第22話 仕合いが死合いに

 突然アンコウたちがいる中庭に、1人の男が屋敷の中から息を切らしながら飛び出してきた。


「ハァ、ハァ、ガ、ガルシア様、お久しぶりにございます」


 そして、その男はガルシアに深々と頭をさげている。アンコウはその男の顔に見覚えがあった。

 アンコウが例の魔剣と共鳴を起こし、魔剣酔いといわれる状態となってしまい、自分の中から湧きあがる興奮に飲まれるままに軟禁されていたこの屋敷を抜け出そうとした時、アンコウを追いかけてきたダークエルフの男だった。


「あのダークエルフ、あの時の……」


 そして、その男のうしろには、先程までこの中庭にいたアンコウの見張り役の男がついてきていた。

 ガルシアに頭をさげているダークエルフの男は、数日前のアネサ攻防戦が行われている時、この屋敷の留守居役を命じられていたことからも、この屋敷での地位は高いはずだ。


「おお、ビジット!来たか!」


(……あいつがビジットなのか)

 アンコウは少し真剣な目つきになり、ガルシアたちのほうを見ている。


 ビジットは、そのままガルシアに対して挨拶を続けている。

 ビジットの声はガルシアほど大きくなく、アンコウにはその内容まではわからなかったが、ビジットがガルシアにかなり気を使っている様子なのは見てとれた。


(ガルシアは、あのエルフの従僕だって自分で言っていたからな。グローソンでの地位もそれなりにあるのかもな)


 エルフはこのウィンド王国の支配種族。ガルシアの主であるゼルセはそのエルフであり、ゼルセのグローソンでの立場がどのようなものであれ、軽く扱われているはずがない。

 ガルシアは、そのゼルセと共に行動しているような従僕だ。ビジットあたりでは、従僕のガルシア相手にも頭が上がらないのだろう。


(まぁ、あのエルフの従僕じゃなくても、ガルシアのやつはとんでもなく強いからな)


 この世界では、アンコウが元いた世界よりも純粋に個の強さというものが尊ばれ、実際にこの世界で個が持ち得る戦闘能力の高さというものは驚くべきものがある。

 

 アンコウはその場から動かずに、2人の様子をうかがっている。そして、そのアンコウのすぐ後ろには、テレサが控えていた。


 アンコウが、じっとガルシアとビジットの2人を見ているのに対して、テレサはチラチラとアンコウのほうに恨めしそうな目をむけてきていた。

 さっきテレサがガルシアにからまれていた(?)時に、アンコウが何もしてくれなかったことに不満を感じているらしい。


 アンコウはその視線に気づいてはいるが、ただ、(……鬱陶しいな)くらいに思っていた。

 アンコウは、これからここで起こるだろう事をなんとなく予想ができていた。それを思えば、ちょっと体を触られた程度のテレサの不満につき合っている余裕はない。


 テレサを無視して、アンコウがじっと見つめる視線の先で、


「し、しかし、あれは!」

「いいから持ってこい。これ以上同じことを言わせるな」


 ガルシアににらまれて、ビジットは口をつぐんだ。アンコウは黙って、その成り行きを見守っている。


「ビジットよ。私がいるのだぞ。何の問題がある」

「は、はい、」

 ビジットの顔にはまだ逡巡がある。

「それにこれはゼルセ様の命をうけてのことだ」

「ゼルセ様の……わかりました」


 ビジットはようやく何事かガルシアに同意すると、ガルシアに頭をさげて、再び急ぎ足で屋敷の中に入っていった。

 ガルシアはビジットがいなくなっても、もうアンコウたちに話しかけてはこなかった。アンコウの心の中で少しずつ緊張感が高まっていき、心臓の鼓動が大きくなっていく。


(あいつは……取りに行ったんだろうな)


 アンコウは急いで屋敷の中に戻っていったビジットのことを思う。

 ビジットが屋敷に消えてしばらくの時間が過ぎても、アンコウの視線の先に一人いるガルシアは、ごく自然な態度を崩すことなくただそこに立っていた。アンコウは、これから自分があの男に要求されるであろう事の察しはついている。


(拒否しても無駄だろうな、あのエルフの命とか言ってたし、)

 ハアァァー、とアンコウは腹の底から大きなため息をついた。


「あ、あの旦那様、どうかしましたか?」


 さすがにテレサもアンコウの様子がおかしいことに気づき、少し心配そうに尋ねてきた。アンコウは声をかけてきたテレサのほうを見る。

 テレサはアンコウのすぐ後ろに立っている。アンコウが見つめるテレサの目からは、先ほどまでの恨めしげな色は消えていた。


(テレサを一晩すきにしてもいいって言ってもだめだろうな。あのオッサン、そういうところは堅物そうだ)


 テレサの顔を見て、よからぬ事を考えたアンコウの視線に何か嫌なものでも感じたのか、テレサは怪訝けげんそうな顔をして少しアンコウから身を引いた。


「……はあぁぁーっ、」

ピシャッ!

 アンコウはもう一度ため息をついてから、自分に気合いを入れるように軽く頬を両手でたたいた。

 そしてアンコウは、そのまま目をつぶったまま動かない。


(仕方がないな。何たって虜囚の身の上だ。ハナから選択肢なんかないんだ)

 アンコウは意を決したように顔をあげ、空を仰いだ。

(……ああ、そうか。今のおれは自由じゃないんだな)


 そう、自由のない者に選択肢など存在しない。アンコウは見上げる空の雲が、やけに遠くに感じた。


「旦那様?」


 アンコウは、再び呼びかけてきたテレサの顔を再びジッと見る。そしてアンコウは、その視線をテレサの体のほうに移す。

(ああ。そういえば、最近女を抱いてなかったな)

 アンコウは久しぶりに女の体に惹かれる感情をおぼえていた。


 テレサはそのアンコウの目の色の変化の意味をすぐに察知して、少し身を縮こませる。アンコウはテレサの体から目を離して、今度はテレサと目を合わせつつ、やわらかな笑みを浮かべた。


 はたから見れば、特別いやらしさを感じるような笑みではなかったが、テレサはアンコウのその目に浮かぶ熱の意味をきちんと理解していた。

 理解したうえで、テレサはアンコウに優しく微笑み返した。


・・・・・・・・・・・・・


「ガルシア様、お持ちしました」

 再び屋敷の中から現れたビジットが、ガルシアの前に立つ。

「うむ」

 ガルシアは太く毛深い手を伸ばし、ビジットが差し出した物をつかみ取る。


 それは塗りが少し剥がれかけた赤鞘の剣。アンコウもガルシアが手にしたその剣をじっと見つめている。


(……やっぱりな) 

 アンコウ予想どおりの展開だが、どうしようもなく気が重くなるのは止めることができない。


「……ガルシア様」

 ビジットは、先日アンコウがこの剣を手にしていた時のことをその目で見ているし、その後の戦場での事も、すべて報告を受けて承知していた。

 ビジットは、なぜガルシアがアンコウとこの魔剣のことを知り得たのかはわからなかったが、この方たちならどこからでも情報は入ってくるのだろうと思っていた。


「なぜかはわかりませんが、あやつはこの剣を持つと力が増し、狂うかもしれません」

「心配するな。どのようになろうが私が抑える。それにこのあいだのような狂い方は恐らくしないだろう」

「…はっ、」

 やはり知っているようだとビジットは思う。


「それに正確には狂うのではなく、あれでも共鳴なのだがな」

 ガルシアはビジットの前から離れ、アンコウのほうに足を踏み出しながら言った。

「なっ!共鳴!」

 ビジットは共鳴であるとは思っていなかったのか、ひどく驚いていた。


 あの赤鞘の魔剣は呪いの魔剣。以前試しにその剣を抜いた者たちの変化と比べても、アンコウだけが特異な影響を受けていた。

 そもそも本来呪いの魔武具の影響を受けて、その使用者の力が増すことなどない。使用者の能力に負の影響を与えるからこその『呪い』なのだから。


 ビジットもおかしな事であるとは思っていた。

 しかし、それでもすぐにアンコウの戦闘能力が増した理由が呪いの魔剣との共鳴の結果だとは思わなかったのは、それだけ呪いの魔剣との共鳴を起こす者が珍しいからだろう。


 アンコウは呪いの魔剣と共鳴を起こし、抗魔の力が増したことで戦闘能力が大きく向上したが、同時に人格を含めたアンコウの精神に大きな変容をもたらした。


(呪い憑きの魔剣であることに違いはない)

 ガルシアが知っている他の魔武具との共鳴者が、このあいだのアンコウのような物狂いのようなザマになったということをガルシアは見たことも聞いたこともなかった。


 まれに現れる共鳴者のなかで、さらに一部の者に起きるという魔武具に酔うという初期症状を考慮に入れても、このあいだのアンコウの様子はやはり異様だった。

 アンコウの場合、誰が見ても、酔うというよりも明らかに狂うというほうに近かった。


(ゼルセ様は、魔剣に宿る呪いといわれている力の影響だろうとおっしゃっていた。力は増すが人格に変質を伴うか。

 魔剣酔いによる一時的なものでないのなら魔剣酔いがおさまったとしても、その影響が完全になくなりはしないだろう……さて、それがどの程度のものなのか)


 ガルシアは赤鞘の魔剣を持って、アンコウの前まで歩いてきた。


「貴様も共鳴を起こした魔剣が呪い憑きとはな。因果なものだ」


 アンコウはガルシアが手にして持ってきた赤鞘の魔剣を見る。

 呪い憑きで、つくられた時から一度も決まった持ち主がいないボロい魔武具。仮に呪い憑きでなかったとしても、そこまで優れた魔剣というわけでもない。


 誰に惜しまれることもなく、しかし、たまたま処分されることもなく、倉庫に眠っていた剣。


 アンコウは、初めてあの物置部屋でこの魔剣を見たときほどではないが、今もこの魔剣を目にしていると、なぜか妙に惹きつけられる力を感じてしまう。

 しかし今のアンコウは、この魔剣との共鳴が自分にどんな変化をもたらしたのか、完全に記憶している。


「因果だろうが何だろうが、その剣を抜かなきゃ問題ないだろう」


 そう言ったアンコウに、ガルシアは手に持った剣をさしだしてきた。アンコウは、あからさまに眉をしかめてみせる。


「少々つき合ってもらおうか。貴様にはこれを持って、私と手合わせをしてもらう」

「……一応聞くけど、おれに拒否権はあるのか?」

「ゼルセ様の命をうけてきたが、先日のことを思い出せば楽しみでもあるな」


(……この野郎。おれの意見は全然聞く気がないな)

 はあぁ、アンコウはため息をつきながら頭をかく。

「おれに戦いを楽しむ趣味はないんだ。いくら強くなっても、頭がおかしくなるのはごめんだ」


 アンコウが命を賭けて剣を抜くのは金のため生活のためだ。しかし、あの剣を抜いて戦っていた時のアンコウは違う。

 命を賭けて戦うこと、人を斬ることにひどく興奮し、ある種の快感すら覚えていた。

(あれはおれだが、おれではない)アンコウはそう思っている。


「吐き気はおさまっているか?」


 ガルシアはアンコウに、突然そう言ってきた。アンコウは何のことかと怪訝けげんそうに首をかしげる。


「貴様、ゼルセ様から光の精霊球をその体の中に入れられた後、妙な吐き気が続いていたはずだが」

「……ああ、あれのことか」


 アンコウはすっかり忘れていたが、確かにあのエルフから精霊法術をうけて気を失い、目が覚めた後、広場で剣を振るっている間中、胸に何とも言えない違和感を感じ続けていて、アンコウはずっと嘔吐えずいていた。


(ここで目が覚めた時にはなくなっていたから、すっかり忘れてたな)

「あれならとっくにおさまってるよ。そう言えば、あの光の球は何だったんだ?」


「魔剣酔いの症状は共鳴を起こした者すべてに出るわけではないし、出ても初めのうちだけだ。

 遅かれ早かれいずれおさまるのだが、ゼルセ様が貴様にしたことは、いうなれば不協和音を発している貴様と魔剣との共鳴をより早く正常なものにするための手助けをされたのだ。

 あの吐き気はその副作用のようなものだ。それがなくなっているのなら魔剣酔いもおさまっているはずだ。貴様がこの剣を抜いても、このあいだほどまでのひどいザマにはなるまい」


 アンコウはそう言われても、ガルシアが差し出す剣をすぐに取ろうとはしない。


「今、あんたが言ったことで2つ聞きたいことがある」

「ふむ。それに答えればこの剣を取るか?」


 アンコウはガルシアの顔を見て、口元に皮肉な笑みを浮かべる。


「その剣はどっちにしても取らないといけないんだろう?」

「………ふむ。いいだろう、もう少しおしゃべりにつき合ってやろう」


 ガルシアはアンコウに差し出していた赤鞘の魔剣をまた下にさげた。ガルシアは、アンコウに話すように目で促す。

 それに応じて、アンコウは話し出した。


「あれほどまでのひどいザマにはならないって言ったよな、それじゃあ、ある程度まではなるということなのか?」


「それはわからん。あの時の貴様の物狂いぶりは、単に共鳴による魔剣酔いによってのみ引き起こされてたものではない。恐らく、呪いの魔剣の呪力作用が貴様に与えた影響がまずあって、それに共鳴を起こしたことによる魔剣酔いがさらに影響を与えたのだとみている」


「………魔剣酔いはおさまっても、呪いの影響はどの程度かは残るということか?」

「そういうことだ。それがどのようなものかを確認したいということもある」

「なぜだ、何でそんなことの確認がしたいんだ」

「知らぬ。知らんがゼルセ様の命だ。興味があるらしい」

「……興味ね、…まさか単なる暇つぶし何じゃないだろうな」


 ガルシアは何も答えない。


「……まぁ、いいよ。一応あれは助けてもらったうちに入るんだろうからな」

 アンコウは光の球が入っていった胸をさすりながら言った。


「じゃあ、もうひとつだ。今も言ったが、なぜ俺を助けるようなことをしたんだ?」

「なに、通りすがりの気まぐれだ」


 アンコウはそれを聞いて、勢いよくボリボリと頭を掻いた。

「はぁ、暇つぶしに気まぐれか……」

 なるほど噂に聞く通りのエルフだと、アンコウはため息をつくしかなかった。


「アンコウよ、おしゃべりはそろそろ終わりとしよう」


 ガルシアは赤鞘の魔剣をアンコウの目の前に突き出した。

 アンコウは再びその魔剣を見つめる。アンコウは仕方がない、と覚悟を決めたようだった。


「知らねぇぞ。あんたが責任とれよ」

「余計な心配はいらんぞ。貴様は全力でやればいい」

「……おれは殺し合いをする気はないんだからな」

「私も貴様を殺しにここに来たわけではない。が、それも貴様次第ではあるがな」

 ガルシアは、ニヤリと笑いながら言った。

 アンコウは嫌そうに眉をしかめて、「チッ」と大きな舌打ちを鳴らした。


 そしてついにアンコウは、ゆっくりとその魔剣に手を伸ばして受けとった。

 例の魔剣を手に取ると、ドクン、ドクンとアンコウの心臓の音が高鳴るが、アンコウはこのあいだと違い、その胸の高鳴りを理性でグッと抑える。


 そして、いきなり剣を抜くようなことはせず、剣を左手に持ち替えて、赤鞘に入ったままの状態で下にさげ、フウーッ、と大きく息を吐いた。


「テレサ、屋敷の中に入っていろ」

 アンコウは正面を向いたまま言った。

 テレサはアンコウの少し斜め後ろに立っていた。アンコウとガルシアのやり取りは、すべて聞こえていた。


「で、でも、旦那様、」

 テレサの目はアンコウの左手に握られた魔剣にそそがれている。

「いま呪いの魔剣だって………それに、戦うんですか?」

 テレサの声色に心配と怯えの響きが混じる。


 テレサはアンコウの奴隷となって、この4ヶ月半、何度もアンコウが魔獣たちの住処である迷宮へと赴くのをあの家から送り出してきたが、実際に剣を振るい戦っている姿を見ていたわけではない。


 正直に言えば、戦いの素人であるテレサにも、アンコウがいま目の前にいる巨躯の獣人ガルシアよりも強いとはとても思えなかった。


「……テレサ」

 アンコウが体をよじり、顔だけをテレサのほうに向けた。

(あっ、)テレサは目を少し見開く。


 振り向いたアンコウの目は、先ほど同様に熱を帯びていた。しかし、それはさっきのものとは違う。

 先ほどのアンコウの目にこもっていた熱は、真っ直ぐにテレサに対してむけられており、それはテレサがこれまでに何度もベットの中で見たことがある同じ種類の熱。


 しかし、今のアンコウの目の奥に揺らいでる炎がどういう意味を持つものなのか、すぐにはテレサはわからなかった。

 アンコウはテレサから目を逸らさない。テレサも目を逸らすことなく、アンコウを見つめている。


「あっ、」 何に気づいたのだろう。突然テレサは少し怯んだ様子をみせ、アンコウから目を逸らした。


 アンコウは熱を帯びた目でテレサのほうを見ているが、その熱は決してテレサの心に延焼し、テレサの心を熱く燃やすたぐいのものではない。

(嫌だ、怖い、) 

 テレサは、アンコウが自分を見ているようで見ていないような、何とも言えない不安感を覚えた。


「テレサ、危ないから屋敷の中に」

 アンコウはもう一度言った。

「は、はい!」



 アンコウは少しうしろにさがり、ガルシアとの距離をあける。ガルシアは今いる場所から動こうとはせず、じっとアンコウを見ている。

 ガルシアの横に立っていたビジットが後ずさりをするようにガルシアの側から離れていく。


 ガルシアの全身からすでに覇気という名の圧が溢れ出しているようだった。

 そして、ここにいる誰よりもアンコウがその覇気を強く感じており、逃げ出したいという衝動に襲われる。


 しかし、同時にアンコウは赤鞘の魔剣を持つ左手から、少しずつ全身に熱がまわってきているような感覚も覚えていた。

 そしてアンコウはガルシアと適度な距離をとると、その場にしっかりと立ち、真っ正面からガルシアを見据えた。


 アンコウは自分の中にあるためらいを振り切るように、一気に剣を引き抜く。

 ドクッ、ドクッ、ドクッ、戦う覚悟を決め、剣を引き抜いたアンコウと赤鞘の魔剣の共鳴がなされるのに時間はかからなかった。


 アンコウが抜き放った剣先をガルシアにむけた時には、アンコウは白い歯を見せ、ニヤァと笑っていた。

 アンコウは、さらに大声をあげて笑いたい衝動にかられるが、それでは狂人だと、グッと理性で抑える。


 しかし、戦うと決めた以上、アンコウは剣をふるうことに何のためらいも感じない。アンコウは抜き放った魔剣を手に一気に走り出す。

 それを迎え撃つガルシアも、楽しそうに野獣の笑みを浮かべていた。


「は、早い!」

 走り出したアンコウを見て、ビジットが思わず声をあげる。


ギャンッ!

 凄まじい速さでガルシアとの距離をつめたアンコウは、その勢いのままガルシアを斬りつけた。しかしガルシアは余裕をもって腰の大剣を抜き合わせて、アンコウの剣を受け止める。


「酔いが覚めてもスピードは変わらぬようだな、アンコウよ。ふふっ、バカ笑いはしないのか?」

「ぬかせ」

 アンコウは再びニヤリと歯をみせる。

(……やばいなぁ、やっぱりどうしようもなく楽しい)


 このあいだのような心のシンまで汚染するような高揚感はないが、赤鞘の魔剣を引き抜き、共鳴を起こしたことが、間違いなくアンコウの精神に影響を及ぼしていた。


「クッ、クッ」

 アンコウが小さく笑う。


「ふん!」

 ガルシアは力を込めて合わせた剣を押し返した。

 アンコウはその力に逆らうことなく、大きくうしろに飛びさがる。


ズザザアァッ!


「さぁ、どんどん来い!酔いが覚めた貴様の力を見てやろう!」

「クッ、クッ、クッ、ああ」


 そのガルシアの言を聞いて、再びアンコウは全力で走り出す。そしてアンコウは、ニタリとした笑みを顔に張りつけたまま、全力で戦いはじめた。


・・・・・・・・・・・・・・・・



 火花飛び散る激しい剣戟けんげき

 攻守が瞬く間に入れ替わるようなアンコウとガルシアの打ち合いが続き、一時的に双方の動きが止まる。


「ハァ、ハァ、ハァ、」

 アンコウは激しく肩で息をしている。

 一方ガルシアも、アンコウほどではないが、大きく空気を吸い込んでいた。


「くっ、」 

 アンコウの体のあちこちから、血がにじみ出ている。


 ガルシアの剣をもし一度でもまともに受けていたならば、アンコウは真っ二つにされていただろう。それほどガルシアの剣は重かった。


「ハァハァ、殺す気はなかったんじゃないのか」

「フーッ、貴様次第だと言ったろう。貴様は手加減抜きで剣をふるっておいて、自分の命の保証はしてもらえるとでも思っているのか?」


 そう言うガルシアの顔に笑みが浮かぶ。ガルシアには、まだ余裕がある。


「チッ!」

 しかし、舌打ちをするも、アンコウの顔も楽しそうだ。

「それに貴様の首が飛んでいくくらいの力は出したが、それが全力というわけではないのだぞ」

 ガルシアの顔から笑みが消え、アンコウを射貫く目にさらに力がこもった。


 それを受けたアンコウの顔からも笑みが消える。アンコウは前回と違い、戦う興奮と快感に完全に飲まれているわけではない。


 ガルシアの剣をうけて楽しいと感じる一方、恐ろしさも感じつづけていた。

 アンコウの背中を大量の汗がつたっている。それは、たんに体を動かしたことによる発汗だけではない。

 

 そのにらみ合う2人を、ビジットは中庭の隅から見つめていた。

(あの男、ガルシア様とあそこまでやり合うのか)


 ビジットは直接、先日のアンコウの広場での戦いを目にしていたわけではない。

 ビジットが、アンコウがここに軟禁される前に聞いていたアンコウに関する情報と、いま目の前で行われているアンコウの戦いぶりには、明らかにレベルが違うほどの齟齬そごがある。


(……なるほど、共鳴か)

 ビジットは厳しい目つきで、にらむように2人の戦いを見続ける。


 テレサは声もなく、建物の中からアンコウたちを見ていた。今のアンコウはテレサが知っているどのアンコウとも違った。

 たんに戦う男の顔をしているというだけではなく、テレサの目にも今のアンコウが普通ではないことがわかる。


(……あの人、笑ってた。あんなに血まみれになってるのに………)


 2人が戦う中庭を窺うのは、この2人だけではない。騒ぎを聞きつけたのだろう。いつのまにか屋敷にいた者たちが、あちらこちらから2人の戦いを見守っていた。



「ハッハッハーッ!ゆくぞ!アンコウ!」


 ガルシアは両手を大きく広げて、大声を発した。アンコウの目に、ガルシアの巨躯がさらに大きく膨らんだように見えた。


 しかし、動き出したのは、ガルシアよりもアンコウのほうが速い。アンコウの表情から笑みは消えている。

 恐ろしいと思う感情はあっても戦う衝動のほうがやはり強く、一切怯む様子を見せず突進する。


 そんなアンコウを、ガルシアは口が裂けるかと思うぐらい口角をあげ、歯をむき出しにした笑みで待ち受ける。


「よいなあ!アンコウ!!」


 アンコウはガラ空きになっているガルシアの胸部を目がけて、全力で剣を突き入れた。


「死ねーっ!」

グギャンッ!!

 大きい金属音が響く。


 ガルシアはアンコウを迎え撃ち、まるで円を描くように大剣を動かし、真下から真上にすくい上げるように凄まじい勢いで剣を操った。

 その剣が、アンコウが突き出してきた剣を捉え、凄まじい火花と共にアンコウごとはじき返した。


「グアァーッ!」

 アンコウは、弾かれた剣を持つ右手がもがれるかというほどの衝撃を感じたが、それでも剣を離すことなく、剣と共に宙を舞う。


ドンッ!ズザアァーッ!!

 アンコウは地面にたたきつけられ、滑るように、もの凄い勢いで地面を転がった。  

 アンコウはどうすることもできず無様に転がった。


「く、くそおぉぉ」

 地面に転がるアンコウは、全くの隙だらけ。

 アンコウはあせる。今、あのガルシアの大剣を食らえば、アンコウは逃げることはできない。しかし、転がる体を、そう簡単に立て直すこともできない。


 アンコウは地面を転がる体が止まっると同時に、フラつきながらも必死の思いで立ち上がった。

 しかし、何とかガルシアの次の攻撃を防がなければと立ちあがったアンコウの周りには、何者の気配もなかった。


「…………?」

 アンコウがまわりを見わたすと、アンコウの視界の遠くにガルシアは立っていた。


 ガルシアは、アンコウを吹き飛ばした場所から全く動いていなかった。そしてアンコウの目に、ガルシアが手に持つ大剣を鞘にしまうのが見えた。


「アンコウよ!ここまでだ!確かめるべき事は確かめた!」

 ガルシアがアンコウにむかって大声で言った。



 アンコウは声で答えることなく、そのまま抜き身の魔剣を手に持ってガルシアのほうに歩いていく。

 これが本来のアンコウなら、嬉々として剣をおさめただろう。これが、この間の魔剣に酔っていたときのアンコウなら、ガルシアの言葉など聞き流し、そのまま戦闘をつづけていただろう。


 そして今のアンコウは、少なくとも喜んではいない。眉をしかめたまま、早足でガルシアに近づいていく。

 そしてガルシアの前まで歩いてくると、アンコウは足を止めて、口を開いた。


「………おい、犬。何のつもりだ」


 そのアンコウの言葉を聞いたこの中庭の周りに集まっていた者たちの表情が一気に強ばる。アンコウの口から出た言葉は、獣人であるガルシアに対する侮辱以外の何ものでもなかった。


「………………」

 ガルシアは眼光鋭く、無言のまま恐ろしい闘気を吹き出しながらアンコウを睨みつけた。

 しかし、今アンコウの中ではガルシアに対する苛立ちと不満が渦巻いている。アンコウは動じることなく、言葉を続けた。


「てめぇ、中途半端に勝ち逃げかよ」

「………ふむ、なるほどな………ゼルセ様の命により、貴様の今の状態を確かめにきたのだ。もう十分だ。ここで貴様と、これ以上仕合う必要はない」


 そう言ったガルシアに、アンコウは小バカにしたような表情をむけた。

 そして、先ほどのガルシアを侮辱する言葉に続いて、アンコウが口にした言葉は、ガルシアが決して許さないであろうさらなる侮辱と挑発の言葉だった。


「………ゼルセ様ねぇ。あれだろ?エルフ様っていっても、あいつは都落ちでもして人間のグローソン公に仕えている程度のヤツなんだろう?そんな負け組エルフの命令がなんだっていうんだ」


そして、

ボゴォオオッ!!

 アンコウが、それを言い終わった瞬間、アンコウは先ほど以上の勢いで吹っ飛んでいた。

「うごおおぉっ」


 剣ではない。ガルシアの太い足がアンコウの体を正面から蹴り飛ばしたのだ。

 さらにガルシアは一度鞘におさめた大剣を引き抜き、吹き飛んでいくアンコウに無言のまま迫った。


 先ほど以上の勢いで蹴り飛ばされたアンコウであったが、今度は地面を転がることなく堪えてみせた。


ズザアァーッ!!


 アンコウは口から汚物をまき散らしながらも、目一杯の力を込めて両足で地面を踏みしめ、剣を強く握りしめ、自分に迫ってくるガルシアを視界におさめる。

 汚いアンコウの口周りに、笑みが浮かんでいる。


「アッハッハーー!!」

 せきを切ったようなアンコウの笑い声が響いた時には、すでにガルシアの剣がアンコウの頭のうえに向かってふりおろされていた。


ブウオォォンンッ


 普段のアンコウなら決してしないであろう見え透いた無謀な挑発に、ガルシアは躊躇ちゅうちょなく反応した。

 ガルシアは、ゼルセに絶対の忠誠を誓う者。

 ガルシアがグローソンの紋章を刻む鎧を身につけているのは、ゼルセの命に従っているだけである。


 此度こたびガルシアは、そのゼルセより、おそらくすでに魔剣酔いから覚めているであろうアンコウという共鳴者の状態を確認せよとの命令を受け、この屋敷にやってきた。

 しかし、その命令は特別深い意味があるものではなく、ゼルセの個人的な興味によるところが大きいとガルシアは理解していた。


 ゼルセはガルシアにこの命令をしたときに、殺さないようにしろ、あまり熱くなりすぎるなよと笑いながら言っていた。



 今、ガルシアは殺気を込めて、アンコウに斬りかかっている。ゼルセはに殺すなとは言わなかった。


 ガルシアは自分への侮辱は受け流しても、戦士の剣と魂を捧げたゼルセを侮辱する者を許す気はない。たとえそれがアンコウの意識的なあからさまな挑発だとわかっていても、一瞬でガルシアの沸点を超えた。


「ぐがああぁっっ!」

 ガルシアの野獣の咆哮が響く。ガルシアの殺気のこもった大剣が、これまで以上のスピードでアンコウの頭を襲う。


ドガアアァッ!!

「何いぃっ!」

 ガルシアがふり落とした剣が、地面をたたいた。


 地面が割れ、えぐれた土が周囲に飛散する。しかし、その中にアンコウの血は一滴たりとも含まれていない。

 アンコウの無駄のないこれまで以上の素早い動き、アンコウはガルシアの強烈な斬撃を完全に避けてみせた。


「アッハハーーッ!」


 アンコウは笑いながら、素早く飛びさがった場所から一転、ガルシアにむかって剣を突き出した。今度は逆にガルシアが飛びさがる。

 しかし、ガルシアの体勢は先ほどの空振りで崩れており、それほど素早く動けていない。


「グウゥーッ!」

 ガルシアは、痛みに眉をしかめる。


 アンコウの剣先が、ガルシアの右胸上部をとらえていた。アンコウはそのまま足を踏み込み、さらに深く突きさそうとしたが、

「くっ!」

(硬い!)

 アンコウは、まるで岩にでも剣を突き立てているような感覚を手に感じていた。


 そしてアンコウは、その場で足を止められてしまった。

 一方ガルシアは、アンコウの剣を右胸に突きたてられてしまったが、傷は深くなく、その痛みで返って冷静さを取り戻すことができた。


「……見事だ!」


 そう言うと、ガルシアはアンコウの剣を右胸に食い込ませたまま、それを全く障害とせず、再び振りあげた剣をアンコウの頭部目がけて打ち下ろした。


ドガッンッッ!!

「はがあぁっ!」

ドンンッ!!


 アンコウはその攻撃をまったく避けることができず、地面にめり込むのではないかというような勢いで、ほぼ真下にたたきつけられた。

 そしてガルシアは、地面に倒れ伏して動かなくなったアンコウを剣を構えたまま見下ろしている。


 周囲に、静寂が広がっていく。


 地面にたたきつけられたアンコウ。実際に地面が少し窪んでしまっている。

 しかし、強烈な一撃を食らったアンコウではあったが、その頭は斬り割られてはおらず、砕けてもいなかった。


 ガルシアは剣の腹の部分でアンコウの頭を殴りつけていた。それに強烈ではあったが、手加減無用というわけでもなかったようだ。


 地面に倒れ、動かなくなっているアンコウを前に、

(ふぅむ。あれをよけられたか。やはり予想以上ではあったな)

 と、ガルシアは先ほどアンコウによけられた一撃を思い返していた。


 ガルシアは、すでに冷静さを取り戻しており、自分からこれ以上アンコウを攻撃する気はない。

 しかし、ガルシアが、もはや意識は失っているだろうと思っていたアンコウの体がゆっくりと動き出す。


「……むっ、」


 そのアンコウの動きは非常に鈍く、全身が小刻みに震え続けており、すでにガルシアに抗するだけの力は残っていないように見える。


(……このザマになってもまだ戦うことを選ぶのか。面白くはあるが、やはり呪いが精神に及ぼしている影響がかなり大きいということか)


 それでもアンコウは、ゆっくりと上半身だけではあるが何とか体を起こしてみせた。

 先ほどの攻撃で、ガルシアはアンコウを斬ることはしなかったが、普通の者なら死んでいてもおかしくないぐらいの威力を込めた一撃ではあった。


「ハハハッ!アンコウ、愉快だな!まだ戦うことを望むか!」


 しかし次のアンコウの行動は実に意外なものであった。

 アンコウは何やら自分と葛藤しているようなさまをしばらくみせたかと思うと、アンコウは抜き身のまま決して手離すことなく握りしめていた魔剣をじっと見つめた。


 そして、何を思ったのか魔剣を持った右手を大きく後方に振りかぶり、前方に思いっきりブン投げた。


ビユウゥゥンッ!


 魔剣は鋭い風切り音をあげながら飛んでいき、屋敷の壁の上のほうに、

ザグゥンッ! と、突き刺さった。

 ガルシアは、唖然とした表情でアンコウの行動を見ている。


「ぐううぅぅぅ、……フ、フザけんな。なにが愉快だ、この野郎」


 アンコウの声には全く力がこもっていない。息も絶え絶えと言った感じだ。

 次にアンコウは、まだ腰にあった赤い鞘を抜き取り、それを屋根のうえ目がけて放り投げた。


ブンッ! カラカラカランッ


「くそったれ、ふざけやがって。……痛てぇ、ふざけやがって………痛てええぇぇ、」


 アンコウは再び体を横倒しにして、地面に転がった。


「ほう、自分の意志であの剣を手放すことができるのか」


 ガルシアは少し驚いた顔のままでアンコウを見ている。アンコウは地面に寝っ転がりながらもガルシアを見た。


「……おれの意志はあのクソ剣を握らないことだよ、この野郎。…はじめから、そう言っただろうが。人をクソみたいなことにつき合わせたあげく、殺そうとしやがって、殺し合いをする気はないって、お前言ってたよなあぁぁっ」


「貴様次第だと言ったはずだ。止めようとしたのに続けて仕掛けてきたのは貴様だ」


「フザけんなよ。呪いの剣だぞ、この野郎!あれはおれだけど、おれじゃねぇんだよっ!!ぐがっ!」

 大声を出したはずみで、アンコウの全身に強い痛みが走った。

「ヒッ、い、痛てえぇぇ……くくっ」


 ガルシアは思う。アンコウの言っていることは間違ってはいないだろう。確かにあれは、アンコウであってアンコウでない者。


 しかしガルシアは、あの魔剣はアンコウを単に狂わせているのではなく、アンコウの中に間違いなく存在している意識を引き出しているに過ぎないと見た。

 あの壁に突き刺さっている魔剣との共鳴が、アンコウの中に眠っている秘めた力を引き出しているに過ぎないように。


 ガルシアはゆっくりと大剣を鞘におさめた。アンコウは、自分の体を自分の両腕で抱えて地面に転がり、うめき続けている。相当痛いのだろう。


「ワッハッハッハッハッハーー!!」


 そのすぐ横でガルシアが、愉快でたまらないとでも言うように大声で笑いはじめた。中庭をこえて、ガルシアの笑い声が響く。


(………こ、この犬野郎がっ、)

 アンコウは涙目になって、痛みに耐えながら、笑うガルシアを見上げていた。



「旦那様あっ」

 ガルシアが剣をおさめ、何やら機嫌良さげに笑い出したのを見て、テレサが建物の中から飛び出してきた。


 そんなアンコウに駆け寄るテレサを見て、ビジットたち、この屋敷の者たちも動き出す。


 そしてガルシアはひとしきり笑うと、倒れ呻くアンコウに背中をむけて、ひとり中庭から姿を消していった。

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