第49話 突然の迷宮

「おい、カルミ。ここのどこに道があるんだ」


 小一時間ほど、森の中の道なき道を歩かされたアンコウが、さすがに少し不機嫌そうに問う。


 アンコウの目の前にあるのは森の中の小さな池。自分が歩いてきたところも、池のまわりも全部、木々が生い茂っている。

 しかし、ここまでアンコウを案内してきたカルミは、この池の前で 「ここ」 とだけ言って立ち止まった。


 アンコウが聞いても、カルミは口をもごもごさせるだけで何も言わない。

 家を出てからここまでの道中も、アンコウが話しかけてもカルミは、あまりまともには答えてくれず、途中からはアンコウも話しかけるのをやめてしまった。


 しかし、ここまで来てしまった以上、アンコウもこのまま元来た道を戻る気にはなれない。



「……カルミ、どうしてこんな意地悪をするんだい?『秘密の道』を教えてくれるって言ったのに、ウソはだめだろう?」


 アンコウは苛立ちを抑えて、猫なで声で言う。しかし、カルミは黙っている。


(チッ、死んだ爺さんとの約束ってやつか。面倒だな)


「カルミ、ウソはついたらダメだって、じいちゃんは言わなかったか?」

「………ウソついてない」


 カルミはそう言って、前に歩き出す。カルミは池の近くまで行って足を止める。


「……ん?その岩がどうかしたのか」


 カルミの後ろを付いていったアンコウが、カルミに聞く。カルミの目の前には大きな岩がひとつあった。

(別に何も感じない。普通の岩だよな)

 アンコウには、それはただのでかい岩に見える。


「ここ」 と、カルミがまた言いながら、目の前の大岩に手をあてる。

「えっ、何だ!?」


 カルミが大岩に手をあててしばらくすると、それまで感じられなかった力の波動が、その大岩から噴き出してきた。


(何かの術が作動した!?)


 アンコウにはどういったものかまではわからないが、間違いなく何かの法術が作動したことはわかる。


「な、何だその岩!」


 どうやらこの大岩そのものに何かの法術が組み込まれていたようだ。

 アンコウが思わず柄に手をやり、身構えていると、カルミの視線が岩の横に移る。アンコウもそれにつられるように視線を移すと、


「な、何だ……」

 大岩の横の何もないはずの空間が、大きく波打つように揺らいでいた。


 アンコウが呆気にとられながら、それを見ていると、不意に目の前の空間の揺らぎが消えた。

「あっ、」

 アンコウが小さく驚きの声をあげ、視線を移す。

 カルミが大岩から手を離していた。


「あれがひみつの道」

 カルミはそう一言いうと、すぐに大岩の前から離れようと動き出す。


「お、おい、カルミ!ちょっと待って!どこに行くんだ?」

「もう見たから帰る」

「!!」


 どうやらカルミは本当に見ただけで帰るつもりらしい。アンコウが予想していたものとはまったく違う『ひみつの道』。


 しかし見てしまった以上、このまま立ち去るには今アンコウが目にした光景はあまりに興味深すぎた。

 好奇心猫をも殺す。慎重派であるはずのアンコウでも、人は生きている限りその地雷から逃れることはできないようだ。


「ま、待てよ、カルミ。確かに見るだけとは言ったけど、いまのは短すぎるだろ?ここまで何時間歩いてきたと思ってんだ?頼む!もう少しだけ見せてくれよ」


 アンコウがそう言って、拝み手でカルミに頭をさげた後、ニコリとカルミに笑って見せた。


「…………」

 足を止めたカルミが、子供らしからぬ渋面でアンコウを見る。


「頼むよカルミ、よく見えなかったんだ」

 アンコウがカルミに微笑みかけながら、また頭をさげる。


「……もう少しだけ、なら……」

「おお!ありがとう!」


 アンコウは大げさにカルミにお礼を言って、カルミの体を大岩のほうに押し返した。そしてカルミはしぶしぶといった感じながら、もう一度大岩に手を置いた。


「………おおっ、来た来た」


 再び大岩の横の空間が揺らぎ、波打ちはじめる。


 アンコウは、このような現象をこの世界に来てからも見たことはない。

 しかし、カルミが秘密の道と言っている以上、あれがどこか別の空間につながる扉のようなものかもしれないと思った。


 アンコウはじっと見つめているが、その空間はただ揺らいでいるだけで、向こう側の景色は何も映していない。


(とりあえず、ちょっと確認ぐらいはしとかないとな)


 そう考えたアンコウは、カルミに許可を取ることもなく、何の躊躇ちゅうちょもなしに、その揺らぎに近づいた。


 祖父との約束を破り、ここに人を連れてきたことに心乱されていたカルミが、そのアンコウの動きに気づいたときはすでに遅く、


「あっ、アンコウだめ!」

「えっ?」


 アンコウの左手はすでに、その揺らぎにわずかながら触れてしまっていた。


「アンコウ!それに触ったらダメッ!」

「なにっ!?」


 アンコウは、カルミのその真剣な声と表情に瞬時に反応し、その場からとっさに離れようと体を動かす。

 しかし、わずかに揺らぎに触れてしまっていたアンコウの左手が動かない。それどころか、少しずつアンコウの左手が揺らぎの中に引き込まれ始めている。


「な、なんだっ。ぬ、抜けないっ!」

 その状況に焦りだすアンコウ。

「お、おいカルミっ!手が抜けないんだっ!どうなってる!?」


「それに触ったらダメ!」

 カルミは、もう一度叫ぶように言うがすでに遅い。


 アンコウが揺らぎの中に引き込まれるスピードが少しずつ増していく。


「だめだっ!引っ張り込まれるぅう!」


 アンコウの顔が、恐怖まじりの必死の形相になってきた。

 カルミはすでに大岩から手を離している。しかし、さきほどとは違って、空間の揺らぎと波打ちは消えない。

 まちがいなく、その原因は今情けない声を出しているアンコウだろう。


「やばいっ、カルミ何とかしろ!」


 まさに油断大敵。軽々しく軽率な行動をとるからである。しかし、どれほど慎重な人間でも、24時間隙無しなんてできやしない。

 アンコウの言葉に反応して、カルミがアンコウに駆けより、アンコウの体をつかみ、自慢の怪力で引っ張り始める。


「うーん!!」

「い、痛てぇ!う、腕がちぎれるっ!」


 しかし、アンコウの腕はまったく抜ける気配もなく、ただアンコウの苦痛を訴える声が宙に響く。


「があぁーっ!何やってんだ!カルミっ!」

「うーん!!」

「ひっ、引っ張るんじゃねぇーッ!痛てぇ!」


 アンコウは喚きながらも、どんどんどんどん揺らぎの中に引き込まれていく。

 そして、アンコウの左腕のすべてが揺らぎの中へと消え、胴体の一部も揺らぎの中に飲み込まれた時、アンコウを揺らぎの中に引き込む力が一気に強くなった。


「ふわあああぁぁぁーーっ!!!」


 アンコウの体が一気に揺らぎの中へと消えていく。


「アンコウ!!」


 アンコウの体が引き込まれた勢いで、カルミの足が宙に浮く。しかし、カルミはアンコウの体を持つ手を離さない。


「うぅーーーー!!!………」


 カルミの体も揺らぎの中へと消えた。



 ………とある魔素の森の中、大人の男と子供が一人。

 名も無き池のそばに鎮座する大岩があり、その大岩の横の何もなかった空間に突如出現した不思議な波打つ揺らぎ。

 そして気がつけば、その揺らぎのまわりには誰もいなくなっていた………。


――― ギョォーーーーゥ

…………… 森の中に響く魔獣たちの声が、森の木々のあいだを巡る風とともに、名も無き池の水面みなもをほんのわずかに揺らしている


―――


 ああ、ふと目を大岩に戻すと、アンコウとカルミが吸い込まれた波打つ空間の揺らぎも消え去り、何もない元の状態に戻っていた……。





「痛つつ」


 地面に尻もちをつき、腰の辺りをさすりながら、アンコウが頭を振っている。


(……何だここ)

 痛みのおさまったアンコウが、無言のまま立ち上がる。


 アンコウの目に映る光景。それはアンコウがさっきまでいた緑の木々の生い茂る森の中とはまったく違う。

 周囲を眺めるアンコウの目が、自然、厳しいものに変わる。


 アンコウが今居る場所。それは当然アンコウが一度も来たことがない場所なのだが、同時にアンコウにとって馴染み深い場所でもあった。


「……迷宮か……」


 周囲を岩や土で囲まれ、いたるところにある発光石がほのかな光を提供している魔素漂う空間。

 アネサの迷宮での魔獣狩りを生活の糧としていたアンコウにとって、懐かしくもあるが、それ以上にその恐ろしさも知っている場所。


「くっ、なんで迷宮にいるんだっ!?」


 思わずアンコウは叫ぶ。アンコウはすぐに今の状況を理解することができない。


ジャリッ

 アンコウのすぐ近くで、砂を踏む音がする。

 あの不思議な空間の揺らぎを通って、この場所に落ちてきたのはアンコウひとりだけではない。

 はっとしたアンコウも、その存在を思い出す。


(あのガキっ)

 アンコウが視線を移した先には、カルミが立っていた。


「おい、カルミ!ここは何だ!何で迷宮にいるんだっ」

「知らない」

「ああ?知らないって何だよ!」

「カルミもここに来たのは初めて。じいちゃん、絶対このひみつの道に入ったらダメだって言ってた」

「なんだそれ!もう入ってるじゃねぇか!」

「アンコウは見るだけって言った。勝手に入ったのはアンコウ」

「外からは見えなかっただろっ!それにちょっとあれにさわったら引っ張りこまれたんだよ!何で先に言わないんだっ!」


 しばしアンコウとカルミの不毛な会話が続いた。



「………道って、これ迷宮だろうが」


 結局カルミも、この迷宮のことについてはほとんど何も聞いていなかったようで、少し落ち着いてきたアンコウは、それ以上カルミを問いただすことをやめた。

 ただ、

「なぁ、カルミ。この迷宮は本当ににつながっているのか?」


 アンコウはカルミが話したことで、唯一気にかかったことを確認する。


「じいちゃんは、ひみつの道はにつながっているって言ってた」


 国ねぇ、とアンコウは考える。

 カルミも、どこの何の国かは聞いていないみたいだが、もしかしたらイサラス山脈の向こう側にある人間の国につながっているかもしれないと、アンコウは一瞬思った。


 しかし、行き当たりばったりで未知の迷宮をほっつき歩くなど愚の骨頂だと、アンコウはひとり首を振る。


「まぁ、もういいや。カルミ、とりあえずここから出よう」


 迷宮の怖さはよく知っているアンコウとしては、何の情報もない迷宮に長居する気などまったくない。

 しかし、ふとアンコウがあらためて自分たちがいる周囲を見渡してみても、自分たちが引っ張りこまれてしまった大岩の隣で見たような空間の揺らぎはどこにも見当たらない。


「………カルミ、ここからどうやって出るんだ?」

「知らない」

 と、簡潔に答えるカルミ。


「えっ………………」

 口を半開きに思わず固まるアンコウ。

 そして自分がいま置かれている状況が、想像以上に悪いことにようやく気づく。


「そ、それも、知らないぃぃぃ!?」


 その後、再び感情的になり取り乱したアンコウがカルミを問い詰めるが、カルミは本当に何も知らないようで、結局、

「アンコウが勝手に入った」 ということになった。

 

「く、くそっ!……これはまずいぞ……」





 アンコウとカルミは、意図せず入ってしまった迷宮の中をふたり並んで歩いている。


(仕方がない。とにかくここから出ないと)


 アンコウはアネサの迷宮において、通常浅い階層を中心に活動していた。

 迷宮は千差万別で、浅い層でも安全だと言い切ることなどできないのだが、いまアンコウが感じてる魔素は、アンコウが活動していたアネサの低層よりも明らかに濃い。

 それだけ強い魔獣が活動している可能性も高いということだ。


 アンコウは歩きながら、ふと腰の剣に目をやり、おもむろに鞘を握る。

(大丈夫だ。いまの俺にはこいつとの共鳴がある)


 アンコウが最後にアネサの迷宮に潜ったときには、アンコウはまだ呪いの魔剣との共鳴の力を手に入れていなかった。

 今なら、アネサの迷宮で相手をしていた魔獣どもより、強い者が出てきたとしても、十分相手にできる自信がアンコウにはある。


 ただ、いずれにしても迷宮とは常に死と隣り合わせの場所。

 アンコウは少しでも早くこの迷宮から出るために、上へと続く道を求めてすばやく探索を始めていた。



(そろそろ歩き始めて、2時間近くにはなるはずだ。このまま魔獣どもと遭遇しない時間が少しでも長く続いてくれたらいいんだけど)


 しかし、残念ながらこの魔獣どもの住処たる迷宮で、いつまでも彼らに出会わないなどということはありえない話。

 そして、ついに彼らの存在を察知したアンコウの足がピタリと止まる。


バサバサッ、バサバサッ、

 いくつもの羽音とともに、前方にある横道の暗がりの中から、魔獣どもが姿を現す。


 アンコウたちの目の前に現れた魔獣は、大きいボール状の体を持ち、コウモリのような形状の黒く大きい一対の羽が生えている。

 さらに、そのボール状の体の下の部分からは、タコの足のような触手が何本も生え、蠢いていた。目は退化でもしているのか実に細く小さい。

 しかし目の小ささに反して、ボール状の体を二分するかのような大きな口を持っていた。


 その魔獣どもはアンコウたちの存在を確認すると、大きく鋭い歯を持つその口を汚らしくヨダレをたらしながら開く。

 アンコウたちの前方に浮くその魔獣の数は、全部で5体と少し多い。


(……何だあれ、見たことない魔獣だな)

「カルミ、あれは何だ?」

「まんまる羽つきウニョウニョ足」


(……そのまんまだな、おい)

「……戦ったことは?」

「ない。初めて見た」

「くっ、お前も初めてかよっ」


 子供とのコミュニケーションは難しいと再認識しながら、アンコウは気持ちを切り替え、警戒心を高めていく。

 どのみち目の前に立ちふさがる『まんまる羽つきウニョウニョ足』どもとの戦闘は避けられそうもない。


(初顔の魔獣相手に、考えなしに真っ向勝負なんてごめんなんだけどな……)

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