第107話 惨劇の村
ロワナ側のツゥンツァイの森は、コールマル側の森の1/3ほどの面積だという。
それでも決して小さい森ではなく、アンコウたちが、そのロワナ側に広がっている森を抜け出たとき、すでに陽は高く昇っていた。
そして、ベジーの婚約者がいるという村を目指して移動を続けた。
――――
「べジー、お前の婚約者の村はもう近いのか?」
「もう少しだと思います。このまま南に歩いていけば、見えてくるはずです。いつもは馬を使って、もっと近いコースで領境を越えていくんですが、もうかなり近くまでは来ているはずなので」
ロワナは、グローソン公ハウルの有力家臣である武将ハナモンの所領である。
しかし、ロワナはハナモンの飛び地知行地となった当初から代官が置かれ、武将ハナモン自身は一度もこのロワナの地を訪れたことはない。
アンコウは道中、ロワナについてのより詳しい情報をドルングとべジーから聞きながら歩いていた。
「ん?」
調子よく歩いていたアンコウの足が突然止まる。
焦げ臭い、何かが焼ける微かな臭いが鼻についたのだ。
アンコウは再び歩き出しながら、
「……少し焦げ臭いにおいがしないか」
と、横を歩く二人に聞いた。
この時点では、二人はまだ首を傾げ、アンコウが指摘した臭いに気づいていなかったが、なだらかな上り坂が続く道を進んで行くにつれて、何かが焼ける臭いは次第に強くなり、ドルングとべジーもその臭いに気がついた。
特にべジーは、臭いが強くなるにつれて、その表情が目に見えて厳しくなっていく。
ついには、アンコウとドルングを置いて走り出すべジー。
「おいっ、べジーひとりで行くんじゃないっ!」
ドルングが、慌ててべジーの後を追った。
アンコウは走り出した二人を制止することも、追いかけて走り出すこともせず、少し早歩きで上り道を歩き続けている。
(……イヤな臭いだ。面倒事かもしれない……)
「け、煙だっ!煙が上がってる!」
しばらくすると、かなり距離があいてしまった前方から、べジーの叫ぶような声がアンコウの耳に聞こえた。
そして、そのべジーとドルングが何やら押し問答をはじめたようだ。
その二人がいるところまで、アンコウが追いつく。
「行かせてくださいっ、ドルング隊長っ!あの煙があがっているのは、ハカチ村がある方角なんだっ」
ハカチ村というのは、べジーがアンコウたちを案内しようとしていた村で、べジーの婚約者がいる村だ。
「いい加減にしろ、べジー。貴様も正規の訓練を受けたクークの兵士であり、武人の端くれだろう。変事には、まず状況を確認することが何よりも優先されることなど新兵でも知っている。落ち着けっ」
かなり慌て興奮しているべジーに対し、ドルングは冷静な口調で制している。
ドルングは追いついてきたアンコウのほうに顔を向け、言葉をかけてくる。
「アンコウ様、まずあの煙の原因を探るため、周囲に警戒しつつ慎重に村に接近したいと思うのですが」
「ん、まぁ、そうだな。……まぁ、考えなしに特攻するのだけはやめてくれ」
ドルングの無難な提案にアンコウは頷き、べジーのほうに視線を移して軽挙をたしなめる。
普段はどちらかといえば、軽い言動も目立つべジーだが、彼もいっぱしの兵士武人。アンコウやドルングが言っていることの正しさは理解している。
「~くくっ」と、べジーは大きく顔を歪めながらも、アンコウたちの意見に従った。
―――――
「待てっ!べジー!」
ドルングの制止も聞かず、ついに村にむかって走り出すべジー。
(しゃあねぇなぁ)
アンコウは村のすぐ近くにあった大岩の影に隠れたまま、飛び出したべジーを見送った。
べジーの婚約者がいるこのハカチ村は、武装した集団に襲われていた。村にある程度接近した時点で、村で戦闘が行われているらしいことはすぐにわかった。
しかし、襲撃者の素性や人数、戦闘能力などを確認するため、とりあえずアンコウたちは今いる岩影に身を隠した。
そこまでは、べジーも感情を抑えて、アンコウの横についてきていたのだが。
(……たぶんもう略奪がはじまっている)
岩影の横から顔を出したアンコウの目に映るもの……ついさっき、村の者と思われる女が一人、武装した兵士と思われる男に引きずられるようにして、アンコウの視線の先にある干し草が積まれている場所まで連れてこられていた。
そして今、その女の衣服は、兵士の手によって大きく引きちぎられてしまっている。上半身の肌が
襲われてる女の悲鳴が、アンコウの耳にも入ってくる。
「チッ」
(耳障りだな)
「アンコウ様っ、いかがしましょう」
「ん?予定どおり状況の把握だ。襲っている連中が強い場合は、即この場から離脱する」
「べジーのことはどうしますか」
「たとえ死んでも自己責任だ。アイツの個人的な事情に付き合う必要はない。まぁ、領主をほったらかして私情に走ったことは大目に見てやるよ」
それを聞いて、わずかに顔に苦渋の色を浮かべたドルングだったが、すぐに、
「……わかりました」と、アンコウの指示に従った。
「チッ、やりやがったな」
と、ドルングと話をしながらも、村のほうの様子を窺っていたアンコウが
アンコウの視界に、村の女を襲っていた兵士が干し草の山から転げ落ち、尻を丸出しにしたまま動かなくなった姿が映っている。
その横には乳を丸出しにしたまま恐怖で固まっている村の女と、血の
そしてべジーは、そのまま村の中へと走り去っていった。
「アンコウ様……」
「……じゃあ、俺らも動く。だが、慎重にな」
―――――
(……ふむ。そこまで大規模な襲撃じゃないみたいだな)
そのことは村に入る前の状況確認と襲われていた女の話から予測していたとおりだった。大規模な襲撃だと感じていたら、アンコウはそもそも村の中に入ることに同意しなかっただろう。
「なぁ、ドルング。この村を襲っている連中、ただの賊だと思うか」
「……あの女を襲っていた男の装備は、雑兵とはいえ、明らかに正規の兵士がよく用いるものでした。兵隊崩れの賊も珍しくはないのですが……」
「兵隊崩れにしても、整い過ぎていたか?」
「……はい。昨日、今日、賊になったばかりというなら別ですが」
たとえ小規模でも、地場の領主や豪族の正規兵だったら面倒な話になりかねないと懸念しつつ、アンコウとドルングは、慎重に村の中心部へと移動を続けた。
◇
ギンッ! カンッ! ギャンッ! ぎゃああっ!
激しい金属音と、それに続く悲鳴が響く。
「どけええ!」
長剣を振るい、怒声を発しているのは、べジーだ。
肩までとどく、赤髪の長髪を振り乱しながら、ハカチ村の
――(敵に抗魔の力を持つ者はいない。時間の問題だな)
アンコウはその様子を物陰から
アンコウの見立てどおり、わずかな時間でべジーは三人の敵を斬り倒し、屋敷の中へと駆け込んでいった。
べジーが、「レマーナ!」と叫んでいたのは
動く者が誰もいなくなった
べジーが斬り殺した死体を観察するアンコウ。
(……やっぱり無法者の集団ではないな。この小綺麗な装備もそうだが戦い方が組織だっていた。まぁ、それでも弱ぇし、やってることは賊と一緒だ)
その時、誰かが近づいてくる気配を感じたアンコウは、スッと身を隠し、様子を窺う。そのアンコウの視界に入ってきた人影。
「……なんだ、ドルングか」
近づいてくる者が、一人で周囲の偵察に出ていたドルングであることを確認したアンコウは、再び道上の目につく場所へと姿を晒す。
それを見つけたドルングが、真っ直ぐにアンコウに近づいてきた。
―――
「そうか。やっぱりそんなに数はいないのか」
「はい。村民もかなりの部分、村の外に逃げ出しているようです。おそらく襲撃してきた集団は、50人ほどなのでは。また、私が確認できた範囲内では取り立てて強い力を持った者はいませんでした」
「……だけどこいつら、賊の類いじゃあないよな」
アンコウは足下に転がる死体を足蹴にしながら言う。
「はい。私もこの連中は主持ちの兵隊だと思います」
「地場の有力者の勢力争いか、何かか……」
「さぁ、それは……、」
「面倒だが……何人か生け捕りにして聞いてみるか」
アンコウとドルングは、門の前で今後の行動方針について話し合いを続けていた。
かなりのんきな様子だか、現状、慌てて逃げ出さなければならないほどの状況ではないと、アンコウもドルングも判断したのだろう。
そして、そうこうしているうちに、少し前に屋敷の中へと駆け込んでいったアンコウとドルングのもう一人の
「フウッ!フウッ!フウッ!フウッ!」
屋敷の中から飛び出してきたべジーの呼吸は極めて荒い。
「べ、べジー、」
べジーの直属の上官であるドルングは、飛び出してきたべジーの様子を見て言葉を失っていた。
全身が返り血を浴びて真っ赤に染まり、その表情は新兵の頃からべジーを知っているドルングも、かつて見たことがないほど怒りで染まっていた。
(うわ~怒ってんな。どこの阿修羅くんだよってくらいキレていやがる)
と、アンコウ。
「うがああーっ!一人残らずぶち殺してやるっ!」
敵を求めて、再び走り出すべジー。
「おいっ!待つんだべジー!」
べジーはドルングの制止の声に振り返ることすらしない。
「くっ!アンコウ様っ」
「ん?」
「あの暴走している状態では、さすがに心配ですっ。敵の中に
アンコウとは違い、ドルングはべジーに対して、長年の部下として戦友としての思い入れは強い。べジーの身を真剣に案じているようだ。
「……わかった。できれば、何人かは生け捕りにしておいてくれ。情報がほしいから」
そう言って、アンコウが許可を出すと、ドルングはアンコウに頭を下げて、べジーの後を追って走り出した。
ボリボリと頭をかき、自分はどうしたものかと、アンコウは考えた。
そして、アンコウの足は村長の屋敷の中へと向いた。べジーのあの激怒ぶり、中で何があったのか少々気にかかったのだ。
(田舎の家っていうのは結構でかいよなぁ)
そんなことを思いながら、アンコウは警戒もしつつ、屋敷の中を移動している。
「……血の臭いが濃いな」
アンコウがそう思うのも当然で、屋敷のなかには何体もの血塗れの死体が転がっていた。
(この国に平和な土地なんかない。どこに行こうが明日には自分がこんな死に方をしてもおかしくない)
感情を高ぶらせることなく、アンコウはこの惨状の中をそのままどんどん屋敷の中に踏み入っていく。
(ここまでに見た死体は、ほとんどがこの屋敷の人間のものだったな。……!おっ、あれは)
屋敷の奥に来るまで、武装している死体を全く見なかったアンコウの目に、初めて鎧をまとった死体が映った。
その死体に近づいていったアンコウは、ゴロリと足でひっくり返した。
「……鎧のうえから、袈裟がけで一撃か」
つい今斬り殺されたことがわかる死体だ。それにこの斬り痕、
「べジーのヤツ、結構やるな」
アンコウはその鎧死体が転がっていたすぐ近くの扉を開き、その部屋の中へと入っていく。
「……うへぇ、派手にやりやがったなぁ」
そこに転がっていたのは、おそらく5人分の襲撃者と思われる死体。
「……これ以上ないぐらいバラバラだ」
どの部位が誰の物かわからないぐらい全員が斬り刻まれていた。床に壁に天井にまで、真っ赤な血が飛び散っていた。
それにアンコウの鼻につくのは血の臭いだけではなく、わずかに生臭いニオイも残っている。
「5人、全員男、兵士だが、みんな甲冑は脱いでいる。裸でいた時にべジーに襲われたか……」
アンコウは、眉をひそめ、首を
(……状況的に、ここでなにがあったのかは明らかだな)
この部屋の様子から察するに、ここでこの屋敷の女が襲われていた可能性が非常に高い。その中にべジーの愛しき婚約者もいたのか、その現場をベジーはその目で見てしまったのか。
(……だとしたら、そりゃあ阿修羅化するよな)
ふと、部屋の奥へ目をやれば、そこにはもうひとつ扉がある。
アンコウは、扉に近づいていくと、扉は完全には閉まっておらず、その隙間には何者かの衣服が挟まっていた。
扉に近づいていくアンコウ。
その時、
「ううぅ」と、扉の中から、女がすすり泣く声が聞こえた。
アンコウは、ゆっくりと、その扉を勢い開いた。
アンコウの推理したとおり、その部屋には4人の女がいた。
突然、入ってきたアンコウを見て、4人全員の表情が恐怖で固まる。
「ヒッ!」
「っと、大丈夫だ。俺は敵じゃない」
アンコウが慌てて魔戦斧をおさめ、両手をあげて見せた。
しかし、彼女らの顔から恐怖は消えない。それは当然だろう。彼女らの4人のうち3人には明らかに着衣の乱れがあり、4人全員に暴力をうけた跡があった。
アンコウはさらに言葉を重ねる。
「俺はべジーといっしょにこの村に来たんだ。あんたたちの敵じゃない」
「……べジー様と?」
警戒はしつつも一人の若い女が、じっとアンコウの顔を見る。
その女の年は、見た目20代前半ぐらいか。美しい女だった。
(……この女がべジーの婚約者か……痛々しいな)
美しい女の顔には殴打の跡があり、着ている物の乱れ具合からいって、べジーが彼女の貞操を守るのに間に合わなかったのはあきらかだった。
その女と同じような惨状になっている女があと二人。40歳ぐらいの年嵩の女が一人と、今も涙が止まらない様子の少女が一人。
(ひどいな)とアンコウは思うが、残念ながら、この国この世界の、どこの戦場でも必ずある光景でもあった。
女の年齢など関係なかったのだろう。少し年は重ねているがまだ色気も残っている女と、非常に愛らしい容貌をした少女。獣どもの欲望の牙は、容赦なく獲物としたようだ。
その横では、比較的着衣に乱れのない初老の女が、布を使って汚された少女の体を拭いていたようだ。
その様子を見て、さすがにアンコウも怒りをにじませながら眉をしかめた。
警戒心を持って、アンコウを見つづけている若く美しい女が、
「……あなたは、」と、問うてきた。
「ああ、俺はべジーの同僚みたいなもんだ」
興味本位で屋敷の中に入ってきたアンコウだったか、さすがにそれをこの女たちを前に口にすることは
「………べジーを探してたんだ。あいつ、村が襲われているのに気づいたら一人で突っ込んでいったからさ」
アンコウは、自分はべジーを探しているんだという
「……べジー様はもうここにはいません。屋敷を襲ってきた兵たちを討ち果たした後、出ていかれました」
「……そうか」
単に怒りに飲まれただけじゃなく、ここにいてられなかったんだろうなと思った。
と同時に、女たちに対して、『正直あんたら、命があっただけラッキーだ』とも思うアンコウだったが、それを口にしないぐらいの分別は持っている。
(確かに、こんなところに長居は無用だな……)
「……じゃあ、俺はいくよ」
「あ、あのっ」
「なんだ?」
「べ、べジー様のことをお願いしますっ。あの方まで死ぬようなことがあってはっ」
この部屋に来るまでに転がっていた死体のなかには、間違いなくこの女の家族もいるはずで、その事も知っているのだろう。
「……わかったよ」
アンコウはそう言うと入ってきた扉のほうではなく、女たちのほうに近づいていく。
女たちは一斉に身構えるものの、アンコウは気にすることなく近づいて、女たちの前で身を
「な、なんですか」
女の声に震えが混じる。
「これ使ってくれ」
「えっ」
アンコウが魔具鞄の中から何かを取り出し、ゴトリ、ゴトリと女の前に置いていく。
「……これは」
「ヒールポーションだ」
アンコウは流れ作業的にヒールポーションを並べ終えると、全ての瓶の中身を わずかづつ口に含んでいく。
「見てのとおり毒じゃないから」
アンコウがすることをじっと見ていた4人の女。
「あ、ありがとうございます」
「いや、いいんだ」
アンコウは再び立ち上がる前に少女のほうに手を伸ばし、くしゃりとその頭を撫でる。
「強くなれよ。嬢ちゃん」
「!……」
少女はビクリと身を縮めた。
アンコウは、それ以上何も言うことなく立ち上がり、そのまま入ってきた扉の外へと出ていった。
バタンと、後ろ手に扉を閉め、肉塊の散乱した血まみれの部屋で顔をあげる。
「……ふうーっ」と、ため息ひとつ。
次に、腰に手をかけたまま、
ゴツッ! と足元にあった兵士の頭部をサッカーボールのように蹴り飛ばした。
そしてアンコウは、ピチャリピチャリと血だまりの中を歩き、廊下へと出ていった。
そのあと、アンコウが歩いた後には、廊下から屋敷の外の門まで、いくつもの赤い足跡がくっきりと残っていった。
そして、屋敷の門前、太陽の下で、
アンコウは小袋の中からウネウネ動くネイマを一匹取り出して、口の中へと放りこんだ。
モグモグと、ネイマを咀嚼しながら歩く。
プッと吐き出したネイマの頭が、ポチャリと道端の血だまりの中に落ちた。
血だまりの道を歩くアンコウの顔は能面のようで、その表情からは何の感情を読み取ることもできなかった。
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