第84話 就職希望者

 アンコウは、今日も起きた時からイラついていた。

 イェルベンの空は、今日は天高く雲ひとつない青空。ただ、外に出て空見上げるだけで、気分が良くなる陽気だというのに。


「アンコウー、テレサと外にお昼食べにいくんだぁ。アンコウもいっしょにいこう」


 アンコウがいる部屋を廊下からカルミがのぞき込んでいる。


「いや、俺はいま忙しいから、二人で行ってきてくれ」

 アンコウは、カルミのほうを見ることもなく断った。


「ダメよ、カルミちゃん」

「あっ、テレサっ」

「旦那様は今お仕事中なの、さっ、早く用意していらっしゃい」

「はぁ~い」


 パタパタと、カルミが部屋の扉のあたりからいなくなると、テレサは部屋の中に入り、アンコウの近くまで歩いてきた。


「あ、あの、本当にまた二人で外出してきていいんですか」


 ここのところテレサは、カルミにせっつかれてという事もあるのだが、毎日のように二人で外出している。


「ん?ああ、かまわない。言ったろ?いつまでここにいられるかわからない。この街で行きたいところがあるんなら今のうちに行っといてくれ」


 アンコウがここ数日イラついている原因は、ハウル公爵からの御伝命により、どこにあるかもわからない土地の領主にされてしまったことだ。

 そのことは、すでにテレサも知っている。


 テレサは、アンコウの口から、

『もし、本当にそこに行くことになったら、テレサも連れて行く』と、はっきりと聞いた。

 それならば、テレサはアンコウについていくだけであり、アンコウと違って、悩んだりふさぎぎ込んだりすることなく、実に落ち着いたものだ。


(……旦那様には悪いけど、私はあまりこの街にはいたくない)


 テレサは、このあいだ参加させられたハウル公爵主催のいかがわしすぎる宴の衝撃が、今も強く心に残っていた。


 アンコウからは、もうあの宴に参加することはないと言われたものの、もし公爵に参加せよと言われたら断れないこともよくわかっている。

 当然、イェルベンにいるほうが、先日のような怪しい行事に誘われる可能性は高いはずだ。それを思えば、このイェルベンから出ること自体は悪いことではないと思っていた。



「テレサ。昨日も言ったけど、街に出たら、ついでに旅に必要そうなものも買っておいてくれ」


 よくわからない領地に行くなど、まったく気が進まないアンコウなのだが、一応準備はしておくつもりのようだ。


「あの、カルミちゃんの分も」

「ああ、カルミも連れて行く」


 カルミの戦闘能力はきわめて高い。アンコウはカルミが自分についてくるのなら、どこに行くにしても、カルミの利用価値は高いと考えていた。

 一方、カルミにずいぶんと情が移ってしまっているテレサは、アンコウとはまったく違う意味で、カルミとは離れがたいと思うようになっている。


―― テレサぁー、用意できたよぉー


「あっ、はぁーい。いま行くわぁーっ」


 アンコウが、気をつけてな と言うと、テレサは笑って会釈し、急ぎ足で部屋を出て行った。



 アンコウはハウルから御伝命を受け取って以来、ここ数日の間どうにもならないことで無駄にイラついている自覚はあるものの、気持ちを切り替えるにはまだ時間がかかりそうだった。


「………まったく何なんだよ。わけのわからない命令をしといて、ほったらかしかよっ」


 正直言って、アンコウはこれからどうしていいのかまったくわからなかった。縁もゆかりもない土地の領主になれと言われて、それっきりなのだ。


 ただ、この数日の間なにもしなかったわけでもない。

 頭にきたアンコウは、先日モスカルが多少の支援の要望は通るだろうと言っていたのを思い出し、一応自分の主君になったハウルに宛てて手紙を書いた。


 手紙の内容としては、

まず、領主なんかしたくない ということを、命令を拒絶しているように取られない様な言い回しで書き連ね、

それでもモスカルの態度から、何を言ったところでこの命令が取り下げられる可能性は低そうだということは感じていたから、

次に、どうしても領主の真似事をしなければならないのならば、自分は経験も才能もないことを強調しつつ、

潤沢な資金と、数も質も申し分ない兵隊と、寝てても勝手にその領地とやらの運営をしてくれる行政文官団を寄越せと、

それ以外にも思いつく限りの欲しいものを次々とあげ連ね、気がつけば、自分の欲しいもの要望書というようなものが書きあがっていた。


 そして、それを持って本当に城に行った。だけど、勢いだけで城に行ったところで、すぐにハウルに会えるわけではない。モスカルもつかまらなかった。

 そしてアンコウは気づく、自分はこの城に知り合いらしい知り合いなんていねぇと。


 妙に頭にきたアンコウは、通りすがりのちょっと偉そうに見えた文官服の男に、

「これを公爵様に渡しておいてくれっ!」と、無理やり押しつけて帰ってきたのだった。



「……あの手紙どうなったかな、感情に飲まれてバカなことをしたよ。そのまま捨てられてるかもしれないな……いや、捨てられてた方がいいな。……はあぁーー」


 アンコウは自分の感情まかせの稚拙すぎた行動に、ちょっと自己嫌悪していた。


「チッ、せめてモスカルに頼むべきだった……もっぺん書くかな、もうちょっとまともなやつを………」


 確かにアンコウはハウルの下につくことは受け入れたが、それでも何でもかんでも言うなりになっていたら、あのホモ野郎は面白半分で何を言ってくるかわかったもんじゃないと思っていた。


「…………といってもなぁ、何ができるってもんでもなし。どうしたもんか」


 アンコウはひとり、日当たりの良い部屋で、イライラもんもんと考え悩んでいた。




「アンコウ様、よろしいでしょうか」


 突然声をかけられ、アンコウが顔をあげると、開け放しになっている扉のところに、男の使用人が立っていた。


「ん?どうした?」

「あの、アンコウ様の御友人という方が訪ねてきておられるのですが」

「友人?」

「はい、冒険者のような風体のダッジという方で、女の獣人の奴隷を1人、伴っているようですが」

「ダッジがここに?」


 アンコウは瞬間少し眉をひそめて、なにやら考えを巡らし、首をひねる。

「ふ~ん、ダッジがね~」


 アンコウがこのイェルベンで偶然ダッジと出会ってから、すでに10日以上が過ぎている。

 アンコウは、そのダッジが突然この屋敷に訪ねてきたことについて、何やら思い当ることがあったらしく、口の端にニヤリと笑みを浮かべた。


(耳が早いな、ダッジのやつ。しかし訪ねてくるかよ)


「その2人、ここに通してくれ。椅子と茶の用意も頼む」

「はい、かしこまりました」



―――――



「本気で言ってんのか、ダッジ」

「ああ、本気だ」


 テーブルを挟んで、アンコウの真正面に座るダッジは、にらむような真剣な目でアンコウを見ている。

 ダッジは開口一番、お前の手下にしてくれと言ったのだ。

 その一言でアンコウは、ダッジが自分がグローソン公から知行地を賜ったということを知っていると確信が持てた。


(……まぁ、そんな話だろうとは思ったけどさ。いきなり頭下げて、手下にしてくれとはな……ダッジのあれも、くるところまできたって感じだな)


「で、どこで聞いてきた?……俺が、どこぞの御領主様になるかもって話だよ。早耳にも程があるぜ」

「…………」

 ダッジはアンコウから目を逸らすことはしないが、口は開かない。


「おい、ダッジ。手下にしてくれなんて言ってきたヤツが、いきなりだんまりか。お前ならどうするよ、そんなやつ手下にするかい?」

 アンコウは余裕のある口調で問いただす。


 一方、ダッジのほうは少し苦しげな表情をしている。あきらかにアンコウが言っている事のほうに利があり、ダッジも自分の望みをかなえるためには、答えないわけにはいかない。


「………デグというやつを知っているだろう、アンコウ」

「んん?デグ?…………あっと…確か…下男のデグのことか?」


 とっさにはわからなかったアンコウだが、この屋敷で掃除や飯炊きをしている下男に、そんな名前の男がいたことを思い出した。


「そうだ、そのデグだ」



 ダッジの話によると、ダッジはそのデグという下男に金を握らせ、この屋敷の情報を収集していたらしい。


 アンコウが、「いつからだ」「なんでそんなことをしていた」と聞けば、この屋敷の(アンコウの)情報を集めるようになったのは、先日アンコウと縞栗鼠亭しまりすていで会った直後から。


 ダッジは縞栗鼠亭しまりすていでアンコウに激しく侮辱されたのにもかかわらず、その前に聞いたアンコウとグローソン公のつながりの話から、グローソンの権力者と何らかの伝手つてができるのではないかと、アンコウに探りを入れていたようだ。


(たくましいというか、したたかというか、しつこいというか)

 アンコウも少しあきれるダッジの執念だ。


「………なるほどね。だけど、俺んところに来るのは見当違いだ。だいたい俺は御領主様になんかなるつもりはないんだよ、ダッジ」

「……断るのか?いや、断れねぇだろう、アンコウ」


 今のアンコウはすでにグローソン公の家臣となっている。常識的に言って、正当な理由なく主君の命令を断ることは難しいだろう。

 それにダッジは、このあいだ縞栗鼠亭しまりすていにて、アンコウとグローソン公とのこれまでの経緯を、アンコウが一部伏せておいたことを除いて、おおよそ聞いていた。


「お前は逃げて、逃げて、そして諦めてここにいるんだろう。今度逃げたら縛り首なんじゃねぇのか」

 ダッジは確信を持って言う。


「チッ」

(余計なことを話しちまったかな)


 アンコウは舌打ちをし、茶をひとくち口に運ぶ。そしてまた口を開く。


「いいか、この話はな、公爵の俺への嫌がらせみたいなもんなんだ。知行地をもらったなんていってもな、そこは山ん中の濃い魔素地帯かもしれない。もしかしたら、ただのゴミ捨て場ってこともありえるな………………」


 話しながらの思いつきで、濃い魔素地帯だのゴミ捨て場だのと言ったアンコウだが、いざ口にしてみると、

(………本当に可能性あるよな、あのおもしろがりならやりかねない………)

と、さらに不安が増してくる。


「……ふざけるなよアンコウ。コールマルだろうが。それも知っている」

「あん?」


「チッ、確かにあそこはグローソン支配下の北の辺境だ。ろくな産物は聞かねぇし、間違いなく小領だ。だからと言って、兵隊がいらねぇなんて平和な土地はこの世界のどこを探しもないだろうがっ。断るにしても、もうちっとマシなことを言え」


 アンコウは少し目を見開いて、ダッジの顔を見つめている。


「………なんだ。ほんとにあるんだな、そこ」

「ああ?」

 ダッジが訝しげな目でアンコウを見つめ返した。


「……お前まさか…コールマルがどこにあるのかも知らなかったんじゃねぇだろうなっ」

「知らん」

「くっ!ふ、ふざけんじゃねぇぞ、アンコウ!」

 ダッジが嫉妬含みの怒声を発する。


「んだよっ!コルマルか、おまるか何だか知らねぇけどな、んなところ、行ったことねぇんだよっ!」


「行ったことがあるなしの問題じゃねぇだろう!伝命が下りてから何日経ってんだっ!それぐらい調べとけっ!てめぇ、今日まで何してやがったんだっ!」


「な、なんだとっ!いろいろ俺もやってたんだよっ」

「いろいろって何だっ」

「…あぁ、て、手紙を書いたり、だ」

「アア?何の手紙だよ」

「………う、うるせぇ!そもそもお前には関係ない話だろうがっ!黙ってろっダッジィッ!」


 柄悪く、品のない口論がこの後もしばらく続いた。ダッジの後ろに控えていたホルガは、一言も口をはさむことなく、じっと立っていた。


―――――


 さすがにしばらくすると、声を出し疲れたのか、二人ともクールダウンしてくる。


「……チッ、なぁ、ダッジ。仮に俺がその御領主様になったとしてだ。所詮辺境の小領なんだろう。あんたそんなところに行って、俺なんかに下についてうれしいのか?」


 ダッジの顔が隠すこともなく歪む。


「………………今よりはマシだ。お前はグローソン公を嫌っているみたいだがな。グローソンの勢力は確実に増している。戦える人材はこれからも必要になるはずだ」


「あんたは俺の下につくことを成り上がりの糸口にするつもりかもしれないが、俺は戦争には極力参加するつもりはない。そのコールマルってところがある辺境は、公爵が主戦場にしている前線から程遠い場所なんだろ?そんなとこ行ってどうするつもりなんだ」


「言ったろ?今よりはマシ、だ。このままの状態じゃあ話にならねぇんだ。今のままいくつ戦場を巡り歩いて、ちょっとした戦功を立てたところで、俺は使い潰しの流れ者のままだろう。いいとこ高給取りの傭兵隊長だ。

 悔しいがな、アンコウ。今の俺は、お前にも剣をもって敵わねぇ。俺には単身、成り上がるだけの力が足りねぇ、それは認めるしかない。だったら賢くやるしかない。

 まずは下の下でも、下の下の下でもかまわない、グローソンの内側に入る。そこから始める」


「……わからないな。元騎士の家門っていっても、言っちゃ悪いが大した御家おいえでもなかったんだろう。何でそんなに必死になって、御家再興なんてことがしたいんだ?」


「さぁな、俺にもよくわからん。ただ俺はそれを欲している。まぎれもねぇ俺の欲だ。無論、雇ってくれたら、その責任は果たす。お前のために汗も血も流す。ただ、もし機会があれば、俺は少しでも上を目指したい」


 これが隠すところのないダッジの野心なんだろう。それを聞いてアンコウは、おとこだねぇダッジ と思った。


「……………そうか。わかったよ、ダッジ」

「ア、アンコウっ、じ、じゃあ、」


「ああ、ダッジ、がんばってくれよ………ただし、俺がいないところでな。近くにいられても鬱陶しいから」


「!くくっ!アンコウてめぇえ!」


 結局アンコウはダッジの願いを最後まで受け流し、相手をするのが面倒になった時点で、丁重にお引き取りいただいた。

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