第104話 ネイマのお味
静まりかえる大広間。
この場に居並ぶ者たちは、コールマル領主アンコウが発した参集命令をうけて、この参議の場に
ピリピリとした緊張感が漂う中、皆の目が大広間の中央におかれている台座のほうへと注がれている。
その台座に座るはコールマル領主アンコウ。そして、その台座の横にはテレサが立っていた。
「異議なく忠誠を誓うのならば、態をもって示せ!」
厳めしい表情をつくり、重々しく言い放ったのはテレサだ。普段の口調とは全く違う。
しかし内心では冷や汗もので、
(ど、どうして私がこんなことをっ、早く終わってちょうだいっ)
と、声なき叫び声をあげまくっている状態だ。
そして、テレサとアンコウの視線の先には、ひとりの肥太った男。
「は、ははあー」
テレサの声に反応し、真っ先に台座に座るアンコウの前に
それを見た居並ぶ者たちは驚きで目を見開く。
アンコウの命をうけ、参集した者たちのほとんどがここに来るまでアンコウの顔を知らなかった。
しかし、ナグバルは違う。ハリュート執政府筆頭執政官ナグバルの顔を知らない者はいない。
恐れ、怒り、憎しみ、北部の者たちはナグバルに対してあまり良い感情を持っていない者が多いが、彼らにとってナグバルは間違いなく
そのナグバルが、こともあろうに奴隷女に促され、跪き、深々と
皆は、経緯はわからないものの、これまで実質的にコールマルを支配してきた筆頭執政官ナグバルが、完全に新領主であるアンコウに文字どおり膝を屈したという事実を見せつけられた。
ナグバルを跪かせたまま、アンコウがおもむろに台座から立ち上がる。
「よく聞け。これからコールマルは南北に大分して治めることにした。南はこれまでどおり、このナグバルを筆頭執政官にすえたハリュートの執政府に任せる。そして北部には、俺がこのクークに拠点を置くことにした。
北部諸衆の皆はハリュートにおいている屋敷を引き上げ、このクークに屋敷を移し、税もこちらに納めること。この事に関しては、すでにハリュートの執政府も同意している。―…・・・なぁ、ナグバル」
「は、はっ。ご命令に従います……」
ナグバルは頭を下げたまま神妙に従い、アンコウは鷹揚にうなずきながら腰を下ろす。
ザワザワと、ざわめきが広がっていく。北部諸衆は、突然の事態に困惑していた。
「お静かに!」
周囲に広がりつつあった雑音を制止ながら、進み出てきたのはモスカルだ。
「どうぞ、ご静粛に願います。お初にお目にかかり申します。わたくし、アンコウ様がコールマル領主になられるにつき、グローソン公爵様より新しきご領主様を補佐するよう命をうけ、共にこの地に参りましたモスカルと申します」
モスカルの名乗りをうけて、再び先ほど以上のざわめきが起こる。当然ながら、このコールマル領もグローソン公の支配地域。
ここに居並ぶ諸衆にとっては、グローソン公爵はアンコウよりもはるか上の主格者であり、その権威は大きい。
「言うまでもないことですが、アンコウ様はグローソン公爵様が正式に認められたこのコールマルの領主です。
……国内における武の交わりが認められている このウィンド王国といえどもその意味するところは軽いものではない。諸衆よ、そのことわかっているであろうな」
徐々に威圧的な響きが加えられていったモスカルの言葉。
そして、再びアンコウが立ち上がり、ゆっくりと諸衆を見渡す。
モスカルがそのアンコウの動きに合わせるように、立ち上がったアンコウの前まで進み出て、また口を開いた。
「何をしているっ!アンコウ殿の命に従い、忠誠を誓う者は
突然のまるで叱責するかのようなモスカルの鋭い声に、居並ぶ諸衆は固まった。
諸衆が固まるなか、一番に反応を示したのは、このクークの元太守であるメルソン。おもむろに前に進み出るとと同時に、その場に
「ははっ!このメルソン、アンコウ様に忠誠を誓いまするっ!」
それを見て周囲の者たちも、我先にと一斉にその場に
(芸達者だなぁ、モスカルは。メルソンのやつは地か)
アンコウは厳めしい表情を保ちながら、跪き、頭を垂れた諸衆を
全員、モスカルの言葉に従い膝を折ったものの、無論、彼らが心からアンコウに忠誠を誓っているわけではない。
(心なんて、すぐにはどうにもならない。ビビって表向きだけでも従ってくれるならそれでいい)
アンコウが望んでいるのは、自分がここにいる間は、彼らが自分に
彼らの内心の在り様は問わない。人の金でする左うちわの生活というものを、せっかくだからしてみようかと思っている。
アンコウがちらりと横を向けば、台座のとなりにテレサが変わらず立っている。
(テレサの芝居もなかなかのもんだったな)
我ながら、なかなか効果的な演出だったと、自画自賛するアンコウ。
しかし、昨日突然思いついたアンコウの演出に巻き込まれたテレサにしてみれば、とんだ災難だ。
何とかアンコウの指示どおり、領主の力をかさにきた偉そうな愛妾奴隷の役を演じたテレサだが、背中は冷たい汗でびっしょり濡れてしまっていた。
(さぁて、あとの
アンコウは、グイッと胸を張り、意識して重々しい声を出す。
「……いいか、そうして忠誠を誓った以上、今後は俺のやり方に従ってもらう。あとの指示は、このモスカルに仰げ。従わない者は反逆者として誅罰を下す。いいなっ!」
ハッ、ハハアーと、跪く者たちがいっそう深く頭を下げた。
さて もう行くかと、アンコウがテレサの顔を見た。しかしテレサは
(……んだよ。テレサも俺とおんなじあがり症かぁ。演技はなかなかのもんだったけど、てんばってるなー)
クスッと笑うアンコウ。
一歩テレサに近づき、スッと後ろに手を伸ばす。
アンコウの手は柔らかい尻の感触をとらえると、5本の指を蠢かせた。
「!キャッ」
テレサは小さな声をあげると同時に、ようやくアンコウの顔を見た。
戸惑いながらも、テレサの白い肌の頬が赤く染まっていく。
「ちょっ、な、なにを…こんなところで……だ、だんなさまっ」
跪き、頭を垂れている諸衆と違いアンコウとテレサが横目で見えているモスカルは、さすがに冷たい目で二人をみていた。
バシッ
「!いてっ」
アンコウの手がテレサから離れた。
テレサもさすがに頭にきたようだ。そんなテレサの怒りを受け流し、にやにや笑っているアンコウ。
「じゃあ、そろそろ行きますか」
そして、アンコウはテレサをうながし、諸衆が跪き頭を垂れている中、大広間をあとにした。
◆
「なぁ、ドルング。今日はちょっと賑やかじゃないか?」
アンコウは久方ぶりに、クークの中央市場をお忍びでブラブラしている。
「はい、アンコウ様。この季節の収穫がしばらく前から始まり、多くの作物が市に集まり始めているのだと思います」
「へえー」
お忍びで町をブラつくアンコウに、今日は二人の護衛がつけられている。二人とも、元はメルソンが太守をしていた時から、クークの守護隊に所属していた腕利きで、抗魔の力の保有者だ。
特に、このドルングという獣人の男は、
(ダッジとタメを張れるぐらいの力量はある)
と、アンコウはみていた。
アンコウたちがクークに来る以前は、間違いなくこの町でトップクラスの戦士だったはずだ。
しかし同時に、ダッジと互角ということは、己が武勇をもって、さらなる上の地位を目指そうと思えば、コネ・
先日、アンコウが、
『ドルングは出世したいと思わないのか』
と聞いたら、
『自分はスラムの生まれで 、もう十分出世しました』と、ごく自然な笑みを浮かべながら言い、その後に 『今は孫の成長が楽しみだ』と、続けて言った。
出世なんてどうでもいいという気持ちは、アンコウにもよくわかる。ただ、ドルングの孫うんぬんという言葉には少し驚いた。
獣人にしては毛深くなく細みの体型のドルング。身長は190ぐらいか。
ドルングは、人間成分強めの容姿をしている獣人だ。その
もちろん、抗魔の力保有者にみられる
(これで50超えてて、孫がいるんだからなぁ。すげぇよなぁ、抗魔の力)
「しかし、アンコウ様。この
このドルングの言葉に反応して、もう一人の護衛の男も口をひらく。
「この市だけじゃなく、町全体がどんどん明るくなってきてますよ。これもアンコウ様がこのクークに来てくださったおかげですっ」
「………そうか。じゃあ、せいぜい感謝してくれ、ベジー」
アンコウが、気のない様子で返事を返す。
もう一人のベジーという人間族の護衛は、ドルングの直属の部下らしい。
少々、性格的な軽さも目立つ男だが、今アンコウに言ったことは全く事実に反する おべんちゃらというわけでもない。
アンコウがこのクークに居館を定めてから、それまで互いの交流をかなり制限されていたヨラ川北部地域の規制は大幅に緩和され、関所の通行料も廃止減額されたことにより商業活動がずいぶんとやり易くなった。
農民に対する年貢も同様で、領主直轄地などでは一割から二割も負担率が削減された。
また単純に北部の諸衆の税の上納金の納め先がクークに変わったのだから、それだけでも、金、物資、人が、何にもせずともこのクークに流れ込んできているということも大きい。
コールマル北部地域全体が急に豊かになるわけではないが、クークのみに関して言えば、わずかな期間で間違いなく活気が増している。
「……ちょっと小腹がすいたな、買っていくか」
アンコウが足を止めた露店には、大きな篭が三つ並べられており、すべての籠一杯にネイマが入っていた。
「どうだい、兄ぃちゃん!丸々太って、うまそうだろ、このネイマ!」
「ああ、十匹ほどもらえるか」
「へいっ、まいどっ!」
金を払い、ネイマの入った袋をもって、アンコウたちはまた歩き始める。
「ほら、お前らも食えよ」
ドルングとベジーにも、三匹ずつネイマを渡す。
二人とも、ありがとうございますと、うれしそうにそれをうけ取った。
アンコウは自分も食べようと、袋からネイマを一匹つまみ出す。
ネイマは丸々と太っており、透きとおるような黄金色をしていて、実に食欲を誘う。
形状はカブトムシの幼虫をひとまわりほど大きくした感じのイモムシそのもので、このクークの名物でもある。
ネイマの頭部をつまみ、うねうねうごく尻の部分から口に頬張り、頭の部分でプチンと噛みきる。口のなかでまだ動いているネイマを一回二回と咀嚼すると、アンコウの口いっぱいに濃厚で、ほんのり甘くクリーミィーなネイマの中身が広がる。
(相変わらずうまいなぁ、これ)
リスのように頬を膨らませて、ネイマを堪能するアンコウ。
食べ歩きながら、指でつまんでいるネイマの頭をポイッと道に捨てると、待ち構えてたかのように飛んできた小鳥がそれを
ネイマはどこにでもいるイモムシではない。かなり珍しい虫で、ネイマはツゥンツァイの樹林にのみ生息する。
ツゥンツァイの木は、
ツゥンツァイの木は、人工的に育てることができない群集生息する木であり、 熱帯の地であっても、寒冷の地であっても、一旦根付けば、常に新緑の葉を生い茂らせ、毒の樹液を滴らせる不思議の木。
そのツゥンツァイの樹林あるところ、必ず生息しているのがネイマだ。
いや、他の生き物にとっては毒であるツゥンツァイの樹液を唯一のエサとしているネイマは、ツゥンツァイの樹林以外で、そもそも生きることができない。
ネイマという虫は糞尿という形で排泄をせず、ツゥンツァイの樹液を摂取し
ネイマとツゥンツァイは、切っても切り離すことができない共生関係にある。
そのツゥンツァイの樹林がクークの東方にあり、季節に関係なく一定数食料として確保することができるネイマは、味良く高カロリー食であり、遥か昔よりクーク近辺に住む人たちの命の糧となってきた。
「一度見てみたいな。ツゥンツァイの樹林」
「少し見るだけなら、日帰りで行くこともできますよ、アンコウ様」
「そうか。獲り立て食べ放題だな……じゃあ、これからいってみるか」
「えっ」
アンコウは、もう一匹ネイマを口に放り込み、モグモグと口を動かしながら
――――――
アンコウはよほど暇なのか、その一時間後にはドルングとベジーの二人を引き連れ、クークを発し、東に馬を走らせていた。
「ア、アンコウ様っ、よろしかったんですかっ。この時間からでしたら、今日中にクークに戻ってくるのは厳しくなりますが!」
「んー、いいって、いいって。
馬を走らせながら会話を交わす。
「ハハハッ!たまにはこういうのもいいですねーっ、アンコウ様!お供しますよっ!」
あまり乗り気でなさそうなドルングと違い、ベジーはかなり楽しそうだ。
クークの町を出れば、すぐに木々が生い茂る山々が間近に広がる辺境の地。
「ハハッ、空気と水だけは間違いなくきれいだ」
アンコウは、水筒の水をラッパ飲みしながらも馬を駈る。
「ベジー!お前が道案内しろよっ!」
「了解ですっ!大将!」
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