第109話 静寂の夜の蛞蝓男

リーン リーン  虫の声が響く。


 陽属不明の兵士たちに襲われたハカチ村の傷跡を覆い隠すように村全体を包み込む。

 アンコウは村にある一軒家を借り、一人夕餉ゆうげの膳をかこんでいた。

 ベジーは婚約者である傷ついた少女レマーナの下に行っており、アンコウの指示を受けたドルングは、生け捕りにした兵士の尋問から、まだ戻ってきていない。


「……まったく、どこに行ってもいくさばっかりだ」

 何度目かの同じ独り言が、アンコウの口から漏れ出る。


 アンコウの目の前に並べられた膳には、質素ではあるが野趣あふれた馳走が並んでいる。この村では、これまで比較的平和な時間が続いていたのだろう。

 しかし、それが今日破られた。


「少しいくさが長引けば、あっという間に今日の飯も食えなくなるっていうのによ」


 アンコウは何となしにそうつぶやきはするものの、飢えるのは村の者たちであって、いくさに勝利した者たちの腹は、さらに満たされるということを知っている。

 だから、


「……どうしたって、いくさはなくならない。いくさと縁がなくなるのは、死んで天国極楽に行ったヤツらだけだ」


 アンコウは心に決めている。戦うことが避けられないのならば、自分も勝って、欲望という腹の虫が満たされる側にいなくてはいけないと。


 アンコウは、先程から口に運んでいる質素な膳を見つめる。

「………まぁ、飯が食えたんだ。今回はこれで良しとしておくか」

 と、今日の戦いを振りかえった。


 これでケガでもしてりゃあ 割りが合わなかっただろうけどなと、アンコウは ズズズッと、キノコ汁をすすりながら考えた。


 リーン リーン  虫の声が響く。


――――――コツコツコツ とアンコウが食事をしている部屋のほうに足音が近づいてきた。


「アンコウ様」

 部屋の出入り口から、彫りの深い獣人の男の顔が見えた。


「よう、ドルング。もう尋問は済んだのか?腹減っただろ」


 アンコウはもぐもぐと口を動かしながら、軽い口調でドルングに話しかける。

 しかし、ドルングの表情は硬い。アンコウは、そのドルングの目に深刻な色を見た。

 アンコウの口元からも、緩みが消える。


「どうした、ドルング。何があった」


 ドルングが真剣な表情のまま、アンコウの近くまで歩いてきた。


「アンコウ様、少々まずいことになりました。この村を襲った者たちは先遣斥候せんけんせっこう部隊であったようで、本隊は別にあるようです」


「!何っ?」





 ゆらゆらと燭台の炎が揺れる。その暖かい色の炎の明かりが、先ほどから真剣な様子で何やら話し込んでいるアンコウとドルングの二人を照らし出していた。

 考え込むアンコウの眉間に、深いシワが生じている。


 アンコウたちが今いる場所は、グローソン公ハウルの有力家臣である武将ハナモンの飛び地所領であるロワナだ。


 ドルングの話によると、このロワナ領を実質統治しているにのは代官であるマラウト=ゼバラという人物らしいのだが、そのマラウトの実弟グーシという男が兄の持つ権力を狙って反乱を起こしたらしい。


「じゃあ、この村を襲ってきた連中は、そのグーシっていう弟のほうの兵隊なんだな」

「はい、そのようです」


 代官マラウトが居館を離れ、視察に出ていた道中を弟のグーシが襲撃したらしいのだが、マラウトは危機一髪で難を逃れ、グーシの襲撃は失敗した。

 その代官マラウトが、どうやらこのハカチ村のある方角に逃走したらしく、グーシ側の兵が血眼ちまなこになって、代官マラウトの行方を追っているとのことだった。


「チッ」

 アンコウの小さな舌打ちが、明かりが満足に届いていない天井の角へと吸い込まれていく。


 ドルングの話が事実だとすれば、今日このハカチ村で起こったようなことが近隣のあちこちの村でも起こった可能性がある。

 そして下手をすれば、もっと大きな戦闘が起こり、この村も巻き込まれるいくさに発展する可能性もあるとアンコウは判断した。


「………面倒すぎる」


 そんな他人の領地で起こっている兄弟同士の権力闘争なんて、アンコウが関わっても1ミリも得があるとは思えない。

 巻き込まれたその時点で、割りのあわないいくさだ。


 はぁ~~ と、大きなため息ひとつ吐いた後、アンコウは座る向きを再び御膳のほうへと戻し、かき込むように残りの食物を腹の中へと流し込みはじめた。


 ガシャン と、空になった食器をアンコウは食卓の上に置くと勢いよく立ち上がった。


「ア、アンコウ様、」

「帰るぞっ」


 アンコウはそういうとスタスタと歩き出した。


「え、ええ、今からですか?」 

 ドルングも、慌ててアンコウの後についていく。


 確実に、この村が戦闘に巻き込まるという確信があるわけではないが、

(可能性はある。だったら、呑気にこんなところにいる理由はない)


 大きい戦闘などに巻き込まれたら、夕餉朝餉ゆうげあさげを馳走になったぐらいではどう考えても割が合わない。


「し、しかし、アンコウ様。もう夜で、」

「来た時も夜だ。二晩ぐらい寝なくても死にはしない。少し仮眠もとったしな。

 とにかくツゥンツァイの森を抜けて、コールマル側に入るぞ。ドルング、お前にここで戦う理由があるなら残ったらいい。俺は帰る」

 歩くアンコウの足が、さらに早まる。


「ま、待ってください。私も参りますっ。それにベジーにも知らせないと」

「………あー、そうだな」


 さすがに一緒に来た自分の部下でもあるベジーに、何も言わずに村を出るわけにはいかないかと、アンコウも思う。

(……ただ、あいつがこのまま一緒に帰るとも思えないけどな……)


 ベジーは、村を襲った兵士たちに凌辱され、心身共に深く傷を負ったと思われる婚約者のレマーナと共に村長の屋敷へと行っている。

 レマーナは、2カ月後ベジーの妻となることが決まっている可憐な美少女だ。


 一時いっときは大事な婚約者を汚された怒りで暴走していたベジーだが、アンコウが広場で最後に見た時には、小さな体のレマーナを包み込むように両腕に抱えながら歩き去っていった。


「ベジーの奴はあの娘から離れないだろう?」

「はい。ですが、一緒に連れていくというかもしれません」

「………一緒になぁ、」


 足手まといになるかもしれないと、アンコウは余り乗り気がしない。


「と、とにかく、村を出るならベジーに知らせないわけには、」

「まぁ…そうだな。なら、急いでいこう。村長の屋敷だ」

「はいっ」





 パカラパカラ と、アンコウとドルングは馬を走らせて夜の田舎道をゆく。

 そうしてしばらくすると、お目当ての村長の屋敷が見えてきた。


「どうどうっ」 「ヒヒンッ」

 屋敷の門前で馬を止めるアンコウたち。


 屋敷の門の前にはいくつかの真新しい棺桶と、布のようなものでミイラのように全身をグルグル巻きにされた おそらく死体であろうものが並べられていた。

 ここに着くまでの間にも、同じような光景がいくつかの家の前で見ることができた。


 死体を外に出すというのが、この村の風習であるのかどうかはわからない。

 ただ、今日一日で多く出てしまった死人の遺体は、明日まとめて荼毘だびに付すということが、すでに決められていた。


 馬から下りたアンコウは、とりあえずその居並ぶ棺桶とミイラにむかって手を合わせた。


 屋敷の周囲はすでに真っ暗。屋敷の中のほうからも全く物音は聞こえてこない。

 ドルングと二人、アンコウは門をくぐり、玄関先まで歩いてきたものの、昼間は開け放しになっていた玄関扉が、ガッチリと閉じられてしまっている。


「アンコウ様」

「ん?なんだドルング」

「私が呼び出します」


 ドルングはそう言うとアンコウを追い抜かし、閉じられた扉の前まで歩いていく。

 アンコウが立ち止ると、周囲は死んだ者たちを弔うかのように、本当にシンッと静まり返っている。


静謐せいひつなる空間か……今は死者の時間ときか……)

「……ドルング、あまり大きな声は出すなよ。死者の眠りを妨げる」


 アンコウはこの闇の中の静寂を乱すことが、不意に死者に対する冒涜であるかのような感覚に襲われた。


「………はい。わかりました、アンコウ様」


 その時、―――(ん?)

 足を止め、ドルングを見ていたアンコウの耳に、人の声らしきものがかすかに聞こえた。


「ドルング、ちょっと待て」


 アンコウに制止され、ドルングは今にも板戸を叩こうとしていた手を止める。

 そのままアンコウは、玄関の横のほうへと庭を移動し始めた。

「アンコウ様?」

 ドルングも、慌ててアンコウの後を追っていく。


 角を曲がれば、村長屋敷の広い庭を見ることができる。そこは貴族のような芸術的に手入れがされた庭ではなく、田舎にただ土地が余っているというだけの庭。

 その庭の奥に建てられている離れから明かりが漏れているのがアンコウの目に入った。


(……あそこか)


 アンコウはドルングに声をかけることなく、そのまま歩みを進める。

 ザッザッザッ と、庭の草土を踏みしめ歩いていけば、

リーンリーン ジィージィー ギリリギリリ と虫が鳴く。


 離れの明かりが、はっきりと見えるところまで来ると、アンコウが玄関先で微かに聞いた人の声が、かなりはっきりと聞こえてきた。


「ア、アンコウ様、」


 今はドルングの耳にも、その声が聞こえているのだろう。ドルングが慌てたような声でアンコウの名を呼ぶ。


―――アア……アッ……アンッ……

 声が、明かりが漏れる離れの窓のほうから漏れ出ていた。


 アンコウはドルングの呼びかけに反応しない。止まることなく歩くアンコウの足、先ほどまで聞こえていたアンコウの足音が、いつの間にか全く聞こえなくなっていた。


 夜の闇の中を歩くアンコウの表情は、後ろからついていくドルングには全くうかがい知ることができない。

 そしてアンコウは、夜を行く幽鬼のごとく、気配なく離れの開け放たれた窓前に立った。



―――「レマーナっ、レマーナは俺のものだっ」

  「ああっ、ああっ、ベジーさまっっ」


 離れの中、一糸まとわぬ男と少女が、床に直接敷かれた寝具の上にいた。


 ベジーは、アンコウよりも一つ二つ年上の20代後半の男。レマーナは、2月後に花嫁になるとはいえ、アンコウ感覚では間違いなく少女だ。

 二人ともその顔立ちは整っている。美男子と美少女といえるだろう。


 ベジーは細身の190cmはある体躯をしており、その汗に濡れた白い肌に、長く伸ばした赤い髪の毛が張り付いている。

 レマーナは身長もまだ伸びきっていない、まさに発展途上中の体つきをした少女だ。

 しかし、ほのかなランタンの光に照らし出されている その少女のあられもない姿からは、得体の知れない妖艶さが漂っていた。


「ああっ、ベジーさまっ」

「レマーナっ、レマーナっ」


 ベジーは少女の名を呼びながら、ひたすらに汗をまき散らしている。


「い、いやなことは全部忘れさせてやるっ!」

「はあぁぁ」



 ――アンコウは窓の外からその様子を見つめていた。その表情からアンコウの感情は読めない。


 アンコウのすぐ後ろにいるドルングにも、なかの光景は見えていた。

 ドルングとしては、すぐにこの場から立ち去りたかったのだが、主であるアンコウが微動だにしないため、自分一人でこの場を去ることはできなかった。


「………ドルング」

 そんなドルングに、アンコウが話しかける。

「な、なんでしょう」


 アンコウはくるりと顔をドルングのほうに向け、にこりと笑った。

 「?」ドルングにはその笑顔の意味がわからない。

 そしてアンコウは再び視線を部屋の中へむける。ドルングは何とも言えない目で、アンコウの後頭部を見つめている。



(……ベジーの奴め。きれいなケツを見せやがって)

 アンコウの心の中に、ついさっきまで感じていた死者に対する厳粛な思いは、すでに欠片も残っていない。

「………ベジーの野郎、もいでやろうか」


 男と女のことは文化や時代が違えば、その倫理基準は全く違うものになる。

 アンコウの根っこにあるその手の感覚は、この世界から見れば、文化・時代が違うどころか異世界のもの。

 アンコウの元世界での感覚は、ここでは正しきものとはなりえない。

 しかし、

(ここまで来てしまった以上、仕方がない)

 アンコウは、おもむろにガサゴソと魔具鞄をあさり出した。


 そして何か細長い筒状のものを取り出すと、実に流れるような自然な動作で、窓から部屋の中へとかまえた。

 アンコウは息を大きく吸い込み、その長い筒状のものに口を当てる。


「!ア、アンコウ様、何をっ」

 ドルングの声にまったく反応することなく、

「プフッッ!」

 と、アンコウは勢いよくその筒状のものに息を吹き入れた。


 アンコウが魔具鞄から取り出したもの、それは吹き矢。

 その吹き矢の口から飛び出したメタリックな光沢をもつ細い長針が、ベジーの白い尻に向かって、一直線に飛んでいき、

!プスッッ! っと、突き刺さった。


「!?~~っナガッッ!」

 反射的に力が入ったベジーの尻の割れ目がきつく閉じ、体が大きくけ反る。

「!ベジーさまっっ!?」


 突然、苦悶の声をあげたベジーに反応し、思わず上半身を浮かしたレマーナ。

 そして、

「!えっ」 


 そのレマーナの目に、開け放たれた部屋の窓から、ナメクジのようにぬるりと中に入ってこようとしている男の姿が見えた。


「キッ、キャアアアーッ!!」


 言うまでもない。そのナメクジ男は、アンコウだった。

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