第19話 初めて見るエルフ
アンコウが軟禁されていた屋敷を飛び出してきたとき、その姿を屋敷の外から見ていた者たちがいた。
「ゼルセ様、いま屋敷から飛び出してきたあの者が、おそらくグローソン公が捕らえるよういっていた例の男です」
「ふむ、おもしろい」
ゼルセと呼ばれた男。
流れるような金色の髪。
透き通るような白い肌。
そしてその秀麗な顔の左右についている耳は、細長く先が尖っており、その先のほうが少し垂れ下がっていた。
この男は間違いなく、この国の支配者種族であるエルフだ。このアネサで純粋なエルフを見るということは極めて珍しい。
アンコウはこの町に来て3年、一度も純粋なエルフをこの町で見たことがなかった。いや、アンコウはこの世界に来てから、一度も純粋なエルフを見たことがない。
アンコウが走り去っていく方向を見つめるこの主従のような2人からは、何ともいえない近寄りがたい雰囲気が漂っている。そして、この2人が身につけている鎧には、グローソンの紋章が刻み込まれていた。
グローソン公自身はエルフではない。人間族の男である。この国において、純粋なエルフがエルフ以外の種族に仕えるというのは極めて珍しい。
ただしそれは、仕えているエルフにウィンドというこの国の意志が関わっていない場合は、であるが。
「ガルシア、追うぞ」
「ゼルセ様、捕らえるのでしたら私が行ってまいります。ゼルセ様はどうぞお先に屋敷のほうへ」
「いや、お主1人では少し苦労するだろう」
「ゼルセ様、私があの者に後れをとると?」
ガルシアは、己がかしずく相手であろうゼルセに対して不満の意を示す。
ガルシアは非常に優れた体躯を持つ獣人の男であり、一見して並々ならぬ技量を持つ戦士であることがうかがえる風格を身にまとっている。
「そうは言っていない。が、あの男、魔武具に酔っているように見えた」
ガルシアがそのゼルセの言葉に驚き、わずかに目を見開いた。
「魔武具に酔う……それではあの男が、共鳴を起こしているということになりますが、」
ゼルセは、ガルシアのほうは見ずに小さくなっていくアンコウの姿を目で追っている。
「確信は持てないがな。おれにはそう見えたよ。そうであるなら、おれが行ったほうがいいだろう」
「はっ、承知しました」
「ふふっ、では急ごうか。あの男を追っていったダークエルフでは捕まえることはできないだろうからな」
*
屋敷を飛び出し、追ってきたダークエルフもまいたアンコウは、戦闘の響きが聞こえてくる方向に向かって、細く薄汚れた道をひとり全力で走っていた。
「アアァァァーー!」
遠くから聞こえる戦いの遠音とアンコウ自身の奇声だけが周囲に響いている。そんな中、重々しい心臓をつかみ取るような獣の咆哮がアンコウの頭の上から響いた。
「グガァアッ!!」
全力で疾走していたアンコウが、足元に土煙をあげながら急停止する。
ズザアアァァァーーッ
その停止したアンコウの前方に、上方から巨躯の獣人が落ちてきた。
ダンッッ!!
ガルシアだ。
ガルシアは空から落ちてきた低い姿勢のまま、アンコウを鋭い獣の眼光で射貫く。
一方アンコウは、先程までの狂乱したかのような姿とは一変し、全くの無表情で突然現れた獣人をじっと見つめている。
「おい、貴様の足はどうなっている。人間の出せる速さではないだろう」
ガルシアは、猛獣がいまにも獲物に飛びかかろうとするような姿勢のまま聞いた。
顔には出していないが、ガルシアは内心、アンコウがここまで走ってきたスピードに極めて驚いていた。
アンコウに追いつくまでに、自分が思っていたよりも、ずっと長い時間がかかった。しかしそのガルシアも、たいして息を切らすことなく、アンコウにこうして追いついている。
「……なるほど共鳴か。呪いの魔剣と共鳴を起こしたばかりの者など初めて見るが、その様子では
ガルシアはそう言うと、いっそう闘気をむき出しにしてアンコウに向かって吠えた。
「グガアアァァーーッッ!!」
その
しかしそのガルシアの咆哮を真正面からぶつけられたアンコウは、何ら臆することなく狂ったような高笑いを返す。
「ハハハハハハーーー!!」
そして一転、アンコウの顔から表情が消えた。
「大丈夫。何のことかよくわからないが、人の言葉はわかっているさ。俺はこれから戦いに行くんだ」
ガルシアはそのままの姿勢のままで少し目を見開いた。アンコウの様相の変転があまりに早い。
「……貴様、戦いが好きなのか」
「いや、戦うのはあまり好きじゃないな。……ただ最近いろいろあってね。何も考えず、剣を振りまわしたい気分なんだっ!」
アンコウはそう言うと、手に持っていた剣をかざして一気にガルシアにむかって突っ込んでいった。
あっという間に距離を詰め、ガルシアに剣をふり落とすアンコウ。それに対してガルシアも一歩も動くことなく腰の剣を抜き放ち、迫りくるアンコウの剣にぶつけた。
ギャンッ!!
双方の剣がぶつかり、次の瞬間驚くほどの火花が散る。
そしてアンコウは、その場から大きく弾き飛ばされた。
「ぐああぁっ!」
しかし転倒することはなく、剣をガルシアにむけたまま踏みとどまる。
「くふううぅぅ、」
アンコウと違いガルシアはその場から全く動いていない。
ガルシアはアンコウを見据えたまま、ゆっくりとした動作で体を動かし、弾き飛ばされたアンコウのほうに向き直った。
「速さには驚かされたが、腕力はさほどではないな。物狂いになってもその程度か、人間」
ガルシアの言葉はアンコウを蔑むようなものであったが、ガルシアの表情はじつに楽しそうであった。そして弾き飛ばされたアンコウ、常のアンコウならば戦いを楽しむような趣味はない。しかし、
「アハハハハハーーッ!!」
アンコウの狂ったような高笑いが周囲に響く。
そしてアンコウはまた、ためらう素振りもなくガルシアにむかって突っ込んでいく。剣を突き出しガルシアに迫る。
しかし、今度は初めから、ガルシアも迎え撃つ体勢ができあがっている。アンコウの剣がとどく前に、アンコウに向かって、長大な剣の一振りを落とす。
しかし今度はアンコウが剣を合わせることもなく、そのガルシアの剣を体さばきだけでかわしてみせた。
「なにいっ!」
驚くガルシア。
その後も次々とガルシアがくり出す剣を、アンコウは右に左に前に後ろにとかわしていく。
しかし、かわすことができても、アンコウのほうが攻撃を仕掛ける隙は、さすがにガルシアも見せない。下手に剣を出したところで、ガルシアに剣ごとはじき飛ばされることは目に見えていた。
「クククッ、アハハハーッ!」
アンコウの笑い声ではない。ガルシアだ。楽しくて楽しくて仕方がないといった笑い方だ。
「いいな。いいな、貴様。いくぞ!」
ガルシアのこれまで以上に鋭い一刀がアンコウの胴に迫る。
立て続けの連続攻撃から間をおかずに繰り出されたこの一刀は、さすがにアンコウも体さばきだけでは避けられなかった。
アンコウは迫りくるガルシアの剣に対して、全力で剣を打ち下ろした。
ギイャンッッ!!
ガルシアの重い剣をアンコウは受け止めた。
しかし、ガルシアの剣を止めることができたのは、ほんの一瞬。
「ぐぐ、ぐわあぁぁっ!」
アンコウは再び吹き飛ばされた。
しかし、また転倒はせず、何とか踏みとどまる。そして、間髪入れずスピードを生かして再び距離をとった。
これだけの打ち合いをしても、双方ともにさほど息は乱れていない。
アンコウのいまの表情には何ら感情は浮かんでいない。このまま戦いを続けるつもりなのか逃げるつもりなのかも全く読めない。
次に動いたのはガルシアだ。アンコウに勝るとも劣らない速さの踏み込みで、アンコウの身体目がけて剣を振る。
しかし、今度もアンコウは巧みにガルシアとの距離を保ちながら、ガルシアの剣を次々に避けてみせた。
そして徐々にではあるが、ガルシアの剣を避けるアンコウの動きが小さくなってきているようだった。アンコウがガルシアの攻撃のわずかな間隙を突き、剣を振るう。
「チイィッ!」
ガルシアの絶えることなくくり出される剣戟のわずかな隙をついたアンコウの攻撃が、ついにガルシアの顔をかすめた。
ガルシアはいったん剣を引き、大きく後ろに飛びさがった。
「クククッ、やるなぁ、貴様。しかしだ。いまのが私の全力だと思ってはいないだろうな?」
ガルシアはそう言うと、大きく息を吸い込んだ。
ただの空気を吸い込んだはずなのに、元々大きいガルシアの身体が、さらにもう一回り大きくなったような錯覚をアンコウは覚えた。
ガルシアは、アンコウから見れば長大すぎる剣を右手に持ち、素振りでもするかのように上から下にその大剣を振り下ろした。
ブゥォオンッ!! その風切り音が普通ではない。
剣を振りおろした時に生じる風、まるで竜巻でも起こせるかのような気配すら感じさせる。
ここまでどれだけ一方的に攻められても、狂ったように笑っているか無表情かのいずれかであったアンコウの顔に、ガルシアに対する警戒の色が浮かんだ。
ガルシアは剣を真横にさげて制止。アンコウをにらみつけた。これまで以上の覇気が、ガルシアの身体から立ちのぼってくる。
「ガオオォォッ!!」
ガルシアが吼えると同時に、これまで以上のスピードでアンコウの懐に飛び込んできた。
「くそうぅっ!」
アンコウは、その攻撃を体さばきで避けることはできないと瞬時に悟る。
アンコウは下から掬い上げるように、ガルシアの打ち込みに剣を合わそうと試みる。アンコウはその際、一連の動作の中で、地面の土を一緒にガルシアの顔めがけて掬い上げた。
双方の剣がぶつかり合う前にガルシアの顔に土がかかり、ガルシアは目を細め顔をしかめる。
「むうぅっ!」そして、互いの剣が強烈な音を立てて衝突した。
ガァギャアアアンッ!!!
ガルシアの顔にかけた土に、ガルシアの剣勢を弱める幾ばくかの効果があったのかどうか。
アンコウは何とかガルシアの剣刃は防いだが、そのまま体勢を大きく崩され、土煙をあげながら地面を転がっていく。
ドザアアァァァーー
「ぐがああーっ!」
そして、その隙を見逃すことなく、ガルシアが地面に転がるアンコウに剣を突き立てようと走り出そうとした。その時、
「やめろ、ガルシア。そこまでだ」
ガルシアのすぐ近くで声がした。
ガルシアが声がしたほうを振り向くと、いままでどこにいたのだろうか、金色の美しい髪をなびかせたゼルセが、ガルシアのほうを見て立っていた。
「ガルシア、ずいぶんと熱くなっているな」
ゼルセはその美しい顔に軽やかな笑みを浮かべながら言った。
「こ、これはゼルセ様。私としたことが申し訳ございません!」
大きく目を見開き、何かを思い出したような表情をしたガルシアは、素早く片膝を突き、ゼルセに対して
「かまわない。別に責めているわけじゃないんだ。でもやるもんだな。まだまだ本気ではないとはいえ、ガルシアをそこまで熱くさせるとはな」
「ははっ。予想以上、でございました」
ガルシアは片膝はついたまま、顔だけをあげる。
「ゼルセ様、やはりこの者はあの魔剣の共鳴者なのでしょうか?」
「みたいだな。まだ融合とはほど遠いみたいだけどね。ハハハッ、しかし見てみろよ。あの格好、魔武具に酔うとはよく言ったもんだ。ハハハハ、」
「ワハハハハハーーー!!」
ゼルセの笑い声に合わせるように、ゼルセの声よりもはるかに大きい笑い声が響いた。アンコウの声だ。
ガルシアに吹き飛ばされたアンコウだったが、ゼルセの笑い声に合わせるかのように飛び起きて、今も大声で笑っている。
「ん?」
そして、笑い声を止めたアンコウがゼルセのほうを見て小首をかしげた。
「あれ?白い。エルフか?」
そうとぼけたような調子で真面目に言うアンコウに、ゼルセは小首を傾け返しながら言った。
「そうだ。エルフだな」
アンコウは一歩二歩と、ゼルセに向かって歩き出した。
「へぇ、初めてみた。……白いエルフ、あんた強いんだろ?」
アンコウはニヤニヤと笑い、ゼルセも何か面白そうに笑みを浮かべている。
「ふむ、試してみればいいだろう」
ゼルセがそう言った瞬間、アンコウは剣を振りかざしながらゼルセにむかって走り出し、一気に襲いかかる。
ガキイイィィンッ!! 響く金属音。
「……ああ、あんたもいたな」
アンコウがゼルセに振りおろした剣は、ガルシアの剣によって受け止められた。
ガルシアは先程までと違い、アンコウに反撃の剣戟をくり出すことも押し返すこともせず、しっかりとアンコウの剣を受け止めている。
「……ガルシア、しばらくそのままで」
ガルシアの後ろから、ゼルセがささやくようにつぶやいた。
アンコウが何やら不穏な空気を感じて、ガルシアの後ろにいるゼルセのほうを見ると、ゼルセの右手に淡い光りを放つ光球が乗っていた。
「!くっ光球、精霊法術っ」
アンコウはとっさに剣を引き、大きく後ろに飛びさがった。
さがるアンコウを、ガルシアは追ってくる気配はない。それを見たアンコウは、なおも距離をとろうと後ろに飛びさがる。
ガルシアから十分な距離をあけた地点で、アンコウは停止した。
「あれ?」
そして、アンコウは気づく。ガルシアの後ろにいたはずのゼルセがいなくなっていた。
「逃げればいいのに、戦いは好きじゃないんだろう?」
突然声がアンコウのすぐ後ろから聞こえた。
優しげな透きとおるような声。なのに、呪いの魔剣を手にしてから初めてアンコウは背筋が震えるような恐怖を感じた。
アンコウがふり向いた瞬間、ゼルセの手にあった光球がアンコウの胸のあたりに押しつけられる。
すると、アンコウの体はまったく動かなくなった。そして、胸に押しつけられた光球が、ゆっくりとアンコウの体の中に吸い込まれるように入ってきた。
「!!あ、あっ、ああっ」
その瞬間、アンコウの意識は飛んだ。
・・・・・・・・・・・・・・
「!」
アンコウが意識を取り戻したとき、太陽の傾きは気を失う前とほとんど変わっておらず、アンコウが意識を失っていたのはほんの短い時間だったようだ。
アンコウの体にも、特別怪我も異変も見あたらない。ただ、さっきまでここにいたエルフと獣人の姿はなくなっていた。
アンコウはそのまましばらくの間その場を動こうとせず、エルフと獣人の2人を待った。
しかし、しばらく待っても誰も出てこないことを確認すると、アンコウは再び遠くから聞こえる戦闘の響きに吸い寄せられるように走り出した。
「イイイィィィイイイーー!!」
そのアンコウの姿を、完璧に気配を消して建物のうえから見つめるエルフと獣人。
「ゼルセ様。あの男、何も変わっていないようでしたが」
「そこまでの即効性はないよ。精霊たちにも仕事をする時間をあげないとな。共鳴すべき、力と力の調律をする時間をな。だけど、そんなに時間もかからないはずだ」
「はっ、しかしこのまま行かせてもよろしかったのですか?あの男は拘束しろとの命が下っていたはずですが」
「ふふふっ、大丈夫さ。アネサがグローソンの手に落ちたとき、あの男が生きてまだこの町にいれば拘束しろっていう命令だったはずだ。アネサはまだ落ちていない。
それにあの男は、自力で拘束されていた屋敷から逃げ出したみたいだしな。俺たちは今この町に到着したばかり、知らぬ存ぜぬでとおるさ。あの酔っぱらいの調律をしたのは、ただの通りすがりの気まぐれさ」
ゼルセの理屈はかなり勝手な理屈のようにも聞こえたが、じつに堂々と言い切っていた。
「……しかし、」
「なに、ガルシア。まだ何かあるのかい」
「い、いえ。ただ、あの男が戦闘に参加したとして、いったいどちらの側につくのかと。それにあの戦いぶりでは、たとえ力があっても命を落とすということもあるのではないかと」
ゼルセはそのガルシアの言を聞いて、やれやれと言わんばかりに息を吐き出した。
「まったく、変わらないなぁガルシアは。そんなことは、それこそおれたちが気にする事じゃない。あの男がどちらの側につこうが、誰を殺そうがあの男の自由だ。それに戦場に赴いたものが死ぬのは戦士の運命なんだろう、ガルシア」
「は、はい」
「そう、自由だ。戦おうが戦うまいが、生きようが死のうがな。しかし、グローソン公といい異世界人ていうのは魔武具と共鳴しやすいたちなのか。あの物狂いっぷりもちょっと似ていたしな。
まぁ、あの男は酔っ払っていたからな。普段はまたちがうのだろう」
生きてまた会うことがあるのかどうか、ゼルセはアンコウが走り去っていった方向を見て目を細めていた。
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