよさそうな、どこにでもいる男性。


店長に対して、それ以上の認識はない。


むしろ、名前さえ憶えていない。






でも、いつも通りに笑顔を作る。




なるべく、人懐っこい笑みで。


まるで、飼い主を慕う犬の様に。






「店長!お疲れ様っす!」






昔野球部だったと語る店長は、きっと運動部の後輩的なキャラクターが好みだろう。




最初の頃にそう見立てて、その通りに接し続けて早1年。


今ではすっかり、店長のお気に入りだった。








なるべくしおらしく、まるで尻尾を垂らした犬の様に。




そんな顔と態度を作って、店長の横に立って、頭を下げる。






「今日の昼ピーク、ご迷惑をおかけしてすみませんでした!」




「ああ、あれは仕方ないよ。気にすんなって。」






そういう返事が返ってくることは百も承知の上で言っている。


でも、その返事にホッとしたような顔をして、ありがとうございますと笑った。


















毎度、ここでとっとと帰ろうかとも思いつつ、少しだけ残ることにしている。




運動部系の人間は、だいたい「仲間同士のコミュニケーション」とやらが大好きだからだ。


学校終わりに、意味もないのにたむろしていた運動部連中を思い出す。










自然な風に、ロッカーから荷物を取り出して、上着を着る。


そして、店長の斜め前の席に座る。




一人でスマホを弄る風を装いながら、同じくスマホ画面を見ている店長に話しかけるタイミングを伺っていた。










店長は、ニヤニヤしながら画面を眺めている。




こういう時は、だいたい動画でも見ているか、最近「ぱぱ」と言うようになったばかりの娘の写真でも眺めているかだ。






この場合は、間違いのない方の話題を振っておくに限る。


どうやら機嫌は良さそうだから、どちらでも問題ないだろう。






「そう言えば、娘さんお元気っすか?」






その言葉に店長は、待ってました!と言わんばかりに目を輝かせる。


どうやら、語りたくて仕方ないらしい。




会ったこともない女児の、どうでもいい話を、延々とマシンガンの様に語ってくれる。


特に可愛いとも思えない不細工な女児の写真を、まるで宝物の様に見せてくれる。








どうしてこの人は、そこまで熱を入れられるのだろうか?それが「親の愛」だとでも言うのだろうか?






そんなことを思いながらも、当然顔には出さずに。




とても興味深い話を聞くように、身を乗り出して、眼を輝かせて、相槌を打つ。


時折、何故自分がこんな事をしているのかさえ、よく解らなくなるけれども。






「灰崎は、子供が好きなんだな!」






唐突に言われた店長の言葉に、ふと、思考が止まる。




子供が好きかどうかなんて、考えたこともない。


特別可愛いとも思わなければ、特に嫌いとも思わない。




つまり、どうでもいいのだ。










でも、一般的には「子供好き」が、正解。


それだけで、世間受けは良い。








だから、精一杯の笑顔を作って、元気に返事をした。






「はい、むっちゃ好きなんですよ!可愛いですよね~!!」




「こんなかわいい娘さんがいるなんて、本当にうらやましいっす!」






















灰色の部屋に帰って、ハンバーガーを齧る。






機嫌を良くした店長が「コッソリ持って帰れよ。」と言って渡してくれた、明日からの新作バーガー3つが、今日の夕飯だ。


そう言えば昼ご飯を食べていないことに気が付いたが、どうでも良かった。








咀嚼音と、ドリルの音と。


朝食時と、何も変わらない。








色が、見えない。


味が、しない。




世界は全て灰色だ。




それが嫌だと思ったことはないけれど、少し退屈しているのも、事実だった。








「まず…。」






思わず呟く程に、微妙な味のするハンバーガー。


誰が企画したんだろうかと思うような、妙な味がするソースが、鼻につく。






まあ、でも、食べてしまえば同じだ。












何処かに、刺激がないかと期待している。




誰かが、世界を変えてくれないかと望んでいる。






シンデレラでもあるまいし、そんなことはあり得ないと、知っている。










特別な出会いも、世界も。


鮮烈な色彩も、刺激も。




選ばれた人だけが持つものだ。


選ばれて、自分の力で勝ち抜いた人だけの、特権。








自分で動く気も起きない自分には、縁のないもの。




それを夢見て許されるのは、小学生までだ。














それでも何処かで夢を棄てきれない、ただの凡人の自分に嫌気がさして。


まずいバーガーを、水で流し込む様に飲み込んだ。








世界は、何処までも灰色で。




でも、世界がつまらないのは自分の所為だという事も、知っている。








「灰崎透」という、自分の無色の名前が、妙に疎ましい。














世界が変わる、4日前の、お話。
























灰色の予感


(特別に成りたいという、ありふれた平凡)






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