第92話 嫌な女

 ナグバルの十数番目の娘であるリマナは、その美しい容姿で周囲にも評判である。

 しかし、幼い頃よりナグバルの娘として、まわりから蝶よ花よと甘やかされ放題に育てられ、その恵まれた容姿もあいまって、かなり問題行動も多い令嬢となってしまった。


 その問題となる振る舞いが、これまであまり表に出てきていないのは、リマナ自身がなかなか狡猾な面を持つ女であるということと、父親であるナグバルが金と権力を使い もみ消してきたからだ。


 ナグバルは、コールマルの領主となったアンコウを懐柔し、取り込む手段の一つとして、自分の実の娘であるこのリマナをアンコウの側に置き、妻の座に据えることを考えていた。


 ナグバルとしては、問題のある見目美しい麗しい娘の最も有効な利用法であったのだろう。

 その父の意向を受けたリマナは、アンコウがハリュートに来て以来、この一ヶ月の間にアンコウを訪ねて足しげく城に通いつめていた。


 ハリュート城は領主の居館であるが、同時に行政機関であり、支配者階級の社交の場でもあるために、アンコウのプライベート区画を除いて相応の地位にある者ならば、かなり自由に出入りできる場所になっている。


――――


数日前の、ハリュート城館にて、



「あら、アンコウ様はここにおいでと伺ったのだけど、どちらにおられるのかしら?」


 リマナが顔にあからさまに不機嫌な色を貼り付けて、中庭で茶器の片づけをしていた女中に聞く。


「も、申し訳ございません。アンコウ様は急ぎのお仕事ができたと申されまして、つい今しがた私室のほうに………」


 アンコウに急ぎの仕事などなく、リマナが来たということを伝え聞いた瞬間、すぐさま仕事ができたと女中に言い残して、この場を立ち去ったのだ。


「………仕事で私室へ?」

 リマナが視線鋭くその女中を見る。


 リマナにすれば、自分がわざわざ来てやったのに、あの男は何のつもりだという思いがある。

 父であるナグバルに言われなれれば、あの男にコールマル領主という肩書きがなければ、自分と話すことなど叶わないであろう容姿・出自の男なのにと。


 女中はあきらかに怯えている。リマナが女中や使用人に対する態度がきついことは、この城で下働きをしているいる者たちは皆知っていることだ。


「は、はい。そうです……」

「……そう、ならば、これからそちらにおうかがいしましょう」

「い、いえ、あ、あの、大切な仕事だから、誰も通すなと……」


 その女中の言葉に、リマナのまなじりがあがる。

ビシィッ!

「!っっ」

 リマナが手に持っていた扇で、女中の肩を打った。


「ならば、私が来たとアンコウ様に伝えなさいっ!」

「!~~!」

 リマナに強く言われて、女中は声もない。


 この女中は、リマナのことを権勢家ナグバルの娘として逆らってはいけない存在と認識しているが、実はアンコウのことはもっと恐ろしいと思っていた。


 アンコウは、この城の使用人たちにナグバルの息がかかっていると判断した時点で、完全に彼らのことを敵認識していた。

 この女中も、アンコウから殺気混じりの覇気を直接的にぶつけられたことがある。


 アンコウに、じっと見据えられて、

『お前らにもいろいろお仕事があるだろうが、あんまりナメたまねをしていたら殺す』

 と、淡々と言われたときは、恐ろしくて死ぬかと思った女中である。


 あの~その~と、その女中はうろたえ、どうにもできなくなっていた。

 その時、

「あれぇー、アンコウはっ?」と、子供の声が中庭に響いた。

「ここにいるって言ってたのにぃ」


 小ぶりアフロの女の子がトコトコ中庭に入ってきた。

 そして、

「ねぇねぇ、アンコウは?」

 と、リマナと話をしていた女中に声をかけた。


「あっ、カルミ様っ」


 現れた女の子はカルミ。この城で働いている女中も、当然カルミのことを知っている。


 自分を前にしながら、カルミに意識を移した女中を見て、さらにリマナの眉がつり上がる。

 リマナは、アンコウに馴れ馴れしく接し、アンコウのプライベートスペースでともに生活しているこのハーフドワーフの少女をかなり苦々しく思っていた。


(聞けば、あの男と血のつながりがあるわけでもなく、ただ付きまとっているだけの混じり者の孤児だそうではないの。しかも、あの奴隷女が母親代わりだなんてっ。ずうずうしいのも程があるわっ)


「ちょっとっ、今わたくしが、この女中と話をしているのよっ。お前のような混じり者はさがってなさいっ!」


 カルミに対して、そうリマナが叱声をあげると、リマナの後ろに控えていた二人の武装した男がカルミのほうに進み出てくる。


「ほー、そうなんだ。ごめんなさい」


 しかしカルミは、あっさり頭をさげて謝ると、その場でじっと立っている。これは順番を待っているつもりなのだろう。


 リマナは、カルミに対して一度、フンッと鼻息を荒く飛ばしてから女中のほうに向き直り、

「お前も、このようなずうずうしい混じり者に、様などとつけるのではないわっ!」

 と、いら立ちを隠すことなく言った。


「で、ですが、リマナ様、この少女は御領主様の、」

わたくしに、口ごたえをする気っ!」

「い、いえっ、まさかっ、も、申し訳ございませんっ」

「この娘はアンコウ様の縁者ではないっ!あの奴隷女の養い子よっ!」


 リマナの言うあの奴隷女とは、もちろんテレサのこと。アンコウを狙うリマナにとって、カルミ以上にテレサは目障りな存在だ。


(あんな年増の奴隷女が、私の邪魔をするなんて許せないっ。抗魔の力を持っているからって何だと言うのよっ) 

 と思っている。


 リマナがアンコウに何度かアプローチをかけてみても、未だあちらからのお誘いはなく、聞けば連れて来ていた乳と尻の大きいだけが取り得の年増の奴隷女と寝室を共にしているという。


 別にアンコウに惚れているわけではまったくないリマナだが、自分の女としての美しさには自信があり、事実、これまでに自分の誘いに乗ってこなかった男などいなかったのだ。

 それゆえに、あんな奴隷女に自分が負けているなど認められるわけもなく、かなり感情的に意地にもなっていた。


 感情を剥き出しにしたリマナに、女中はただうろたえるばかりだ。

 いくらナグバルの娘であるリマナに叱責されても、女中はアンコウも恐ろしく、そのアンコウが、このカルミという少女を特別扱いしていることも知っている。


 ただ、頭をさげつづける事しかできない。


「も、申し訳ございません、リマナ様っ」

「もうよいっ!早うアンコウ様のところにわたくしが来ておるとお伝えせよっ!」

「い、いえ、しかし、ア、アンコウ様はお仕事で、私室のほうに……」


 実は、この女中にもナグバルの息はかかっている。

 それがため、先日アンコウの私室の掃除をしていた時、アンコウの机の中をこっそりとのぞき見た。


 命じられていた情報収集の一環だ。しかし、その作業中ふと女中が気づいた時には、アンコウがこのスパイ女の真後ろに立っていた。


 その時にアンコウに言われたセリフが、

『お前らにもいろいろお仕事があるだろうが、あんまりナメたまねをしていたら殺す』であった。


 アンコウが先ほど、この中庭から立ち去るとき、

『俺は仕事だ、私室に行く。誰も通すな、誰の伝言も持ってくるな。わかったな?俺からの仕事もちゃんとしろよ、でないとわかっているよな?』

 と、女中に言い残した。

 女中は、その時アンコウが自分に向けた酷薄こくはくな目に震えあがった。


 当然女中は、アンコウが仕事ではなく、リマナが来るのを嫌がって姿を消したことはよくわかっている。

 そのうえ、なめたまねをしたら殺すとまで言われているのに、リマナをアンコウの元に案内することはもちろん、伝言を伝える勇気も、この女中は持ち合わせていない。


 目の前の女中が自分の言うことを聞きそうもない様子を見て、リマナは脳天に血を上らせる。


「~~っ!こ、このっ!わ、わたくしの言うことが、」

「なんだー、アンコウはじぶんの部屋にいるのかー」


 女中を怒鳴りつけようとしていたリマナの声に、別の声が被さってきた。

 口を閉じ、自分が女中に質問する番を待っていたカルミが口を開いたのだ。


 そしてカルミは、すぐさまトコトコと移動をはじめる。アンコウの私室に行くつもりなのだ。

 それがあきらかであっても、リマナの案内を断っていた女中はカルミを止めることはしない。


「!くっ、お、お前っ、なぜあの小娘を止めないっ!」


 リマナは目を向いて女中をにらみつけ、扇を女中の鼻先に突きつける。

 女中としては止めるも止めないもなく、カルミもこの城の領主のプライベート区域で生活をしているのだ。当然アンコウの私室もそこにある。


「い、いえっ、そんなっ」


 リマナと女中が、そんなやり取りをしているあいだにも、カルミは中庭をトコトコと歩いていく。


「くっ!もうよいっ、どきなさいっ!」


 頭に、限界を越えた血を上らせたリマナは、女中を乱暴に押しのけて、カルミめがけて駆け出した。

ダダダッ

「待ちなさいっ!」


 カルミはその声に、ん?と足を止め、リマナのほうを振り返る。

 リマナは手に持った扇を頭上に振りあげながら、カルミの元に。

 そして、その勢いのままに手に持った扇をカルミの小ぶりアフロめがけて振り下ろした。


バシッ!ビシッ!

 一度二度と、リマナは鬼の形相でカルミの頭を扇で打擲ちょうちゃくした。


「この混ざり者がっ!分をわきまえよっ!」


 そしてリマナは、フーッ、フーッと、鼻息荒く、カルミを怒鳴りつけた。


 カルミは怒るリマナを見つめながら、頭に手を置く。

(たたかれた……)

 別に痛くはなかったが、カルミには目の前の女が何を怒っているのかわからない。


 カルミは強い。まず間違いなく、このハシュートでカルミと五分で戦うことができる戦士はいないだろう。

 ただそれでも、カルミはまだ6歳の子供に過ぎない。


 カルミの目にじんわりと涙が浮かんでくる。

 愚か者は、相手が弱いと見たときには強く出るものだ。カルミがハーフドワーフで、抗魔の力があるとかないとかそういうことも、リマナのような己の権威の絶対的優位性に疑いすら持たぬ愚か者には意味がない。


 カルミの目に涙が浮かんだのを見たリマナは、嗜虐的な笑みを口の端に浮かべて、再びカルミめがけて扇を振りかざす。


「カルミちゃんっ!」

 その時、カルミの名を呼び、ものすごい勢いで中庭に走りこんでくる一人の女。


「あっ、テレサぁっ」


 そう、それはアンコウの奴隷にして、カルミの母親代わりを自認しているテレサだ。テレサはリマナの扇がカルミに振り落とされる前に、二人の間に割って入ってきた。


「くっ、お前はっ!どきなさいっ、この奴隷女ッ!」


 リマナは、カルミ以上に、このテレサのことを嫌っている。


「も、申し訳ありません、リマナ様。この子が何か失礼なことでもいたしましたでしょうか?」

「テレサぁ」

 カルミは、サッとテレサの体の後ろに隠れる。


「どけと言っているのが聞こえないのっ!お前はこの私に逆らうつもりかっ!」


 すでにテレサも、このリマナがどういう立場の者であるかをよく知っている。


「い、いえ、そんなつもりはありません。ですが、この子はまだ子供で、私はこの子の面倒を見ている者です。何をしたのかは知りませんが、この子がしたことは私の責任でもあります。どうかお許し下さい、リマナ様」


 テレサは深々と頭をさげるが、そこから退くつもりはまったくないようだ。


(ど、奴隷女風情がっ、ぽっと出の領主の寵愛を受けているのをよいことに、私の邪魔をしたあげく、このような無礼な態度をっっ)


 リマナは頭から怒りの湯気を上げながら、わなわなと体を震わしている。

 そんなリマナに駆け寄ってくる従者護衛の男たち。


「………そ、そう、お前が責任を取るというのね。ナグバルが娘であるこのリマナを虚仮こけにしたのよ……お前のような奴隷女に相応の罰を与えてやるわっ」


 リマナは駆け寄ってきた従者護衛の男に、何やら耳打ちをして、自分は少し後ろに下がっていく。

 従者護衛の男はリマナに対して頭を下げると、ニヤリと笑みを浮かべながら、テレサに近づいてきた。


「あ、あの、」

 テレサはこの展開にうろたえるものの、男が近づいてきても、カルミを背にして逃げることはしなかった。


 そしてニヤニヤとした笑うその男は、テレサのすぐ近くまで来て、ようやく足を止めた。


「!ああっ!何をするんですかっ!」

 するとその男は、いきなりテレサの肩を抱き寄せて、テレサの大きな胸を鷲づかみにしたのだ。

「ああっやめてっ!」


 テレサは、乱暴に自分の体をまさぐり始めた男を押しのけようとする。

 しかし、それを少し離れたところから見ていたリマナが、扇を突き出しながら、テレサに向かって大きな声で吼えた。


「逃げるなっ!逃げれば、その後ろの混じり者にわたくしにこんな不愉快な思いをさせた責任を取ってもらうわよっ!」


 そう言われれば、テレサはこらえるしかない。

「うっ、うううっ……うんんっ、」

 テレサは眉間にしわを寄せ、下唇を噛みしめ耐える。


「へへへっ」

 男は触り得だ。


 また吼えるリマナ。

「ふんっ!この売女ばいたの奴隷女がっ!少しは立場をわきまえなさいっ!」


 もはやカルミは何の関係もない、リマナのテレサに対する悪感情が噴き出している。

 調子づいてきた男はテレサの胸を掴みながら、さらにテレサに密着し、己の顔をテレサの顔に近づけていく。


「いやっ、やめてっ」

「だ、だまれっ。お、おとなしくしてるんだっ」

 男は目を充血出させて、鼻息も荒くなっている。

 しかし、その男の動きが突如こおった。

「!ヒッ!?」


 強烈な悪寒と重圧。テレサの体を触っていた男は突然、目には見えないふたつの鎖に体を縛られた。

 体を硬直させた男は、恐る恐るその目に見えない鎖がつながっている先へと、視線を下におろしていく。


 そこにはもっさりとした毛の塊が見え、

 さらにその少し下には、男を下からぬめつけるような光宿ひかりやど双眸そうぼう

 それはそれは恐ろしい眼光、男の魂を鷲づかみにするかのような力を放つふたつの目がそこにあった。


「ひぃぃぃっ」

 男の体がおこりのように震えだす。


 その目の持ち主はカルミ。カルミの目に、先ほどまで浮かべていた子供らしい涙は跡形も残っていない。

 カルミは小ぶりアフロを逆立てて怒っていた。


「おまえぇっ……テレサを……いじめたなあぁ」


 カルミは隠れていたテレサの後ろから、一歩踏み出してくる。と同時に、カルミは腰にぶら下げているメイスの持ち手に手をのばす。


「ひぐぅぅぅっ」

 テレサを触っていた男の顔は真っ青、叫び声をあげようにも声すら詰まっている有様だ。

ドサンッ

 男の腰が崩れ、その場に尻もちをつく。


 カルミと男の視線が合う。カルミはついにメイスの持ち手を強く握り、それを引き抜こうとした。


「や、やめなさいっ!カルミちゃん!」


 しかし、テレサがカルミを制止した。カルミは動きを止めるものの、その目は未だ無慈悲な戦士の眼光を放っている。


「……どうして?こいつテレサをいじめた」

「わっ、私なら大丈夫だからっ、ねっ、カルミちゃん」


 テレサが必死でカルミを制止するものの、それでもカルミは尻もちをついて動けなくなっている男をじっと見つめて離さない。獲物を狙う捕食者の目だ。


 男は体中から冷や汗を流している。声はまったく出ていない。

「!~~~!」

 男は、蛇に睨まれた蛙のような状態になっている。


 テレサは焦る。

「カ、カルミちゃんも旦那様から言われていたでしょ!」


 何をか?それは、カルミもテレサも、アンコウから城の連中、特にナグバルと関わりがある者と今はもめるなと、強く言われていたのだ。


「憶えているでしょっ?このお屋敷でけんかはダメなのよっ。カルミちゃん!」

 そう言われて、ようやくカルミの瞳の色に変化が生じた。


「………う~~ん、アンコウ言ってた………」

「ねっ、そうでしょ、言ってたでしょ。旦那様の言うことは聞かなきゃだめよっ。私は大丈夫だから、ねっ、カルミちゃん、ねっ?」


 そのテレサの必死の説得が、なんとか功を奏したらしい。


「………う~~……ん、んっ、わかった、テレサ」


 カルミは目に宿っていた戦士の光を消し、すっとメイスから手を離した。

それを見て、テレサはほっと息をつく。


「えらいわ、カルミちゃん…………」

 テレサの全身から、どっと冷や汗が流れ出てきた。

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